時空を超えた三角関係~東学農民革命が暴く安倍政権と日清戦争の「絆」
vol. 2 2016-12-26 0
人生長く生きていると、一度や二度は数奇な縁に遭遇するものですね。
それは果たして偶然か、それとも必然だったのか。
本稿では、映画「東学農民革命」の持つ奇遇な巡り合わせについてお話ししたいと思います。
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憲法の解釈を捻じ曲げてまで戦争に突き進もうとする安倍ニッポン。
いったんは病気でリタイアしたはずの岸元首相の孫が、街角の花々が散りゆく真冬に奇妙にも返り咲いた直後の2013年、120周年を目前にしたタイミングで前田監督が取り組み始めたのが、「東学農民革命」です。
東学農民革命は、もうみなさまご存じの通り、1894年に花火のごとく燃えては散った、朝鮮民衆による愛国啓蒙運動です。
「輔国安民」、すなわち「国を助け民を安らげる」を掲げて国のために戦った彼らを殲滅したのは、なぜか日本軍という外国の軍隊でした。
朝鮮政府から頼まれてもいないのに、自らが「狡猾手段」と自認する策を弄し、「朝鮮を助ける」という名目で乗り込んできたはずの日本軍が最初に起こした軍事行動は、なんと景福宮の襲撃と国王の拉致でした(1894年7月23日)。
その瞬間、東学農民軍は戦う相手を国内の腐敗政治から外国の侵略軍へと転換せざるを得なくなります。
そしてその結果は、数万人とも数十万人とも言われる朝鮮農民の大虐殺でした。
ですがここには、意外に知られていない事実が潜んでいます。
「朝鮮国王拉致」事件は、その後朝鮮の民主化と東アジアの平和の未来を奪う軍国主義日本が、大陸侵略の最初に引き起こした軍事作戦でした。
そして、この作戦を指揮した日本軍第5師団混成第9旅団長・大島義昌は、安重根死刑執行の責任者でもあり、安倍晋三総理大臣の高祖父(ひいひいおじいちゃん)なのです。
その後日本軍は朝鮮農民の大虐殺、日清戦争、日露戦争、朝鮮と満州の侵略、更には二度の世界大戦と軍国主義への道を突き進みますが、1945年に敗戦。
ですが敗戦後、日本は軍国主義を放棄しなかったのでしょうか。
「血脈」という影に潜んで、脈々と受け継がれているのでしょうか。
「和の国」日本はもう取り戻せないのでしょうか。
日本の戦争狂が発病した120年前の朝鮮から、
今まさにその病いが再発しようとしているこの日本に
突如現れた東学農民革命の闘士たち。
それは果たして偶然か、それとも必然なのか。
東学農民革命の闘士たちよ、あなたたちは何故いま此処に降り立つのか。
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どうぞ、ご関心ご支援のほど、よろしくお願いいたします。
映画「東学農民革命」上映委員会 蔡光浩