ライター山口史津さんによるインタビュー
vol. 16 2020-09-11 0
『the Body』とは一体どんな映画なのか。
仙台を拠点に活動するライターの山口史津さんに取材していただきました。
捉えどころのないものに真っ向から対峙した「聞き手」の鋭い切り口を通して、何かが捉えられるかもしれません。
「死んでるのか?」
「それ以上よ」
――広瀬大志「肉体の悪魔」(『髑髏譜』所収)
こんなにも不条理で、こたえの見えない問いかけがあるだろうか。否、「こたえ」は既に記されている。それでも何を指しているのか、状態なのか、概念なのかさえ判らない。
「死んでるのか?」
「それ以上よ」
得体のしれない後味を残すこの一節が、作中を貫く一筋の光―明るいものではないかもしれない―となる映画が、仙台で密やかに撮影された。
監督・富田真人が生み出そうとしているものは何なのか。描かないことで描くことはできるのか。作品世界の担い手のひとり、小鳥遊ユカと言葉を綴る。
-語る顔を持たない不可解な物語-
監督:富田真人
SNS、テレビ、人の価値観。いま、世の中に溢れている情報は「わかる」こと、「わかりやすい」ことが多すぎる。それはある意味親切だし、「わからない」ときは情報を発する側の落ち度になる。不確実なものを極力排して生きていたい力が強いのだと思う。
でもね、わかりやすいものを提示するのは、奪うことでもあるんです。感動や涙を予告したら、そこに至るまでの視聴者の想像力や、自由な発想をする機会を奪ってしまう。
見る人を受け身にするのか、何だこれはと能動的に身を乗り出してもらうのか。それなら僕は、一度己の感受性を疑ってみたくなるような、わからないものをつくりたい。精緻な脚本、最高のカメラワークで監督のイメージを具現化する映画もありますが、僕の場合は「生の」舞台、生業としているバーのカウンターのような「何が起きるかわからない」ものを撮るほうがおもしろい。
わかりやすいものの一つに、「顔」があります。the Bodyは表情が持つ膨大な情報量、それを排除する試みでもある。顔が映らない世界を表現するために、身体芸術の力を借りました。
そのため、身体を通じて表現する方々をキャスティングしています。ダンサー、モデル……役柄ありきではなく、僕から見たその人の魅力、まとっているものを撮りたいと。実は何度も作品は完成していますが、きっと上映直前まで編集を重ねるでしょう。
僕自身、わからないものですから。
-身体表現を試みたモデルの物語-
キャスト:小鳥遊ユカ
モデルとは本来、無表情/無感情で服を魅せる存在だと思うのです。感情や、私という人間の中身を表現するより、マネキンになってウォーキングやポージングで表現することに興味がある。顔の表情をつけることは「必要悪」だとさえ考えています……。
「顔のない映画」だからこそ出演を決めました。例えば私の難である瞬きの多さに臆することなく、手先、指先で表現できるならそれもいいなって。
監督のコミュニケーションはとても詩的で、「その手はいま生まれて初めて光というものに触れて」といった、イメージを描けそうで描き切れないような世界。その場所、現場感から生まれるものを大事にされている。私は準備や練習が趣味である人間なので、アドリブが苦手だけれど、それを見抜かれているだろうなとか。
でも、細かい台本ありき、この場面ではこんな表情をしてくださいというのはある種至難の業ですよね。現場の反応を撮ってもらえることはありがたくもあり、撮影に向き合ったことによって開かれた――生と死の間に無限に広がっているものの間隙、幅を意識させられたという発見もありました。
直感的に、私の役は生きていると思う。けれどある瞬間は死んでいるかもしれない。「それ以上」が何を意味するのかわからないし、定義づけること自体は重要ではない、そんな映画ではないでしょうか。
-暴力装置を手繰る者としての誠実-
監督:富田真人
混沌がすなわち芸術であったとしても、一本貫かれている軸がなければ作品にはならない。それが広瀬大志さんの生み出した詩の言葉であると、僕は感じています。やりたいことすべてが内包されているのです。
「越境する」「生き生きとした死の世界へ」。これは生死の境という意味であってもいい。ただ、多くの物質的なものは科学で解明されるかもしれませんが、生きることや死のすべてが解明されることはないでしょう。
火葬されて身体が燃えてなくなったとしても、残るものがあるかもしれない。そういう腑に落ちない何かを思う力が、いま必要じゃないかと思います。便利で、氾濫する情報から好きなものだけを摂取して生きられる時代だからこそ、自分がどんな色眼鏡で世界を見ているのか知ろうとするのが、フェアな姿勢じゃないかな。
映画を撮り、編集するのは、作品世界を支配して人に見せること。それはとても暴力的なんです。だから僕は、何を見せ、何を見せないかに関していかに誠実であるかを大切にしたい。R18規制は、とてもやわらかい存在である子どもに、堅いもの―この作品世界―をぶつけることには慎重であるべきという考えに基づいています。
大人に向けた作品として、何も隠蔽したくない。それが僕の誠意です。
(聞き手・山口史津)