【映画の街・中洲の記憶】「銀幕の向こうには これからも夢がある」
vol. 5 2026-09-25 0
支援者の皆様、いつも大洋映画劇場 復活プロジェクトに温かい応援とご支援をいただき、本当にありがとうございます。
前回は、80年前に戦後の焼け野原から創業者が大洋映画劇場を立ち上げた軌跡をご紹介しました。
今回は、「映画の街・中洲」についてお話したいと思います。
「映画の街・中洲」
現在は歓楽街として知られる中洲ですが、大正から昭和にかけては、至るところに映画館の看板が掲げられ、東京・浅草と並ぶ「映画の街」でした。
そのスタートは1913年(大正2年)、東中洲で開館した福岡市初の映画館(活動写真常設館)「世界館」でした。これがきっかけとなり、中洲に映画館や劇場が続々と誕生。最盛期の1958年(昭和33年)には、那珂川と博多川に挟まれた南北約1キロ、東西約200メートルのエリアに、21もの映画館が立ち並んでいたそうです。
戦後の復興期には、大洋映画劇場は当時の15以上の映画館とともに「オールナイト」上映を実施。博多祇園山笠のフィナーレ、追い山笠(おいやま) が始まる早朝まで映画を上映しました。
中洲の街では映画を愛する人々の思い出が何十年にもわたって紡がれてきました。
情報を消費する時代だからこそ、「映画の街」に集う意味
時代は流れ、いまや私たちはスマートフォン一つで、いつでもどこでも映画を観ることができます。しかし、そんな効率や便利さが最優先される時代だからこそ、あえて街に繰り出し、劇場で物語と深く向き合う。その体験は、ただ効率よく情報を得ることとはまったく違う、かけがえのない豊かさを持っています。
銀幕の向こうには これからも夢がある
「銀幕の向こうには これからも夢がある」
どんなに時代が変わり、経済や社会の状況が揺らいだとしても、映画が人々の心に灯す光の価値は変わりません。私たちが新劇場で目指すのは、ただ新作を上映するだけの場所ではなく、かつての中洲のように映画を愛する人々が自然と集い、それぞれのペースで深く没頭できる居場所です。
80年前の創業者が焼け野原に希望の光を灯したように、いま私たちがこの中洲の地で、映画が持つ「夢の力」を未来へ繋いでいきます。
クラウドファンディングの挑戦もいよいよ後半戦です。「映画の街・中洲」の新しい歴史をこれからも皆さまと共に作っていけますように。引き続き、温かいご支援と応援をよろしくお願いいたします!
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