【大洋映画劇場の原点】焼け野原から生まれた「心の復興」の物語
vol. 4 2026-09-18 0
支援者の皆様、いつも大洋映画劇場 復活プロジェクトへの温かい応援とご支援をいただき、本当にありがとうございます。
新劇場OPENの準備が進む中、私たちがどうしても立ち返りたい原点があります。
それは、今から80年前、大洋映画劇場が誕生した瞬間に込められた、創業者の強い思いです。
焼け野原に灯した、映画の光
終戦から約8か月後の1946年(昭和21年)4月。 一面の焼け野原が広がる中、創業者である岡部重蔵と、復員したばかりの息子・章一は、「戦争に負けてみんな意気消沈している。焼け野原となった博多の地に娯楽施設をつくり、市民に元気になってほしい」という強い一心で中洲の土地を選びました。しかし、そこには多くの地権者が…。その数36人。その地権者一人ひとりを訪ね歩き、ようやく土地を借り受けました。そうした苦労の末に、大洋映画劇場は誕生したのです。
その後、建設業を営んでいた重蔵は自らの手で約1,500席を備えた木造3階建ての劇場を建てました。今回のクラウドファンディングのリターン品であるソックスには当時の劇場の外壁の文字(Taiyo)をデザインしています。
物質的な豊かさなど何もない時代。彼らにあったのは映画の力で人々の心をもう一度明るく照らしたいという強い願いでした。
時代を読み、博多に「夢」を届け続けた挑戦
当時、大手の映画館が立ち並ぶ中、創業者の2人は「これからはアメリカの時代だ」と先を見据え、米国映画の配給権を持つ会社と直々に契約を結びました。
記念すべき1作目に選んだのは、チャールズ・チャップリンの『黄金狂時代』。 幕が開くと、劇場にはわずか2週間で6万人を超える人々が押し寄せました。銀幕は映画という夢を映し出すことで傷ついた人々の心を癒やし、厳しい時代を生き抜くための「心の復興」そのものでした。
銀幕の向こうには、これからも夢がある
戦後の焼け野原から創業者が「映画で人を笑顔にしたい」と立ち上がったように、私たちが新たな劇場を再建する意味もまさにそこにあります。
現代はデジタルで何でも手軽に見られる便利な世の中です。だからこそ、私たちが守りたいのは、映画の世界に深く没頭することで心が救われ、癒やされ、懐かしさを分かち合える、一人ひとりの心に深く残る場所です。
情報が溢れる今だからこそ、映画が持つ「夢の力」をここで絶やしてはいけない。
1,000万円という大きな挑戦ですが、映画を愛する皆さまと一緒なら、新しい劇場に必ず息を吹き込むことができると確信しています。
