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沖縄少年院の旧施設での日々をおさめた写真集「旅立ちました」作成プロジェクトをクラウドファンディングで実現!

沖縄少年院の旧施設での日々をおさめた
写真集「旅立ちました」作成プロジェクト

令和2年3月に開催した個展「旅立ちました」は平成30年7月に糸満市に移転するまでの約1年半、当時沖縄市山内にあった沖縄少年院の旧施設を撮影したものでした。その個展で展示した写真を写真集にします。

コレクター
0
現在までに集まった金額
0
残り日数
32
目標金額 1,000,000 円
このプロジェクトでは、目標達成に関わらず、
2021年5月12日23:59までに集まった金額がファンディングされます。

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2021年5月12日23:59までに集まった金額がファンディングされます。

Presenter
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PRESENTER
永山 直樹

1967年沖縄に産まれ現在に至る。2010年に友人から単焦点レンズを借りて撮った花をみて「俺、才能あるかも。」との思い込みから写真を始める。県内の祭りやイベントを中心に写真を撮っていくうちに、知らなかった旧暦行事や祭りなど、知らなかった沖縄を再発見。写真仲間との出会いは人生を豊かにしてくれました。いつも見ている身の回りの風景がファインダーを通すと、いつもと違う姿が見られる再発見を楽しんでいます。最近はnoteでも「OKinawa's Snapshot」として自分の写真を出しています。よろしければみてください。

このプロジェクトについて

令和2年3月に開催した個展「旅立ちました」は平成30年7月に糸満市に移転するまでの約1年半、当時沖縄市山内にあった沖縄少年院の旧施設を撮影したものでした。その個展で展示した写真を写真集にします。

はじめまして

当プロジェクトをご覧いただきありがとうございます。

COVID-19によるパンデミックが迫っていた、令和2年3月に個展「旅立ちました」を那覇市民ギャラリー第3展示室で開催しました。

個展「旅立ちました」の写真を写真集にして世に出すことが、本プロジェクトの目的です。

個展「旅立ちました」は平成30年7月に糸満市に移転するまでの約1年半、当時沖縄市山内にあった沖縄少年院の旧施設を仕事の合間に撮影したものです。

沖縄少年院とは

 沖縄少年院はアメリカ統治時代の昭和35年12月に「琉球少年院」として設立した。少年院の敷地が決まるまではかなり難航し、県内どこも少年院を引き受けなかったのを見て、当時のコザ市の大山市長が英断で引き受けて沖縄市山内に琉球少年が建てられた。

琉球少年は、男子少年と女子少年が一緒に入っている総合少年として誕生し、その後本土復帰となった昭和47年に「沖縄少年院」と「沖縄女子学園」に別れることになった。

琉球少年院は、昭和36年1月28日に初の入所少年が入り本格的に業務が始まると1週間後には逃走事故が起きる、当初から逃走事故が頻発し毎週のように逃走事故が起きていた。朝出勤をすると「今日お前はどこに行け」と言われ、あちこちに行かされるのが日常茶飯事であったと先輩が言っていた。

逃走は、フェンスを乗り越えるだけでなく、鉄格子を切断して逃走する、場合には職員を襲い鍵を奪って逃げることもあった。

特にその中でも昭和38年に起きた暴動事故は語り草になっている。4月に立て続けに3回の暴動が起きて当時のコザ署の警察官や、MPの手を借りて鎮圧する事態が起きた。それ以降も年中行事のように逃走事故が起きることが続いていた。

年中行事といえば、色々な行事が行われてきた。特に翌年の11月から始まった運動会はずっと続いている。

運動会ではエイサーやリレー、以前は空手の演舞も行われてきた。

普段は非行を繰り返しどうしようもなかった我が子が、エイサーやリレーで汗を流し真剣に行う姿に涙する親御さんも多い。

運動会以外にも駅伝大会、成人式、中学生の卒業証書授与式。以前は院外処遇で海水浴や海洋博記念公園などが行われた。

それでも最近まで、逃走事故など事件は続いていた。問題として良く言われていたのが施設の問題であった。琉球民政府時代に作られた施設は老朽化だけでなく、構造的な問題、施工の問題などを抱えていた。住環境としては劣悪な環境でした。

沖縄少年院略歴

昭和35年12月 琉球民政府時代に「琉球少年院」として発足
昭和36年 1月 初の男子少年が入院
      2月 初の逃走事故発生(以後逃走事故が頻発する日々が長年続くことになる。)
     11月 第1回運動会開催

昭和38年 4月 暴動事件発生
4月だけで立て続けに3回暴動が起きた。警察やMPが動員され暴動鎮圧に当たることになった。過剰収容と職員の不足が要因と考えられた。
昭和46年 4月 6カ月間無事故表彰
      6月 コザ市議会が琉球民政府主席に対し少年院の移転要請
昭和47年 5月 本土復帰「琉球少年院」から「沖縄少年院」に名称変更

昭和57年 7月 短期処遇開設。翌年3月にはボーイスカウト沖縄第二団ボーイ隊初隊式挙行
昭和59年 6月 少年4名逃走(以前よりは減ったが逃走事故は継続して発生していた。)
昭和60年10月 外部侵入未遂事件
平成10年10月 自殺未遂事故
平成13年12月 少年1名自殺で死亡
平成14年 1月 少年が蛍光菅の破片を嚥下し病院移送となる。
平成15年 7月 逃走事故発生少年2名が逃走(これ以後、逃走事故は発生していない)
平成22年 6月 自殺企図、未遂に終わる(これ以後は自殺事故はない)
平成29年 4月 沖縄少年院・沖縄女子学園が本院分院として統合
平成30年7月7日 沖縄市山内から糸満市真栄平へ移転

個展「旅立ちました」について

沖縄市山内にあった沖縄少年院の旧施設は、建物が古く、住環境としては酷いものであった。職員は住環境を少しでも良くしようと、木々を植え、自ら汗を流し補修を繰り返し、少しでも環境を良くしようと心を尽くしてきた。その思いは建物や施設の随所に見られた。いずれ取り壊されなくなるとわかっていても、何も残さないのは忍びないと、当時の院長考えたのでしょう。また、移転に合わせて記念誌の制作を見据え、私に旧施設の姿を記録するように依頼してきた。その依頼を受けて、仕事の合間に撮った写真が個展「旅立ちました」になりました。

個展を開いて意外だったのは、職員の家族が喜んだことだった。施設に隣接する官舎に住んでいても施設の中を見る事はない。1番身近な家族であっても自分の父親が、夫がどんな環境で非行少年と向き合って仕事をしているのか知る事はなかった。それを写真ではあるが目にすることができたことが、とても良かったと喜んでくれた。

現役の職員以外にも退職された方、転勤された方、他の取材に来てたまたま目を留めてくれた新聞社の方、テレビ局の方などいろいろな人たちが足を運んでくれた。

特に嬉しかったのは

少年院に入ってた人が恋人を連れて写真の説明をしている姿が見られたこと。
家族を連れて足を運び、写真を見て少年に入ってた時頃の自分を思い出して涙する姿。
最近まで少年院に入っていた子供が親兄妹と一緒に「先生、見にきましたよ」と明るく見に来てくれたこと。

何名かの人に「写真集は出さないのですか」と聞かれ、その時に「出します」と答えた。
しかし、本音は展示だけで終わるつもりだったので、写真集を出す事は考えていなかった。
個展会場で問われ、その場の雰囲気と勢いで「出します」と答えたのが、今回の写真集を作るきっかけでした。

写真集「旅立ちました」を制作するにあたって

写真集でイメージしているのは東松照明のNAGASAKI

1966年に世に出たこの写真集、初めて見た時の衝撃は忘れられない。
時間の止まった時計から始まるNAGASAKIの時間
ファインダーを通して、彼の見た世界、想いが自分の視界に広がるのを感じた。

MOMAのキュレーターにして、世界一美しいプリントと言わしめた桜の写真を始め1枚1枚に込められた想いが、連なることによって語りかける言葉の強さ。

写真は言葉ではないが、あの写真集には確かに言葉がメッセージが流れてきた。

少年院の中で想いのままシャッターを切ってきた。
シャッターを切った時点で、そこに撮影者の想い、自分の視線が入っている。
自分を丸裸にするような気恥ずかしさもあるが

それまで、接してきた少年達への気持ちもどこか見えてくる。

それは、東松照明がNAGASAKIで込めた視線、
強さでは負けないと言いたいが、想いだけでは伝わらないものがある。
東松照明は自分の想いをのせる術をもっていた。

自分の視点で見た非行少年は皆にどう写るのだろうか。

少年院はどう写るのだろうか。

そこから、立ち直る子ども達への想いを少しでも感じてもらえたら。

矯正職員の多くが、少年達と2度関わることがないことを願っている。

沖縄少年院の旧施設を撮影しているので、歴史的な記録、ドキュメンタリー的な面はある。

ただ、それだけではつまらない。

つまらないという言い方は言い過ぎかもしれない。
沖縄少年院に関わってきた全て人々、退職した職員、入所していた少年にとっては自分が一定の時間を過ごした記録になり

そこにいたころの想いを想起させる大切なものとなる。
それだけでも価値のあることだ。

しかし、この写真集ではそれだけではなく、そうでなかった人たちにも伝えたい

知ってもらいたい、感じてもらいたい。

普段知り得ない塀の中の風景の中で、もがき悩んできた人々の想いの影を

写真は光を紙やディスプレイ、人が見ることのできる形、光の影としてとどめてくれるものだと思う。
物理的には電磁波を特定の形で記録するだけである。
そのとどめられた光の影には確かに人の気配が残り、そこにあった想いが伝わってくる。
不思議だと思う。

でも、想いは伝わる。

写真にはその時シャッターを切った自分の想いが写っている。

だけど、見る人によって、とらえ方が違ってくる。

それは写真の面白いところであるが、感じて欲しい。

写真集とスケジュールについて

 写真集はA4変形版(縦205mm×横210mm)、ハードカバー、120ページ程度で予定しています。

 資金の内訳 印刷費100万
       デザイン費30万
 現在、写真のレタッチとセレクト、レイアウト制作を行っています。
  作品の選定 2021年4月
     入稿 2021年5月
  印刷・完成 2021年6月
 2021年6月の出版を目指して作業を進めています。

リターンについて

・完成した写真集
・お礼のメール
・協力者としての写真集へ記載(希望者、本名またはニックネーム)
・ポストカード
 写真集からセレクトした写真10点から選んでいただきます。
・A4オリジナルプリント
 写真集からセレクトした写真20点から選んでいただきます。
 ポストカードとは違う写真のセレクトになります。
・オリジナルフォトブック
 写真は写真集に掲載されなかった写真を中心にオリジナル印刷でフォトブックを作成します。

プラン錬成:5000円
 ・完成した写真集
 ・お礼のメール

プラン海邦:10,000円
 ・完成した写真集
 ・お礼のメール
 ・協力者としての写真集へ記載(希望者、本名またはニックネーム)
 ・ポストカード5枚

プラン希望:30,000円
 ・完成した写真集
 ・お礼のメール
 ・協力者としての写真集へ記載(希望者、本名またはニックネーム)
 ・ポストカード5枚
 ・A4オリジナルプリント 3枚

プラン向陽:50,000円
 ・完成した写真集
 ・お礼のメール
 ・協力者としての写真集へ記載(希望者、本名またはニックネーム)
 ・ポストカード5枚
 ・A4オリジナルプリント 6枚

プラン静思:70,000円
 ・完成した写真集
 ・お礼のメール
 ・協力者としての写真集へ記載(希望者、本名またはニックネーム)
 ・ポストカード5枚
 ・A4オリジナルプリント 6枚
 ・オリジナルフォトブック

想定されるリスクとチャレンジ

個展を開く際に少年院の写真をだすことは職場として受け入れられるのか。また、少年院に対していい感情を持っていない少年達もいる。個展を開く際にそういった人たちがどういう行動とるのか、予想外のことが起きるかもしれない。葛藤と不安を抱きつつ、リスクを覚悟して個展を開催した。

幸いなことに、個展は特に問題なく、好評で終わることができた。
それでも、このような展示、写真集の前例はなく、題材が題材だけに今後、何が起きても不思議ではない。
写真集にして形に残すことは、こういったリスクが永続的に続く。

旧施設の建物はなくなったとはいえ、職業上の保安的な配慮、個人情報の取り扱い等は、個展の時以上に気を遣わなければならないと考えています。

今回はプロダクションファインディングでの実施になります。目標金額未達成の場合でも、自己資金で補填し、写真集は必ず完成させるつもりです。

リターンは必ずお届けしますのでご安心ください。

自己紹介

 2010年3月にFC琉球サポータ仲間から単焦点レンズを借りて、夜間に街灯下でハイビスカスを撮って「俺、才能あるかも」と思い込み写真を本格的に始める。

 現役の少年院職員ですが、休みなどを利用して沖縄県内でスナップ、沖縄の行事や祭りを中心に撮影。

 写真雑誌の月例や県内外のコンテストへの応募、県内での展示を中心に活動

主な入選歴

 JPS展2012、2020 入選
 月刊フォトコン フォトコンスクール自由の部年度賞4位
 カメラのキタムラ「365日フォトコンテスト」2014春夏腕だめしコース自由の部 グランプリ
 2019 二科会本選 入選
 沖縄県内外のコンテストで入選多数

展示歴

 2013年3月 フラグメンツ3(県立美術館)「僕のいたトコロ」
 2013年7月 二人展(那覇市民ギャラリー第3展示室) 白鷺と蜘蛛の巣
 2014年1月 森山大道ポートフォリオレビュー展(県立美術館)「BACK」
 2014年5月 永山直樹写真展 丘の一本松
 2014年7月 フラグメンツ4(県立美術館) 「ミズ」
 2016年5月 フラグメンツ5(県立美術館) 「マサ子」
 2017年5月 二科会写真部沖縄支部展 「Tokyo」
 2018年9月 二科会写真部沖縄支部展 「Multiple」
 2018年11月 個展「In My Juice」於ギャラリーるんるん
 2020年3月 個展「旅立ちました」(那覇市民ギャラリー第三展示室)

最後に

タイトル「旅立ちました」について

沖縄少年院から多くの子供たちが旅立っていきったという意味と多くの子供たちを旅立だった、沖縄少年院の旧施設も旅立ったとい二つの意味を持っています。

少年院の写真を発表できるという機会は得たのは、奇蹟のような偶然が重なったから。

自分が写真を撮っていたこと、少年院が自分の職場であったこと、少年院の移転、院長以下理解のある職場の同僚たち。
どれか一つが欠けても実現することができなかった。

この幸運をつなげることができればと思う。

少年院という閉ざされた中で、子ども達の未来を案じ、更生を信じて流れる日々がどのようなものなのか少しでも伝わればと思います

リターンを選ぶ

  • 5000

    プラン錬成

    • 写真集「旅立ちました」
    • お礼のメール
    • 2021年06月 にお届け予定です。
    • 0人が応援しています。
  • 10000

    プラン海邦

    • 写真集「旅立ちました」
    • お礼のメール
    • 協力者としての写真集へ記載(希望者、本名またはニックネーム)
    • ポストカード5枚
    • 2021年06月 にお届け予定です。
    • 0人が応援しています。
  • 30000

    プラン希望

    • 写真集「旅立ちました」
    • お礼のメール
    • 協力者としての写真集へ記載(希望者、本名またはニックネーム)
    • ポストカード5枚
    • A4オリジナルプリント 3枚
    • 2021年06月 にお届け予定です。
    • 0人が応援しています。
  • 50000

    プラン向陽

    • 写真集「旅立ちました」
    • お礼のメール
    • 協力者としての写真集へ記載(希望者、本名またはニックネーム)
    • ポストカード5枚
    • A4オリジナルプリント 6枚
    • 2021年06月 にお届け予定です。
    • 0人が応援しています。
  • 70000

    プラン静思

    • 写真集「旅立ちました」
    • お礼のメール
    • 協力者としての写真集へ記載(希望者、本名またはニックネーム)
    • ポストカード5枚
    • A4オリジナルプリント 6枚
    • オリジナルフォトブック
    • 2021年06月 にお届け予定です。
    • 0人が応援しています。