参加アーティスト紹介[5]Chano/歌うことで人を繋ぐ。歌で福島に生きる。
vol. 12 2020-12-26 0
「福島が大好き」
はばかることなくそう話すChanoさん。郡山市に育ち、高校時代からライブ活動を開始。大学進学で東京に出てからも音楽を続け、授業とライブ、そしてライブ活動の原資を得るためのアルバイトに忙しい毎日を送っていましたが、それでも月に一度は福島に帰り、空を見上げては故郷の空気をチャージしていたと言います。
そんな時間がもう持てなくなってしまうかもしれない。東日本大震災は、彼女にそんな大きな不安を与えました。当時は3日に1日のハイペースでライブハウスに出演する日々。しかし、自分が思うような歌の広がりを感じられないもどかしさや、歌よりも年齢や性別で評価されてしまうことへの疑問、そして、その中で殻を破れずにいる自分の弱さ。ライブ活動を続けることに限界を感じ始めていた時期でもありました。
そんな中で起きた震災。音楽で飢えはしのげないし、体を温められるわけではないけれど、いつかきっと音楽が必要になる時が来るはず。でも、これほど音楽と向き合ってきたのに、自分には人を集める力も知名度も何もない。大好きな福島のためになれない自分がひたすらに悔しく歯がゆかったと振り返ります。
探し続けた、自分にできること。その中で導き出した一つの答えが、大学で学んでいたフランス語を活かしたフランス留学でした。郡山での母校巡りや南相馬でのボランティアを通して避難する人々の実状に触れて渡った異国での1年間。「福島から来た」と言うと、現地の人々はみな一様に絶句しました。もう誰も住んでいないはずではないのか。そう本気で思っていた人も少なくなかったと言います。そうした人たちにボランティアで通じて知った福島の人々のリアルな姿を、時に言葉で、時に歌に変えて伝えました。
歪んで伝わってしまった「フクシマ」を本当の「ふくしま」に変えていく作業。それが本当に実を結んだのか、彼女にはわかりません。でもなぜか、1年が経ち日本へと帰る頃、抱えていた「必要のないもの」が自分から削ぎ落とされたような、シンプルな自分になれた感覚が彼女にはあったと言います。削ぎ落されたそれはもしかしたら、私たち福島人一人ひとりが知らぬ間に抱えていた心の「しこり」のようなものだったのかもしれません。
帰国後、大学卒業を経て福島に戻り、地元での音楽活動を再開したChanoさん。帰国時に彼女自身が得た感覚の通り、その音楽もまたシンプルな美しさに満ちていますが、それでいて感情の起伏や言葉の裏側にある芯の強さを感じさせるオリジナル曲が並びます。
「歌って、実際の歌詞よりも、歌詞になっていないところのほうが大事だと思うんです。だから語りすぎることなく、足し算よりも引き算をテーマに曲を作っています。」
歌うことで人を繋ぐ。歌で福島に生きる。それが、Chanoさんがたどり着いたシンガー・ソングライターとしてのスタイル。お話を聞きながら、CMソングにもなった2017年の曲「link with the future」の中で彼女がまさにこんなふうに歌っていたことを思い出しました。
あなたとわたし 点と点 繋いで
のばしたなら 未来まで届くかなあ
想いを描くよ 生きてるこの街で
出産を経験し、自らを取り巻く環境も、それによる歌との関わり方も大きく変わりました。しかし、歌うことが彼女のアイデンティティであること。それはこれからもきっと変わることはありません。