三波春夫を郡山に呼んだ祖父のDNA
vol. 3 2020-12-11 0
「お客様は神様です」の名言で知られる昭和歌謡の偉人、三波春夫さん。みなさんも名前ぐらいはご存じでしょう。三波さんはもともとは浪曲師で、下積み時代には南條文若(なんじょうふみわか)という名前でいわゆるドサ回りをしていました。
その時代、たぶん昭和30年頃だと思いますが、郡山市(当時はまだ富田村だったかも)の富田小学校で当時PTA会長をしていた私の祖父は、学校の催しで南條文若をブッキングし、体育館で浪曲をうならせたと言います。2年連続で彼を呼び、3年目も呼ぶことになっていたらしいですが、そのわずか1年の間に祖父はガンで亡くなってしまい、3年目の興行は叶わなかったようです。
その後、南條文若さんは三波春夫さんとなって日本を代表する大スターの座に昇り詰めるわけですが、公演で郡山に来るたびに「どなたか富田の髙橋さんという方をご存じないですか?」とステージでお客さんに問いかけていたという話を聞いたこともあります。音楽業界で仕事をするようになってから、三波さんが所属していたテイチクレコードと仕事をする機会が幾度かあり、テイチクを訪問するたびに三波さんに会えないかと思っていたのですが、残念ながらそれは叶わず2001年に三波さんは亡くなってなってしまいました。
三波さんはもちろん、祖父とも当然私は会ったことがないわけですが、今の自分を思えば、私の発想や行動のルーツというか、DNAはここから来ているんだろうなと思います。隔世遺伝というやつです。
なぜ自分がクラウドファンディングをやるのか。郷土愛はわかる。音楽愛も確かに持っている。ではそれを形にするためのエンジンは?と考えた時に、私にはどうしても、会ったことのない祖父の見えざる力を感じずにはいられません。祖父もきっと「地元のみんなに音楽を聞かせたい、音楽で村を盛り上げたい」と思って若き三波春夫さんを呼んだのでしょう。純粋に自分が音楽を楽しみたいというのもあったかもしれない。それは今の私も一緒です。福島を音楽で盛り上げたい、福島の音楽を盛り上げたい、聴きたい、聴かせたい。祖父の遺伝子がそんな気持ちを抱いた私の背中を押し、コロナを機にその圧が強くなって、「お前がやるんだよ」とクラウドファンディングに自分を向かわせたのだと思います。
引っ張り上げる力もないのに手を差し伸べてしまう。そんなところが昔から私にはあって、そのせいで、音楽の世界でもずいぶん失敗をしました。20年ぐらい前、仕事でご一緒したアコーディオニストのcobaさんはそんな私を知って一言こう言いました。「キミ、バカだね」と。一瞬カチンときましたが、そのあと彼はこう言葉をつなぎました。
「でもアーティストって、そういうバカが一緒にいてくれないとやっていけないんだよ」
ここまでご支援くださっているみなさん、こんなバカにお付き合いいただき本当にありがとうございます。そしてこれからご支援くださるみなさん、ぜひ、こんなバカをやってる私に少しだけお付き合いいただき、ご支援をお願いできませんか?
あと3週間あまり。必死こいて頑張ります。よろしくお願いします。
(ソスイレコード代表 髙橋晃浩)