祖父の農機具小屋から始まった音楽への道《参加アーティスト紹介[1]》矢野雅哉
vol. 2 2020-12-08 0
2020年4月に初めてのソロEP『ROUTE 6』を発売した矢野雅哉さん。そのタイトルが示す通り、ストレートでシンプルな弾き語りに故郷への強い想いが滲む素敵な作品です。
浪江生まれ浪江育ちの矢野さん。実家は原発から8kmの位置にありました。高校に入って初めて組んだバンドの練習場は、母方のおじいさんの農機具小屋。「音がうるさくて近所の人に怒られましたね」と笑いますが、家族に咎められたことはなかったと言います。
その後、大学進学を機にバンドごと上京し、仲間と音楽に没頭。メンバーチェンジに解散、ソロ活動を経て新たにバンドを組み、その活動が軌道に乗った頃、東日本大震災が発生します。両親の無事が確認できるまでには4日を要しました。
震災から数日後になんとか開催できたライブの、そのあとの打ち上げ。演奏を振り返りながら今までと同じように乾杯をする仲間を横目に、彼はどうしても酒を飲む気になれませんでした。浪江の人間として、何かできることはないのか。自分なりに伝えるべきことがあるのではないか。気づけば彼は、それまでほとんどしてこなかったライブのMCで、口をついたように浪江のこと、福島のことを語るようになりました。それまではむしろ、福島出身であることを隠したいような気持ちだったのに。
2012年、震災後に初めて入った浪江の実家。その様子を写真に撮り、ブログに載せました。その記事が有名アーティストを含む数万の人々の目に留まることになり、彼の気持ちはさらに故郷へと傾いていきます。
そして2014年末。いわきに新しくオープンする「いわきPIT」のスタッフとして福島に戻ることを決意。以後、音楽に関わってきた経験をいわきの音楽シーン、イベントシーンに活かしつつ、弾き語りによる自らの音楽活動を続けています。初めてギターを鳴らしたあの農機具小屋を貸してくれたおじいさんは今年の6月に亡くなり、故郷を歌った『ROUTE 6』は、図らずもはなむけの1枚ともなりました。あの小屋がなければ、もうとっくに音楽はやめていたかもしれない。両親は福島市に新しい住まいを構え、生まれ育った町の姿も変わってしまいましたが、浪江で初めてギターをかき鳴らしたあの感覚が彼の心から奪われることはなく、彼が刻むギターのストロークの中に今も生き続けています。
※クラウドファンディング返礼品の特別ブックレットには、この内容をさらに深掘りした1万字インタビューを収録いたします。