握られた手を思いだしながら
vol. 27 2020-08-16 0
8月のこの時期になり、テレビや新聞、インターネットで戦争のことを見聞きする機会が多くなると、高校の修学旅行で行った広島で、被爆者のかたからお話を聞いたことを思い出します。原爆の恐ろしさについて本やテレビを通じていくらかの知識はありましたが、それを体験したかたが同じ空間で目の前に座って肉声で経験を語るのを聞くというのは全くべつのことでした。語られる被害そのものもすさまじいものでしたが、それ以上に、歴史の中でのひとつの記録のようにとらえていたその出来事が、今ここにいる一人の人間の現実としてあるということの生々しさが、私たちを圧倒したように思います。空気が重く張り詰めた会場で、泣き出す生徒も少なからずいたようでした。前のほうの端の席でメモを取りながらお話を聞いていた私も泣いてしまい、それが目に留まったのでしょうか。そのかたは語り終えて立ち上がり、歩き去る途中、私の前で足を止めて、手を差し出されました。もう20年以上前のことで、私はそのかたの顔をはっきりと思い出すことができません。でも、驚きながらも反射的に出した私の右手を両手でしっかりと握られた、その手の強さと熱はよく覚えています。
今年はコロナ禍で広島や長崎への修学旅行が多く中止となり、またさまざまな催しが取りやめになったことで、被爆者や伝承者のかたたちが証言をする機会が減ったというニュースを見ました。また別の日には、戦争に関する資料館が、管理者の高齢化や資金不足のためあちこちで閉鎖されており、多くの人が寄せた貴重な資料が行き場を失っているという話も聞きました。今年で戦後75年となり、戦争経験者から直接お話を聞くことはこれからますます難しくなります。私たちは、戦争を生き延びたかたがたが次の世代につなごうとしてくれたものを受け止め、次につないでいくことができているのでしょうか。あの日握られた手を思い出しながら、伝えるということについて思いを巡らす8月です。
細川真衣