応援メッセージ⑥
vol. 17 2020-03-12 0
応援メッセージ、第6弾。
今回は、新人Hソケリッサ!のメンバー、奥多摩にゆかりのある作家、和田の才能を見出したギャラリストからメッセージをいただきました!
アオキ裕キ(振付家)
和田監督は僕らの身体をゆさぶり、日常をゆさぶる。
当たり前のように不自由さの中に生きる身体にとって、僕らは叫びとなって存在し、奥多摩から生まれる暴風に乗り舞い上がって行こうと思います。
この映画の行末はきっとまだ誰もわからない。たくさんの方に届きますように。
二藤建人(美術家)
「和田昌宏が映画を撮る」と聞いて、これはすごいことが起こると直感した。
映像作家としての和田昌宏は彼自身のもつあらゆるアイディアや高い撮影技術を、何かを隠すために使用しない。
むしろ本来隠すべきものを絶妙に顕にすることで、そのことの意味と無意味の狭間に世界を作り出すことができる作家だ。
例えば和田さんは映像制作にあたり、躊躇なく家族や周辺にいる人物をキャスティングするし、自身の生活圏やその周囲をロケーションとして採用する。このことからも自らが眼差す世界の姿を「そう見えるように」演出するものではなく、「そう在る故に」そこに生まれざるを得ないものとして捉える姿勢が窺えるだろう。
和田昌宏は映画「Songs For My Son」によって日本社会の抱えるある状況を告発しようとしている。
しかしその告発の仕方は、政治家の演説のように内容の正しさを裏付ける事象を、矢継ぎ早に取り上げたりはしないし、コマーシャルな映像のように、共感を抵抗なく滑らせる為にゴツゴツした事象の岩肌をツルツルに整地したりはしない。
寧ろ自分が触れられるくらい近い現実の内に、鈍く反射する景色を見せようとしているのだ。
和田さんはこの映画製作にあたり(これまでの美術作品としての映像制作と同様)脚本を作っていないのだという。
自分の周りに偶然集まった人たちの姿を愉しみ、偶然訪れた大型台風を受け容れ、それら全てを映像制作のための重要な要素として信用している。これはとても美しい姿勢だと思う。
そうして和田昌宏による告発は今回、映画という大きなスケールの中で映し出される世界と人々の営みの内から、ゆっくりと、意味として溶け出してくることだろう。
誰も観たことのない、世に言われるのとは違った尺度の「美しい」映画が出来上がる。撮影が進みビジュアルが現れるにつれ、その予感が徐々に確信に変わりつつある。
小鍋藍子(ギャラリストAI KOKO GALLERY)
国立奥多摩美術館やインスタレーションのインパクトが大きいので、そこが目立ちがちですが、同時にプロジェクトに関わる皆さんの熱意もひしひしと感じます。
和田さんの作品は、それが彫刻だろうと映像だろうと、まわりにいる人のリアルな日常を取り入れながら物語が作られています。
身近な誰かやわたし自身がパラレルワールドにいるかのような、少しおかしいけど、せつなくて、ホロリともくる世界。「映画であり、美術でもある」という表現になっても、それはきっと鑑賞者へ伝わると祈っております。
初の長編映画へと踏み出す和田監督を、応援しています。
完成まで大変だと思いますが駆け抜けてください!