天命反転住宅はなぜ三鷹にできたのですか?
vol. 4 2021-10-07 0
三鷹天命反転住宅 初期構想プラン(2棟案)
クラウドファンディングも開始より4週目に入り、10月7日現在で446人の方から710万円を超えるご支援を頂戴しています。改めてたくさんのご支援本当にありがとうございます。
住宅を管理運営していると「天命反転住宅はなぜ三鷹にできたのですか?」というご質問をいただくことがあります。
「ジブリ美術館が近くにあるからですか?」「宮崎さんのご紹介?」いろいろご想像いただいているようなのですが……天命反転住宅が三鷹にあるのはそういった訳ではなく、そもそも建設候補地を探す段階で荒川修作とマドリン・ギンズが希望していたのは「普通に生活をする住宅街に建てたい」ということでした。
ただ、荒川修作とマドリン・ギンズは世界的なアーティストではありますが、普段はニューヨーク在住、日本の不動産事情に詳しいわけでもなく、養老天命反転地や奈義町現代美術館は地方自治体とのプロジェクトでしたから、デベロッパーと直接仕事をしたこともありませんでした。しかしそこは荒川+ギンズです。自分たちのプロジェクトにふさわしい土地は自分たちで探す!と無謀にも三鷹天命反転住宅は土地探しから始まりました。それはニューヨーク事務所のスタッフがインターネットで土地情報を見つけ私ども東京事務所に連絡、私たちが土地を見に行って報告するというGoogle Mapのない時代に人海戦術で情報共有を行うというとてもアナログなものでした。
実は三鷹のこの場所に決まる前に江東区のとある土地が候補にあがり、荒川修作が実際に現地を視察した上で土地を購入する話まで進んだことがありました。しかしこの土地について購入直前に、過去に工場跡地だったため、住宅を建設するなら新たに地質調査の必要性を指摘されました。もし土壌汚染が報告されれば除去作業の可能性もある、というのです。関係者からは「そのくらいは都心の土地ならよくあること」という反応だったのですが、荒川はその点に強くこだわり「もし土壌汚染があり、土の入れ替えをすることになったら、その入れ替えた土はどこに持っていくのか?持っていった先が今度は汚染されるのではないか?他の人に迷惑をかけてまで建物を建てることはできない。」とその土地購入を取りやめ、結局全てが降り出しに戻ってしまいました。
森下プロジェクト 2003〜
土地選びが難航する中、東京事務所代表の本間がもともと三鷹市にご縁があったこともあり、地元の関係者の方にご紹介いただいたのが現在の三鷹天命反転住宅が建っている土地です。この土地に落ち着くまでの経緯はそれだけで一篇の物語のようなのですがここでは割愛します。それほど多くの有名無名の方々のお力添えがあって三鷹市大沢のこの土地に天命反転住宅が建設されることになったことを付記しておきたいと思います。
さあいざ土地を購入して建設工事が始まると、現場で頻繁に打ち合わせが行われます。一時帰国の際は都心のホテルを定宿にしていた荒川は、三鷹天命反転住宅まで一人で電車に乗ってやって来るのですが、その際、駅から乗ったタクシーを建物の前に着けるのではなく、1〜2ブロックくらい手前でタクシーを降り、そこから歩きながら建物を見るのがお気に入りでした。
現場のスタッフは、そんな荒川を迎えるため、建物が面している東八道路(片側二車線の幹線道路)の向こう側に渡り、荒川が現れる瞬間を全員で出迎えたものです。
東八道路を挟んで三鷹天命反転住宅を向かい側から眺める荒川と瀬戸内寂聴さん、現場所長の大川さん(2005年7月28日)
荒川修作とマドリン・ギンズ、そして現場で、あるいは完成までに様々な場面で携わった全ての人たちの想いが詰まったこの三鷹天命反転住宅を、皆様にも未来永劫ご体験いただきたいと考えています。
三鷹天命反転住宅のクラウドファンディングはまだまだ続きます。
みなさま、どうか引き続きプロジェクトの応援、お知り合いへのお声がけやページのシェアなど、お力をいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます!
荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所スタッフ一同&三鷹天命反転住宅より