海野十三について思うこと〜90年前の「娯楽」の精神〜
vol. 4 2024-11-20 0
こんにちは、映画『鍵から抜け出した女』監督の高階です!
今回このプロジェクトを公開したところ、ありがたい事に海野十三作品の愛読者の方からも反響を頂きました。
なぜマイナーではありながら、今の時代にも海野十三の作品が愛されているのか?
それは彼の作品が、いつの時代も古びない「娯楽」の精神に貫かれているからだと思います。
提供:海野十三の会
海野十三のデビューは1928年(昭和3年)、済南事件が勃発し日本が戦争への道を歩み始めた年でした。
その後、彼は戦時下の日本で作家として活動していきます。
戦時下の日本で作家として活動するという事は、つまりお国のための戦意高揚につながる小説を書くという事でした。
海野の代表的なシリーズである探偵の帆村荘六も、初期の自由奔放な青年探偵から敵国と戦うジェームズ・ボンドのような国際スパイ探偵へとその姿を変えていきます。
しかし、敗戦によってその作家活動は途端に「悪しき責任者」としてのレッテルを貼られることになってしまいました。
青空文庫:海野十三
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person160.htm...
僕は海野十三の小説ももちろん好きなのですが、彼の作品で特に惹かれたのが『海野十三敗戦日記』です。
この日記には東京の空襲の中で一市民として生きる海野十三の赤裸々な感情が記されていて、敗戦直後の作家の愛国者としての挫折、軍国作家としての絶望には思わず胸を打たれます。
戦後間もなく病でこの世を去った海野十三は、同時代に活躍し親交のあった江戸川乱歩や横溝正史とは対照的に現在では知る人ぞ知る存在となってしまいました。
しかし、彼の「娯楽」が後世に与えた影響は絶大です。
手塚治虫、藤子不二雄、そして宮崎駿など、のちの日本の「娯楽」を創り上げた面々が、海野十三作品の影響を公言している事からも、いかに戦中・戦後の少年たちに海野十三の作品が力を与えたかが伺えます。
「娯楽」とは、まさにこうした力を持つ作品の事を言うのだと思います。
戦時下・敗戦下の貧しい日本にあって、海野十三の作品がどれほどの少年を元気づけた事でしょう。
彼の作品が単なる戦意高揚小説ではなく、時代を超えて読者に力を与える「娯楽」の精神を持っていたからこそ、海野十三の名は今も消えずに残っているのだと思います。
海野十三が90年前に持っていた「娯楽」の精神を、自分なりに貫ける作品を完成出来ればと思っております。
宜しければ是非ご支援の程、何卒お願いいたします!
高階
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