映画『サクリファイス』を応援してくださるすべての皆様へ
vol. 3 2019-12-18 0
映画『サクリファイス』の劇場公開に向けた宣伝・配給費のご支援をお願いするクラウドファンディングですが、開始から1ヶ月で目標達成率100%を突破することができました。ご協力くださった皆様に心より感謝申し上げます。本当に本当に、ありがとうございました。
これだけ多くのものを貰っておきながら、これ以上何を望むのかという思いもありつつ……それでもまだ旅は続きます。どうか、続けさせてください。
クラウドのページにもあるように、ここから先は「ストレッチゴール」としてパンフレットの制作費や、関係者の地方上映への移動費等の充填を目指します。
特に僕が願って止まないのは、関係者−−監督(とはつまり僕のことなので(あくまで自分自身のスタンスとして)自腹を切ってでも行くのが当然と考えていますが)・キャスト−−が各都市の劇場にご挨拶に伺えるようになることです。
キャストの皆さんは、まだこの映画が劇場公開どころか一度だって上映されるかどうか分からない状況の時から、ただ良いものを作りたいという一心で厳しい撮影を乗り切ってくださいました。まだ若い−−あまりにも若い方々です。そんな彼らに、お金以外で少しでも返せるものがあるとすれば、それはこの映画を通じて劇場関係者の方々や、観客の皆さんと交流を図り、広い世界を知って貰うことだと思っています。その中でお褒めの言葉を頂いたり、時には厳しい意見を突きつけられたり。その全てが若く、才能に溢れた彼らの糧となり、それらは巡り巡って必ずや今この苦しい時代を変えて行く希望の力になると思っています。ノブレス・オブリージュなのか、スパイダーマンの「大いなる力には大いなる責任が伴う」なのかは分かりませんが、彼らは必ずやそれを成し遂げるでしょう。
クラウドファンディング終了まで残り45日。
どうかもう少しだけ、この旅路を見守って頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。
壷井濯
※ここから先は、クラウドを開始してから今日までのことを綴った、極めて個人的な日記のようなものです。よろしければお読みください。
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12月17日の夜、メールが届いて、映画『サクリファイス』のクラウドファンディングを応援してくれる方がまた一人増えたことを知った。名前を見ると、6年前、柗下仁美さん(『サクリファイス』撮影監督兼副プロデューサー兼出演)と僕に使わなくなったカメラを譲ってくれた方だった。そのことがきっかけで僕らは本格的に二人で映像制作をするようになり−−その集大成のひとつとして『サクリファイス』がある。本編中でも、幾つかのシーンはそのカメラで撮影している。今はもう壊れてしまった。古いから買い直すこともできない。それでも大切に持っているし、これからも持ち続ける。
同じ夜、メールが届いて、クラウドファンディングの達成率が100%を突破したことも知った。クランクインから丁度丸2年の日だった。何だか色々出来過ぎていて笑ってしまった。泣き笑い。最近落ち込むことが多く、下を向きかけていたけど、そんな暇はないぞと言われているような気がした。そんな暇はないぞ上を見ろ。そこではたくさんの星が瞬いていた。それは皆さんお一人お一人の名前であり、言葉であり、心だった。
『サクリファイス』のクラウドファンディングを始める時、僕がどんなに心細かったか、言葉で言い表すのは難しい。誰も応援してくれなかったらどうしよう。どこの誰とも知れない奴がつくった小さな−−本当に小さな映画。震災をテーマの一つとして扱っていて。たくさんの人が苦しんだ、そして今も苦しみ続けている出来事。どんなにもっともらしい理由をつけようとも(そして勿論そこに嘘はなかったとしても)結局僕は僕自身のためにこの映画をつくったのだ。劇場公開を目指すのだって、一番は僕がこの映画を観てもらいたいからだ。そのための資金援助を皆さんにお願いする。甘えるな−−そう言われても仕方がないと思っていた。その言葉と真摯に向き合い、それでも−−「それでも!」とみっともなく縋り付いて、歯を食い縛りながら進み続けて、それでようやく本当にごく僅かな人たちからの理解が得られるだろう。そう思っていた。
でも違った。僕を待っていたのは、あまりにも多くの、眩い、皆さんの心だった。
学生時代の友人たちが居た。もう何年も会っていない。それでも「濯、応援してるよ」と変わらぬ優しさを届けてくれた。まるで昨日別れたばかりみたいに。
映画を作り始めてから知り合った人たちが居た。尊敬する人たち。「壷井くん、まだまだ全然ダメだよ、もっと勉強しなきゃ」と未来に投資してくれた。
映画祭に作品を観に来てくれた人たちが居た。ツイッターとかでいつも応援してくれてるから、ハンドルネームでもすぐに気づいた。「また観たいです、観に行きます」と言ってくれた。
初めましての人たちが居た。「予告を観ました」「応援してる俳優さんが出てます」。震災の日の経験を話してくれる人も居た。「どんな形であれ表現しようとしたことに敬意を表します」と。
こうして届いた一つ一つの星が、いつの間にか連なって星座になって。僕は僕が生きるための物語をそこから勝手に見出しているけど、大切なのは、それが本当は僕のための物語なんかではないということだ。現に皆さんが応援している人も、理由も、それぞれ違っていて、それを履き違えて「僕のためにありがとう!」なんて言うのは全く馬鹿げているし、ある意味僕が一番恐れていることでもある(この作品が描きたかったこととも真逆になってしまう)。
今この手の中にあるものは全て借りたもの。いつか皆さんに−−世の中に返さなければならない。皆さんが照らしてくれたおかげで、僕が道に迷わなかったように、僕も−−僕らもいつか誰かを照らしてあげられる存在になりたい。そのような物語を描き続けたい。
そのためにもまずはこの物語を、この『サクリファイス』をしっかり届けられるようにします。ここまで、本当にありがとうございました。
P.S.
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭でこの映画が初めて上映された時から、僕はインタビューで、舞台挨拶で、ブログで、ツイッターで……もうあまりに多くのことを喋りすぎていて、文字数換算したら恐らくとうに本編の脚本のそれをも越えてしまっていて、そのことを少し−−いや本当はとても恥ずかしく思うしすごく落ち込む。今もそうだけど、喋れば喋るほど、書けば書くほど、この「映画」で描きたかった「本当のこと」がこぼれ落ちて行ってしまう気がする。だけどそれでも(恥を忍んでこうして下手くそな)言葉を紡ぎ続けるのは、ここ数年「言葉」というものを軽視しすぎた(声を上げなかった)から今この国はここまでひどい有様になってしまったのではないかという強い自責の念があるからと、SKIP映画祭以降皆さんの発信してくれる「言葉」によって僕は本当に救われて来たと思っているから、そして例えみっともなかったとしても今の僕には「言葉」でしか皆さんに「作品」まで辿り着いて貰う術を持たないからです。
いつか、それを介さずとも、ただスクリーンに投影される1秒間24コマの光と影の物語だけをもってして、皆さんと心の交流が果たせますよう。
その日まで今しばらくお付き合い頂ければ幸いです。