金谷ヒデユキ、登場!
vol. 13 2018-11-30 0
2009年に横浜で福間雄三氏が主宰する幻野映画事務所の新しい映画を模索する会があった。春から夏までいろいろなアイデアがメンバーによって出された。ちょうど福間氏の兄・福間健二都立大名誉教授が映画「岡山の娘」を撮ったばかりだった。福間雄三氏は、短編「遺書」をつくった。
余談になるが、この企画会議でわたしが出したふたつの長編がのちに映画化した「道しるべ」の原型「働いてはみたけれど」だった。そしてもう一つが「カッパノボル」だった。世紀の老魔術師の話をムーランルージュ新宿座に題材をとった劇映画だった。このムーランを調べて行ったら次の年記録映画「ムーランルージュの青春」になったのでした。
しかしどの私の企画も予算が足りず、思いきって1日で撮影できる短編映画をつくろうと風来坊の話を思いつき、美術セットは、路上でチョークで絵を描くという奇策でこの年の夏に撮ったのが「お家へ帰ろーBlue Moon」だった。この主役の風来坊を誰がやるか、と考えた時、ふとボキャブラ天国で活躍していた地獄のスナフキン・金谷ヒデユキの顔が浮かんだのだった。彼はその時声優の会社にいたので代々木八幡の事務所ではじめてお会いしたのです。随所に自分流のアドリブを入れた演技にやはり笑いの人は、違うなあと感心した。そしてこの映画がその年の秋に蓼科高原映画祭で入選することに。
その小津安二郎記念蓼科高原映画祭で「点の記ー」で来ていた仁科貴君と渡辺真起子さんとこの映画際の夜打上げで呑むことがあって、2014年撮影の「道しるべ」にここで三人が合流することになったのです。本当に縁とは不思議なものです。結婚や恋愛に似てるとつくづく思います。
2016年2月金谷くんの故郷・高崎で映画「道しるべ」と短編「お家へ帰ろう」を上映した時、多くの彼の同級生や友人・知人が集まって古い電気館の場内が盛り上がった。そこで次は、群馬を舞台に金谷さんでもう一度撮ってくださいよ、という声がチラチラと聞こえてきた。ちょうどその時ロボット修理人の乗松伸幸さんの新聞記事を見たばかりだった。
それがだんだんと頭の中で膨れ上がって、ロボット修理会社の社長は、金谷ヒデユキしかいないと当てもないまま、ロボット葬式とか撮影を勝手にはじめて、今回の「ロボット修理人の愛」というシナリオにたどり着いたのです。彼のキャラクターは、もっと世に出てもいいと思う。
彼は、すこしシャイなところがあり、現在の大手事務所が羽振りをきかせいているゲイノウ会では生きにくいのかもしれません。でも100年後でも残る俳優さんであり芸人です。