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PRAY FOR CONGOをクラウドファンディングで実現!
現代世界における最悪の紛争地域といわれるコンゴ民主共和国。
反政府勢力と政府との武力衝突は2009年の停戦合意の後もなくならず、東部地域では今なお殺戮や強姦が横行しているとも言われています。
そんな中、37年間にわたって現地の病院で働いている日本人女性がいます。石田勝子さん。かつては「コンゴの宝石」と呼ばれた医療センターも、ここ十数年の騒乱と無縁ではいられず、2002年の騒乱では患者・職員が多数殺害され、石田さん自身も2004年に暴漢に襲撃され負傷。それでも自身の「使命」のために仕事をつづけ、医療検査技術の教官としてこれまでに500人以上の現地人材を育成、同国の医療普及に大きく貢献されています。
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「英治出版みらい基金」は、この世界をより良いものにするためのさまざまなアクションを応援する基金です。社会的課題にかかわる本の刊行に力を入れている英治出版のメンバーが運営しています。ご協力よろしくお願いいたします。
現代世界における最悪の紛争地域といわれるコンゴ民主共和国。
反政府勢力と政府との武力衝突は2009年の停戦合意の後もなくならず、東部地域では今なお殺戮や強姦が横行しているとも言われています。
そんな中、37年間にわたって現地の病院で働いている日本人女性がいます。石田勝子さん。かつては「コンゴの宝石」と呼ばれた医療センターも、ここ十数年の騒乱と無縁ではいられず、2002年の騒乱では患者・職員が多数殺害され、石田さん自身も2004年に暴漢に襲撃され負傷。それでも自身の「使命」のために仕事をつづけ、医療検査技術の教官としてこれまでに500人以上の現地人材を育成、同国の医療普及に大きく貢献されています。
世界最悪の紛争地といわれるコンゴ民主共和国で医療の普及に尽力する 石田勝子さんを応援するプロジェクトです。
暴力と貧困に覆われた国で、37年間、人々を支え、癒し、将来を担う 人材を育て続けてきた石田さん。その医療センターは「コンゴの宝石」 とまで呼ばれ、愛されていました。しかし2002年からの度重なる紛争で センターは破壊され、多くの患者・職員が命を落とし、石田さん自身も 襲撃を受け負傷。それでも石田さんは「これが私の使命だから」と コンゴに留まり、簡素な建物で医療活動と医療教育を続けています。
ぜひ、私たちと一緒に、石田さんの取り組みを応援してください。
・紛争で破壊された、石田さんの医療センターの再建を支援します。
・新しい校舎の建設のために不足している費用は120万円、衛生的なトイレ
の設置には40万円が必要です。
・プロジェクトの目標は40万円とし、目標額を超えてご支援いただいた分
は校舎の建設費に充てます。
世界最悪の紛争地域・コンゴ東部で、人々のために尽力する日本人女性がいます
現代世界における最悪の紛争地域といわれるコンゴ民主共和国。この国では長い独裁政権が終わった1990年代以来、歴史的な部族対立、金や石油など天然資源をめぐる対立、反政府勢力の武装蜂起、周辺各国の介入などにより激しい紛争が生じ、きわめて不安定な情勢が続いています。1998年からの紛争で540万人が死亡、医療不足が深刻で、9割以上の人々が病気や飢えで亡くなっています。
反政府勢力と政府との武力衝突は2009年の停戦合意の後もなくならず、東部地域では今なお殺戮や強姦が横行しているとも言われています。中央政府(首都キンシャサ:同国西部)の統治は東部には十分に及んでおらず、危険と腐敗が甚だしいため、各国政府・大使館、国際機関の支援もほとんど届きません。
そんな中、37年間にわたって現地の病院で働いている日本人女性がいます。石田勝子さん、宮城県出身。医療技術を学んでいた20歳のころ、通っていた教会とかかわりのあった宣教師の義弟が1964年のコンゴ動乱のなかで殺害されたのをきっかけにコンゴ(当時ザイール)へ。東部ニャンクンデの福音医療センターで「天職」に出会いました。
かつては「コンゴの宝石」と呼ばれた医療センターも、ここ十数年の騒乱と無縁ではいられず、2002年の騒乱では患者・職員が多数殺害され、石田さん自身も2004年に暴漢に襲撃され負傷。それでも自身の「使命」のために仕事をつづけ、医療検査技術の教官としてこれまでに500人以上の現地人材を育成、同国の医療普及に大きく貢献されています。
1944年宮城県古川市(現・大崎市古川)生まれ。難病を抱えた兄がきっかけでクリスチャンとなり信仰の道に。東北大付属衛生検査技師学校に在学中の64年、コンゴ動乱での宣教師殺害の報に触れコンゴ入りを決意。卒業後、帯広の病院で衛生検査技師として2年間勤務、フランス・ベルギーで語学と熱帯医学を学び、74年にコンゴ(当時ザイール)へ渡る。東部州ニャンクンデの総合病院「福音医療センター」で医療技術を教え、以来500人以上の検査技師を育成してきた。2002年の騒乱で病院が甚大な被害を受け、自身も04年に負傷。それでも現地での仕事をつづけ、授業のみならず現地の貧しい学生を自宅に住まわせ世話するなど、同国の医療普及に全力を注いでいる。
アフリカ大陸の中心に位置するコンゴ民主共和国。1960年にコンゴ共和国としてベルギーから独立して以来、この国はたびたび激しい動乱に覆われてきました。 民族対立や東西冷戦の力学も絡んで生じた5年にわたる内戦を経て、米国の後押しを受けたモブツ・セセ・ココが1965年にクーデターで政権を掌握。国名をザイールに改め、独裁体制を敷きました。モブツ大統領は先進各国からの援助資金のほとんどを着服する一方、有力者らには資源開発を許可して懐柔。腐敗の連鎖によって政権を維持します。一般の住民にとっては、モブツ時代は比較的落ち着いた時代でした。
1994年、隣国ルワンダで大虐殺が発生。コンゴ東部に大量の難民が流入したことも相俟って、フツ族・ツチ族の民族間対立が激化します。その混乱に乗じて、モブツ政権の腐敗に不満を募らせていたローラン・カビラが決起。ルワンダ政府の支援を得て、反政府軍を率いてキンシャサに進撃します。1997年、32年間続いたモブツ政権は打倒され、ローラン・カビラが大統領に就任しました。
カビラ大統領は国名をコンゴ民主共和国と改め、腐敗した政治家・役人らを追放して改革を推進しました。しかし、急進的な変化が反発を招き、1998年には新たな反政府勢力コンゴ民主連合(RCD)が結成され、ルワンダ・ウガンダの支援を受けて激しい武装闘争を開始します。2001年にはカビラ大統領が暗殺され、国はますます混迷の度を深めていきます。ルワンダ、ウガンダから武力勢力が流入し、各地で殺戮や略奪、暴行が頻発するようになりました。
コンゴの大商人らが自らの利益のために反政府勢力を支援する動きも広がりました。部族間対立に金や石油など天然資源をめぐる利害も絡み、コンゴ東部は先の見えない混乱に陥ったのです。暗殺されたローラン・カビラの後を継いで大統領に就任した息子のジョゼフ・カビラが内戦終結をめざすものの、2009年の停戦合意の後も武力衝突はなくならず、東部地域の混乱状況は現在もなお続いています。 1998年からの紛争における死者は540万人にのぼり、暴力は今も後を絶ちません。医療不足も深刻で、9割以上の人々が病気や飢えで亡くなっています。
PRAY FOR CONGO コンゴで活動する日本人、石田勝子さんを応援するサイト
http://www.eijipress.co.jp/sp/congo/
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