代表挨拶
vol. 2 2023-10-07 0
はじめまして、舞台芸術家の安本達也と申します。
舞台作品『のこり日』クラウドファンディングをご覧いただきありがとうございます!
このプロジェクトでは少し「変なこと」をしています。
それがこの作品を通して「やってみたいこと」なのですが、今回は主催挨拶として、そのことについて少し聞いてください。
『ひとりでやらない理由』
今回のクラファンの発起人は実はわたしなのですが、プロジェクトをメインで進めているのは別の方なのです。
普通プロジェクトを興す時、そのプロジェクトを推し進めるのはそれについて最もアイディアのある人であり、大体が発起人であるのかなと思います。
アイディアというのは浮かんだ人にとってはまだはっきりしているのですが、第三者にとってそれを正確に認識することは、関係が親しくても意外と難しいものです。
クラファンが成功しないリスクが大きいのですが、試してみたかったのでやってみました…笑
さてその理由ですが、このプロジェクトではわたしたちが考える「社会と個人を繋ぐ舞台の役割(これについては後で詳しく話します)」をもっと舞台人以外の方に知っていただきたい、そのためにはまずわたしたちのグループの中で、それを語ることのできる人を増やす必要があると考えたからです。
長期的に物事をよくしていくためには、わたしは単純に「それに関わる人が増えること」が最も大切だと考えています。
関わる人が増えれば質が向上し、手法が工夫され多様化もする。
多様化すれば文化として根付き、さらに関係人口が増え資本が動く。
資本が動けば…と芋づる式によくなる方へ螺旋状に進みます。
そのためには広めないといけないのですが、ひとりで増やすより「広めてくれる人」を増やす方が何倍も効率がよいですよね。
ひとりではできないほど広がっていきます。
つまり「人が増えれば問題は解決する」のです。
なのでまずは第一歩として、自分たちのグループの中でそれを言語化して語ることのできる仲間を増やすため、別の方に今回のプロジェクトを進めていただくことをお願いしました。
『民主主義をちゃんとやる:話す人が増えれば、気づきも増える』
問題解決の第一歩は「問題があること」を認知することです。
わたしたちのグループでは「ディバイジング」(今後別の方がこれについて詳しくお話しします)という手法を取り入れています。
ディバイジングとは集団創作と呼ばれるイギリス発祥の創作手法で
《プロデューサー≧演出家=脚本家>>>俳優≧スタッフ》
という従来のヒエラルキー構造ではなく
《プロデューサー=演出家=脚本家=俳優=スタッフ》
といった、「誰もトップではなく誰もがトップ」という構造を目指すものです。
一口にディバイジングといってもたくさんの種類があり、わたしたちが目指すものは個々が意思決定権を保持し、有機的に機能するティール組織に似た構造を目指しています。
…あまり専門的なことをここでお話しすると引かれてしまうかもしれないので省きますが…笑
要は
「全体主義ではなく民主主義」をちゃんとやりたいんだ!!ということです。
どんな場所でも問題は常に起こります。
それは当たり前のことで、ビジネスでもなんでも極論「問題解決」しているだけなんだとも思います。
ところが問題というのは見えないことも往々にしてあります。
話す人が増えれば、その分問題を素早く見つける確率が増えます。
つまり民主主義を徹底すれば、その分増える難しさもありますが、問題を素早く解決しやすくなるメリットもあると考えています。
『考えを共有するけれど、それをひとつにしない理由』
人にはそれぞれ考えがあります。
わたしたちは常に話し合いをしますが、お互いが納得するまで話し合わないこともあります。
それは考えを一元化しないための工夫です。
お互いに違う考えを持っているということは、先に話したような民主主義を機能させるために必要なことで、その状況はやっぱり難しく、慣れておく必要もあると思っています。
「あなたはそうなのね」と放っておくのでもなく
「こう考えては?」とネゴシエーションし擦り合わせるのでもなく
「理解できないものがあることを理解して、常に理解できないことに取り組む」
ことに慣れていきたいのです。
別にひとつの考えを理解できなくても組織として機能することを試してみたい。
個々の考えを尊重し、相反するものでも同時に存在できないかを模索したい。
多様な考えはそれそのものを豊かにし、ひとりの考えだけでは生まれないたくさんの付加価値をもたらしてくれる。
そんな思いでこのプロジェクトをやっています。
『アーティストの社会参画を真剣に考える』
長くなってますが…笑
「なんで支援した方がいいの?」ということをお話しします。
まず、先にもお話ししている通りこのプロジェクトは一般的にうまくいく方法でクラファンを行っていません。
ですので爆死の可能性が大です…笑
でもそれこそが、わたしたちアーティストが社会にいる意味でもあると考えています。
そもそもアートはなぜあるのでしょう?
どうして有史よりずっと、舞台をはじめ様々なアートは存在し続けているのでしょう?
「アートなんて社会活動で必要ない」という意見もあります。
でもアートってわたしの考えでは社会を健康的に機能させる上で「絶対必要」なんだと思います。
演劇を始めアートが社会に必要な理由について、わたしたちも社会の一員として、その存在意義をちゃんと言語化しないといけないと思います。
『アートは社会の失敗屋さん』
アートの本質は前衛です。
前衛とは先駆であり、「まだやったことないことを先んじてやる」ということです。
前例のないことに取り組むことは、失敗をし続けるということでもあります。
言い換えれば、「社会に対し先んじて失敗経験を重ねることで、成功の手助けをする」ということだと思います。
何かの問題に直面したとき、「あいつに聞けばわかるだろう」という経験はあると思います。
それはその人が先んじて失敗を重ねることで、あなたの成功の手助けをしているのです。
「何に役立つのかわからない」失敗を繰り返すことは、いつか役に立つ失敗例をつくっていることに他なりません。
演劇はチームワークです。
どんな作品でも必ずチームが存在し、その取り組みやチームビルディングもまた前衛であるべきです。
わたしたちのティール組織やディバイジングへの取り組みもそのうちのひとつです。
わたしたちに失敗させてください。
その失敗例や取り組みを社会に還元することが、わたしたちが社会に存在する理由のひとつです。
『社会と個人を繋ぐ舞台の役割』
またアートには、任侠的な役割があるとわたしは考えています。
わたしの考えでは、アートは主観です。
どれだけ客観にしようとしても自己というフィルターを通してしか作品は生まれません。
例えば写真は、対象物は客観ですがそれを選んだのは主観であり、構図やレタッチを含め、それらはすべて主観というフィルターを通して表現されています。
なのでアートは主観であるというのがわたしの持論です。
そしてアートはどんな形態をとっていても、発表されます。
アートを第三者が見ることは、社会に対して自己の主観を主張する行いです。
「社会に対して自己の主観を主張する」ことは、社会と繋がろうとする行いに他なりません。
わたしは、人間はすべて社会と繋がりたいんだろうなと考えています。
それはとても不思議でもありますが、「自分の存在意義を探す」行為は社会との繋がりを模索することです。
人間は多様です。
となれば、社会と繋がる方法も多様であるべきです。
アートはそれを積極的に多様化してくれ、一般的な方法以外の自分に適したもので社会と繋がる方法を提示してくれるものです。
そのうちのひとつとして、演劇もあります。
自己を表現する方法、言い換えれば社会と繋がる方法はあるだけあった方がいい。
なぜならそれを前例から見出せず、自分の存在意義を否定することを防ぐことができるからです。
社会と繋がる方法が多様であればあるほど、あなたがあなたであっていい理由はそのまま受け入れることができると思うのです。
『パラコラを支援する理由』
わたしたちの活動は、こういったことに根ざしています。
「失敗屋さん」なので、それも失敗するかもしれませんが…笑
わたしたちも社会と繋がり、その中で経験を還元していきたいのです。
それはきっと社会をより良くし、民主主義や資本主義を少し前へ進めるものになるとわたしは信じています。
どうかご支援ください。
一緒に社会を動かしましょう。
とっても長くなりましたが…笑
最後までお読みくださり、ありがとうございました。