他人の評価に自分の人生の舵を握らせるな!
vol. 21 2026-11-03 0
【万人に評価される映画などない】
どんなに素晴らしいと評価される映画であっても、その作品を高く評価する観客は、せいぜい全体の2割か3割程度ではないだろうか。逆に「最低だ」「なんだこれは」と酷評する観客も、同じくらい存在する。
特に海外の映画祭で評価される作品には、その傾向が強い。カンヌやベルリンで最高賞を受賞した作品であっても、国内では興行的に振るわないケースは少なくない。いわゆるアート系と呼ばれる作品には、よくあることだ。
わかりやすい例でいえば、アメリカのアカデミー賞受賞作品でさえ、必ずしも国内の動員に結びつくわけではない。
ましてや、僕らのような規模の映画が、そうした評価の世界に漕ぎ出したところで、雲をつかむような話なのかもしれない。
それでも、わずか2割か3割の観客から得られる評価を夢見て、映画を作ることはある。一方で、権威ある評価を求めることを捨て、興行に徹する映画もある。どちらを選ぶかは、作り手の考え方次第だ。
映画のレビューサイトなど、精神衛生上、決して良いものではないと思っている。
そもそも、わざわざネットに感想を書き込む人は、称賛か怒りか、どちらかの感情が強い人に偏りがちだ。星の数や辛辣なコメントに一喜一憂していても、精神的に良いことなど何もない。
結局、何を作っても一定の割合で批判されるのなら、自分が本当に創りたい映画を突き詰めたうえで批判されたほうがいい。
レビューに迎合し、誰からも強く支持されない中途半端な作品を世に残すくらいなら、そのほうがずっといい。
今回の僕らの映画も、もしかしたら一定数の観客から酷評されるかもしれない。それはやむを得ないこととして受け止め、残りの2割、3割から得られる称賛を夢見ることになるのだろう。
ただし、それは簡単なことではない。
批判される覚悟はあるのか。
評価されない現実を受け入れられるのか。
それでも自分たちの信じた映画を世に送り出せるのか。
さて、その覚悟が僕にはあるのだろうか。
やるっきゃないだろ。
【他人の評価に自分の人生の舵を握らせるな】
どんなに素晴らしいと評価される映画であっても、その作品を高く評価する観客は、せいぜい全体の2割か3割程度ではないだろうか。逆に「最低だ」「なんだこれは」と酷評する観客も、同じくらい存在する。
特に海外の映画祭で評価される作品には、その傾向が強い。カンヌやベルリンで最高賞を受賞した作品であっても、国内では興行的に振るわないケースは少なくない。いわゆるアート系と呼ばれる作品には、よくあることだ。
わかりやすい例でいえば、アメリカのアカデミー賞受賞作品でさえ、必ずしも国内の動員に結びつくわけではない。
ましてや、僕らのような規模の映画が、そうした評価の世界に漕ぎ出したところで、雲をつかむような話なのかもしれない。
それでも、わずか2割か3割の観客から得られる評価を夢見て、映画を作ることはある。一方で、権威ある評価を求めることを捨て、興行に徹する映画もある。どちらを選ぶかは、作り手の考え方次第だ。
映画のレビューサイトなど、精神衛生上、決して良いものではないと思っている。
そもそも、わざわざネットに感想を書き込む人は、称賛か怒りか、どちらかの感情が強い人に偏りがちだ。星の数や辛辣なコメントに一喜一憂していても、精神的に良いことなど何もない。
結局、何を作っても一定の割合で批判されるのなら、自分が本当に創りたい映画を突き詰めたうえで批判されたほうがいい。
レビューに迎合し、誰からも強く支持されない中途半端な作品を世に残すくらいなら、そのほうがずっといい。
今回の僕らの映画も、もしかしたら一定数の観客から酷評されるかもしれない。それはやむを得ないこととして受け止め、残りの数割から得られる称賛を夢見ることになるのだろう。
ただし、それは簡単なことではない。
批判される覚悟はあるのか。
評価されない現実を受け入れられるのか。
それでも自分たちの信じた映画を世に送り出せるのか。
さて、その覚悟が僕にはあるのだろうか。
いや!
他人の評価に自分の人生の舵を握らせてたまるか!
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