梵天太郎事務所 統轄 加藤 弘氏からの応援コメントです
vol. 9 2022-01-07 0
私が凡天太郎氏と知りあったのは、任侠映画(やくざ映画)全盛時代の1970年頃だったと思います。
練馬大泉の東映東京撮影所でした。
特に何かのきっかけがあったわけでもなく何度か顔を合わせるうちに肌が合ったとでも言いましょうか仲良くなっていました。
この「不良姐御伝猪の鹿お蝶」や「混血児リカ」など数多くの劇画原作者とは聞いてはいましたが、私にとっては只の兄貴的存在の遊び友達でこんなに偉大な人とは思っていませんでした。当時周りの人が「先生、先生」と呼ぶので私も「先生」と呼んだら「俺はお前さんの先生じゃねえよ」と言われそれから「凡天さん」「加トちゃん」と呼び合うようになりました。
私が1982年東映を退社して赤坂で映像制作兼タレント事務所を設立しました。
そこで二人はいくつかのビデオ映画制作、芝居、イベント等を手がけました。
今から思えば仕事というより全てが遊びの延長線上だったような気がします。
ほとんど凡天さんの経営するクラブ「プレイボーイ」に集まり飲み、歌い、そしてその後は凡天さんのおごりで新宿、銀座界隈で遊び回った事しか今では思い出せません。
そして2008年6月急に凡天さんがあの世へデビュー。
その後を継いで「梵天太郎事務所」の統轄として現在に至っております。
今更ながら凡天太郎の偉大さと素晴らしい功績を痛切に感じております。
数多くの凡天太郎の作品を大切にして世に残していきたいと思っています。
どうか皆様のお力をかしてください。
よろしくお願い致します。
2022年1月吉日
梵天太郎事務所
統轄 加藤 弘