希代の彫師 三代目彫よし氏から本プロジェクトへの推薦コメントが届きました!
vol. 6 2021-12-31 0
田中清美、石井きよみ、聖五郎、彫清、梵天太郎などの名称は同一人物でその都度に応じて用いたものであり、漫画家、紙芝居屋、脚本家、演歌師、歌手、デザイナー、映画俳優、刺青師などの職に就く毎に応じて使い分けていた。
多芸多才の持ち主であり一種の天才ともいえる。
梵天師の功績を数え上げれば切りがないがその一部を述べると画期的なアイデアの持ち主でありそれを充分に駆使して新しい世界を開いてきたともいえるが余りにも先見の明がありすぎたため当時としては世間からはあまり受け入れられなかったのも又事実であった。
刺青のドキュメント映画を制作したり当時世界ヘビー級のチャンピオンだったカシアスクレー(モハメドアリ―)に刺青模様のリングガウンをプレゼントしたり又ハワイのワイキキ海岸で刺青ファッションショーを開催して話題になったり、銀座三越百貨店でのファッションショーをも開き国内外で有名なファッションデザイナーとのコラボなど手がけている。
元は特攻隊の甲種予科練生として少年航空兵に志願し同期には安藤組組長安藤昇氏がいたという。
やがて終戦になり「黄金バット」で有名な紙芝居の加太こうじ氏に弟子入り後に絵画学校に入り後に京都の刺青師彫金師の弟子になり刺青師になる決意を固める。
この頃は彫清(ほりきよ)と名乗り、刺青の旅修行を始める。
略歴だけでも書ききれないので文末とするが、やがて梵天太郎(凡天)と名乗り横浜生麦で仕事場を持ち劇画の世界や映画の世界に活躍するようになる。
又数ある劇画の中でも特筆すべきはタランティーノ監督が敬意を表した「不良姐御伝猪の鹿お蝶」で、この度梵天太郎事務所より全24作が単行本として出版されることとなった。
師の残した偉業の一つが改めて世に出るのは嬉しい限りである。
これを機に今はなき良き昭和を偲ぶのも又良いものであろう。
ちなみに漫画を「劇画」と呼び刺青を「肌絵」と名付けたのも梵天師の残されたもののひとつである。
後年沖縄に移住し「梵天肌絵塾」を開き門下生を集める。
とにかく想像を絶するアイデアと人脈を持つ良い意味での怪人である。
1999年に恵比寿で開かれた東京タトウコンベンションで再開した折に拙画集「百鬼図」をプレゼントしたところ師曰く「ワシはお主だけは認めとるよ」とのお言葉をいただいたのはつい先日の事のように感じるのは彼の持つ魅力の一つでもあった。
今は只冥福を祈るばかりである。
合掌
参代目彫よし 改メ 仁王 謹筆
2021年師走
伝説の刺青師が職人気質・プロであること・仕事観について語る貴重な映像「The Sacred Art of the Japanese Tattoo」 - GIGAZINE