楯を頂きました。(愛媛を振り返って)
vol. 128 2019-04-17 0
みなさま、
先日、愛媛国際映画祭プレイベント「審査員特別賞」の楯が届きました。
ありがとうございます。みなで頂いた賞です。なんと漆です!
重ね重ね、ありがとうございます。
海上は人生で3回松山に来ています。
毎回、なぜか生まれ変わったようになります。
今回はその事を書きます。
大学4年の卒業の時、TBSの「えび天」という深夜の番組に出演しました。三宅裕司さんが司会で、3分間で各々の自主映画を競うという勝抜き番組です。
「××(ペケペケ)」というユニコーンの曲に合せ作った8㎜作品で出場しました。もともと他の映画祭で落ちてしまったのを、残念に思った関係者がTBSに回してくれた様です。ゲスト審査員の永井豪先生には好評でしたが、結果は何も受賞できずでした。
合間にとある審査員にお礼を言ったら「君の作品、僕嫌いだから!」と言われ、どえらいショックを受けました。
翌日、気を取り直し、予定していた四国への卒業旅行に友人とでかけました。
乗り換えの倉敷駅でぼーっとしてると、女子高生が近づいてきて、
「昨日の『えび天』見ました!ペケペケの監督さんですよね?」
「!・・・有難う、でも(嫌われるんですよ、自分の作品は)」
言い淀んでる海上に向かって、
「?・・・私には賞とかわからないけど、がんばって下さい!」
彼女の言葉をじっくり、かみしめて四国に入り、旅の間ずっと考え続けました。そして、、
松山の道後温泉で、なべ焼きうどんを食べながら思いました。
「まだ映画をつくろう」
その年の夏、番組のスタッフから特番を組むからと連絡が入り、もう一度出演し「彩艶芸術賞」なるものをもらいました。実は、視聴者から大きな反響を頂いてたようです。
2回目は映画・ドラマの美術装飾で働きだした20代後半の頃です。土曜ワイド劇場『高橋英樹の船長シリーズ「瀬戸内・潮騒の女」』で再び愛媛に来ました。この頃、頑張って作った大長編8㎜『未完成パチンコ伝』がどこの賞にも入れず、そうとう落ち込んでました。当時は映画祭もあまりありません、5個くらい応募したら終わりでした。このドラマで俳優の海部剛史さんがゲスト出演されてました。突然インスピレーションが湧き「映画に出ませんか?」となぜか宴会の席で言い出してました。
「映画を作らなきゃ!」そんな閃きが起きたのが松山でした。
それから一年お金をためて、カメラマンに端尺を集めてもらい16㎜映画を撮りました。『ビーチウォーカー』という短編です。海部さんに主演を演じて頂きました。
この短編はブリティッシュ・ショートフィルムフェスティバル、クロアチア、ゆうばり映画祭のオフオフ等で上映しました。海部さんはその後テレビや映画で大活躍され、「探偵事務5 セカンドシーズン『グッバイマザー』」にも出演して頂きました。
「ビーチウォーカー」資料
「グッバイマザー」より
そして今回、『夢幻紳士 人形地獄』が、愛媛国際映画祭プレイベントで審査員特別賞を頂き、
「もう歳だし辞めようと思ってたけど、まだ映画を作って、ここに戻ります」
と、授賞式で宣言しました。それが松山です。
人生のターニングポイントに、なぜか松山に来る事になり、なぜか映画を作ることになるのです。
あのとき某審査員に「嫌い!」って言われたことで、一生懸命自分と向き合い考える事ができました。言われなかったらそのまま終わってたと思います。
それから、たくさんの出会いとご縁があって、今、やっとこうしてます。
振り返った事を書くと「どうした?」と心配されそうですが。大丈夫です。
まだまだ映画祭にはいきます、映画も続けます。この制作日誌も。
改めて、よろしくお願いいたします。
PS ヒューマントラストシネマ・ハートフルコンテンツで制作したショートムービー「エラヤッチャよいっ!」は徳島ロケでした。これも自身を語るのに忘れてはならない作品です。四国にはとことん縁があります。
「エラヤッチャよぃっ!」!より