「ホピの予言」から「コナラが教えてくれたこと」。11月の濃厚な物語。
vol. 34 2022-11-21 0
10月に続いて、11月も中身の濃い上映会が相次いでいます。全国の上映会を紹介できないのは残念至極ですが、私が伺ったところだけ紹介させてくださいね。
「鬼の結と大地の再生まつり」と題された2日間のイベントでは、アメリカ・インディアンと呼ばれるようになった人々の大切なメッセージを『ホピの予言』という映画を上映しながら伝え続けている辰巳玲子さんと矢野智徳さんの邂逅が実現しました。
実は玲子さんは、このプロジェクトが始動するにあたり、PAY FORWARDという推薦をくださった方。それは以前からお伝えしていますが、インディアンと共通する言葉を持ち、生き方をしている玲子さんと矢野さんに対談していただくことは、長年の夢でもありました。
それが11月5日、群馬県の「鬼石」というまちで遂に実現。さらに、11月6日には大地の再生講座まで開かれるという大きな円環が一つ繋がったような2日間になりました。
長命山寿光寺の中山ご住職率いる法螺貝隊と辰巳玲子さんの祈りの歌とインディアンドラムから始まった
神流川(かんながわ)が流れる鬼石というまち。ご住職によると、古来、人は人知の及ばぬ畏れの対象を「鬼」と呼んだ。自然とは鬼であり、鬼石では節分日も「福は内、鬼は内」なのだと
1時間50分の辰巳玲子さんと矢野智徳さんのトークショーはあっという間で、玲子さんは何度も矢野さんを「インディアン」と呼び、矢野さんはホピの生き方に共感し、お二人の底を流れるものが合流し、新たなうねりを生み出す瞬間に立ち会えた気がします。
私は埼玉県吉川市の「NUSHISAの台所」という場所で上映会があり、2日目の講座には参加できなかったのですが、予測不可能なドラマが待っていたそうです。
ここから、新たな物語が始まる
NUSHISAの台所は、漆器をはじめ選びぬいた手作りのものが並び、身体に優しい食事がいただける素敵な場所。お客様とのトークは、このくらいの規模が一番ダイレクトに伝わるなぁとしみじみ。ランチも美味しくいただきました。主催の荒幡さんは「パタパタシネマ」としてこうした上映会を三年続けていらっしゃるそうです。
11月12日は、このプロジェクトを応援いただき、「矢野さんトーク付き自主上映権」のリターンで行われた上映会が、私の地元である国立で「くにたち映画祭2022」の一環として開催されました。会場はこのまちで一番大きな「くにたち市民芸術小ホール」。
私が初めて国立で、ドキュメンタリーの自主上映会をしたのが2007年10月。鎌仲ひとみ監督の『六ヶ所村ラプソディー』と『ヒバクシャ~世界の終わりに』でした。それまで環境問題を真剣に捉えることなく、市民運動とも無縁な人生を送ってきましたが、この2本の作品を観て受け取ったものが重過ぎて、誰かと分かち合わずにはいられず、仲間を募り、女たち12人の実行委員会をつくったのでした。延べ400人近い方が観に来てくださった15年前の上映会。トークに来てくださった鎌仲監督の言葉を忘れません。
「イラクに落とされた劣化ウラン弾からの被曝で子どもたちが亡くなっていく。その原料は日本の原発から排出された核のゴミだった。ラシャという少女は私に言った。『私を忘れないで』。その約束を果たすために私はドキュメンタリーを撮っている」
鎌仲監督の映画は全部国立で上映すると決めて、2010年、ピースウィークinくにたち「まちじゅうが映画館」で『ミツバチの羽音と地球の回転』を上映し、2015年、原発事故後の女たちの奮闘と希望を描く『小さき声のカノン』を芸小ホールで上映しました。
その時一緒に実行委をやった仲間たちが、2022年11月10日さくらホール、11月12日芸小ホールで、『杜人』を上映してくれました。それだけでも、十分私にとっては胸に迫るものがあるのですが、矢野さんの胸にも熱く蘇る想いがありました。
2000年。かつて国立市民だった頃、矢野さんが市民運動として関わった百歳どんぐりの木の移植。国立というまちができる前からそこにいたどんぐり(コナラ)の木を人間の都合で伐採することを許さなかった国立市民は、木の引っ越しを矢野さんに依頼しました。矢野さんはコナラのいのちをつなごうと必死に取り組んだものの、結局大学通りに根付くことはありませんでした。
この日は早めに国立に到着して、数人のメンバーとともに大学通り~さくら通りを歩きながらフィールドワークを行いました。
22年前、何とかコナラを生かそうと大学通りに移植したけれど、3m下の礫層に泥水が詰まり、コンクリートのような硬盤層を形成、歩行者規制の時間制限でそこに穴を開けることができなかったことを、いまも矢野さんは重い宿題として抱えていると言います。
大学通りも、さくら通りも、道路側溝、泥水が流れ込んだ礫層に囲まれ、抜きのない植木鉢になっていること、それで樹木が弱っていること、でも、それは移植ゴテ一つで改善できることを説明しながら、いまは谷保第三公園に横たわり、ほかの木々の呼吸を支えているコナラの木のところへ出ました。
「コナラの木を、無駄死にはさせない」。
上映後のトークのテーマは「コナラが教えてくれたこと」。明治神宮の木々に象徴されるように東京の大動脈が詰まっていること、大学通りという国立の大動脈も詰まっているけれど、それは市民で点穴をあけていくことで息を吹き返すことを語りました。
フィールドワークの模様を含め、この日のトークは改めて、何らかの形でお伝えしたいと思っています。まだまだ書ききれない杜人の旅。続きは後日!
2022.11.21 前田せつ子
P.S.「大地の再生の視点と手法」特別編集DVD、鋭意編集中です。お待たせしている分、新たな映像も収録していきますので、お待ちいただければ幸いです。