「目的のない旅展」が始まったきっかけを書きました。
vol. 1 2020-08-22 0
2020年秋、長野県の辰野美術館で「目的のない旅展」を開催する。
「目的のない旅展」は、自転車で世界を旅した13人の旅人の写真とことば展。
僕がなぜ、「目的のない旅展」を企画したのか、というと、それは、子どもも大人も好奇心に素直になれる社会がいいな」と思っているからだ。
10年以上前になるけれど、僕もバックパッカーで世界一周の旅へ出かけた。
旅中も、帰ってきてからも、「どうして世界一周しようと思ったの?」と聞かれることがたくさんあった。
その度に、違和感を感じながら、それっぽい理由をつけて話すようになっていた。そうやって何度も話していると、不思議なことに本当にそれが旅に出た理由だと思うにようになっていた。
だけど、ふと「世界を旅したい」と思った時のことを振り返った時、もっと単純で純粋な気持ちだったと思い出す。
本当は、「旅に出たい」と思ったから「旅にでた」。世界を見てみたい、とか旅っていいな、というぼんやりとした気持ちのなかに、ワクワクした強い衝動があったから、旅に出たのだ。
誰かのやりたい、誰かの行きたい、誰かの面白そう、の背中を押す展覧会にしたい。
目次
なぜ、「目的のない旅展」なのか
一歩踏み出すとき、旅に出たいと思うとき。
どんなことを考えているだろう。
まだ見ぬ世界にワクワクしたり、まだ見ぬ世界に怯えたりする。
旅に出るとき、私たちはそれっぽい理由をつけて旅に出る。
今の社会は、理由を求めすぎてはいないか。
今の社会は、目的を求めすぎてはいないか。
だけど本当は、行きたいから、行くのだろう。
目的なんて、なくたっていい。
旅に出たいから、旅に出た。
目的のない旅が、理由のない出発がきっと私たちを少し自由にしてくれる。
好奇心で駆動する純粋な気持ちへ
2010年、僕は世界一周の旅の途中にいた。そのときに書いていたブログに「旅」について書いた文章がでてきた。それは、ラオスの文都「ルアンパバーンに向かうボートの上。
以下、ブログより転載(2010.03.02 「旅」)
これは、少し前の話だ。僕が、タイを出てルアンパバーンに向かうスローボートの中。風が気持ちよく、流れる景色は雄大で、I podから流れる音楽が心地よかった。周りは西洋人だらけ。聞こえてくる言葉は英語かフランス語かイタリア語にドイツ語、それからラオス語。他にもあるかもしれないけど、フランス語とクロアチア語の区別なんて僕にはつかない。そのとき、ふと思った。人は生まれたところの言葉を話すんだな、と。
そして生まれたところで色んなことが決まるんだな、と。日本で、鶏の鳴き声はコケコッコー、犬はわんわん。英語だと鶏はcock-a-doodle-doo、犬はbow bowだ。
日本で、虹は7色だ。でもアメリカでは6色だと聞いたことがある。僕らは生れて成長していくなかで、そういうものだと思っていく。そういう風に聞こえ、見えるようになっていくんじゃないのか。
何も知らずに鶏の鳴き声を聞いたら僕には何と聞こえるのだろうか。それはもう、分からない。
もしかしたらコケコッコーじゃなかったかもしれない。何も知らずに虹をみたら、僕はきっと、それが何色か、なんて数えない。
旅は多分、これだ。
新しい、見たこともない、聞いたこともないことを、自分の感性で、感じる。
虹が何色に見えるのか、それが旅、なんじゃないか。
鶏がなんて鳴くのか、それが旅、なんじゃないのか。自分が目撃者になるんだ。自分の五感で、六感で。 それが、旅だ。
僕はそう感じた。風をやんわりと切り裂き、メコン川の流れにのってゆっくりと下るスローボートのその中で。
これからも旅は続き、僕のなかでこれは、変わっていく、かもしれない。でも今はそう思う。
転載終わり
21歳のときの僕にも、人種も言語も様々なすし詰めのボートの上で感じたことがあったようだ。
「旅に出たいから、旅に出た」と言える社会。「おもしろそうだから、チャレンジする」、「かっこいいからやりたい!」、そんな純粋な衝動を止めないで欲しい、と僕は思う。
僕が一眼レフカメラを始めたときのこと
僕は仕事でたまにカメラマンもやるのだけれど、カメラを始めた最初のきっかけは、美ヶ原高原美術館でたまたまやっていた写真家の岡田光司さんの写真展だった。
たまたま行った美術展が人生を変えることがある。
大学生2年生の春、僕は岡田さんの写真を見て、興奮した。美ヶ原高原美術館は山の上にあって、車で町まで降りてくるのに2時間近くかかる。美ヶ原から町に降りたときには、もう量販店は閉店している時間。夜中まで一眼レフを調べた。翌朝、授業を受けている間中そわそわしていた。その日、2コマ目は休講か授業がなくて、1コマ目が終わると同時に大学を飛び出して、カメラ屋に向かった。
予算は限られているから、いきなり高いカメラは買えない。そのときに選んだのが、NIKON D60だ。懐かしい。
キャノンとニコンで悩んでいて、カメラ屋さんに入って二社のエントリーモデル、ニコンがD60、キャノンが確かkiss x2。その間を何度も行ったり来たりして。スペック的には似たようなものだった。
カメラを構えて、シャッターを押す。音の表現は難しいけれど、D60のシャッター音は「カシャッ」といういわゆるシャッター音。kiss x2は、ピチュンッ!、という少し電子音ぽい音だった。
それが、決めてだった。
シャッター音がニコンの方がかっこいい。それだけ。そのときの判断で、僕はニコンユーザー。
その後動画が全盛になっていくなかで、何度かあの時の判断を後悔した(キャノンの方が、動画に関していろんなところでユーザーフレンドリー)。それでも、やっぱりニコンの無骨さと頑丈さが好きなのでいいんだけど。
そして、このNIKON D60は、旅で僕に写真を撮る喜びを与えてくれてた。ありがとう。D60の最後は儚く、フィンランドの駅で盗まれて無くなってしまった。めちゃくちゃ悲しかったし悔しかった。
カメラなしで少しだけ旅をしたけれど、やっぱり寂しすぎてドイツでニコンのカメラを買った。あ、そのときにキャノンに変えていれば…、嘘です。
これがNIKON D60の最後の写真に...。カメラをスられた駅です。
たまたま行った美術展が、僕の人生にとって、とても大切だった。
そして、カメラを握った時、僕には目的なんてなかった。写真で世界の現状を多くの人に伝えたいとか、家族写真で家族に幸せな時間をつくりたい、みたいなことは全く思っていなかった。
あの日見た、あの写真のように、自然を写すことができたらどんなに楽しいだろう、という想いだけ。それだけ。
ただ、プロジェクトや会社など未来をつくる仕事に対して、目的はもちろん必要。むしろ何より大事だと思います。むしろ今の僕の仕事はプロジェクトや会社の目的を言語化することだったりするので、少しややこしい。経営者が、「かっこいいから」みたいな理由で経営のポートフォリオを組んでいたら、ちょっと待て、とはなる。
個人の衝動は最初から目的ベースではきっとないということ。
その衝動が行動に変わり、それがいつか目的に変わっていく。
だから、遠回り。旅は、無目的。
最後に、もうひとつ当時のブログの中から短い文章を紹介したいと思います。
以下転載(2010.01.24「タイからダッシュ」)
僕は最近、信号に「早く変わらないかな」とは思わない。
時間があるのはもちろんそうなのだが、信号が変わるのが待ち遠しい人は、目的地が決まっている人なんだ。
人は道に迷ったとき、「信号早く変われ」とは、思わない。
変わったら進まなくてはならないから。僕は今、迷子なのかもしれないな。
転載終わり
そんな時間も人生には必要だ。常に最短、常に最速ではなくて、回り道が僕らに大事なものを教えてくれる。
だから、今こそ「目的のない旅へ出かけよう」。もちろん旅じゃなくても大丈夫。やりたいことをやりたい、と言ってみる。
それを僕らは、「目的のない旅」と呼んでいきたい。
さいごに
目的のない旅展をより良いものにしていくために、現在クラウドファンディングに挑戦しています。もしよかったら、そちらも見てもらえると嬉しいです。HPには、今回参加してくれる13人の旅人の紹介も載っていますので、何卒よろしくお願いします。終わり。
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