映画配給日記 Vol.1
vol. 1 2023-09-24 0
いつも応援ありがとうございます。監督の高野です。すでに30万円近いご支援をいただき、驚いています…。本当にありがとうございます。
映画を自分で配給することは初めての経験です。はじめてみるまで、配給って一体何をする仕事なのか、ほとんど知りませんでした。せっかくなので、自分のためにも映画配給日記という形で、記録しておこうと思いました。
不定期ですが、たまにチェックしていただけると、ありがたいです!
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6月2日(金)
大型の台風2号が日本列島に近づいてきている。東京は雨こそ強くないが、すでに生暖かく湿度を含んだ風が吹き荒れている。夜にはきっと暴風雨になりそうだ。
映画『マリの話』の出演者であるNさんが、年末の撮影の時ぶりにパリから東京に帰ってきていた。お茶でもしましょうとお誘いし、池袋のカフェでお互いの近況などお話した。Nさんはフランスで女優として活動しはじめてもう10年以上が経つ。
監督/出演者という関係性を越えて、ついついNさんには個人的なことをポロっと話してしまう。この日も、ついついNさんに「今後、どこで何をして生きていきたいのか、わからないんですよね」と弱音をこぼしてしまった。『マリの話』の仕上げ作業が完了してからというもの、気が抜けてしまい、ぼくはずっとお休みをしていた。
「『マリの話』の公開を、とても楽しみにしていますよ」とだけNさんは言い、ぼくの目をじっと見た。正直、ハッとした。そうだ、ぼくにはまだ仕事があった。できるだけ多くの観客に『マリの話』を見てもらいたい。ぼくがすっかり忘れていた情熱を、Nさんが思い出させてくれた。
帰り際、Nさんがパリ土産のクッキーをくれた。共同脚本のMさんと一緒に食べよう。
6月3日(土)
夜に横浜で、友人で監督のFくんに会う。Fくんは昨年に2作品も監督作を劇場公開している、いま注目の新進監督だ。映画の劇場公開について何も知らないぼくは、Fくんに経験を聞かせてもらおうと思い、時間をつくってもらった。Fくんに質問をすると、ざっくばらんに何でも教えてくれた。ただただ、ありがたい……。そういえば『マリの話』の撮影前にも、親身に相談に乗ってくれ、背中を押してくれたFくん。
「というか、『マリの話』はお客さんを呼べると思うよ」。
すでに『マリの話』を見てくれているFくんは、『マリの話』に、どれだけ集客ができるポテンシャルがあるのかをロジカルに説明してくれた。そして説明されると、だんだんそんな気がしてきた。案外、というか、やっぱり、自分が監督した映画の魅力は、自分では気づけないものだなあと改めて思った。Fくんという信頼できる他者の目があるのは、財産だと思った。いつもありがとう、Fくん。
6月4日(日)
Fくんのアドバイスを元に、『マリの話』をどうやって観客に届けるとよいのかを資料にまとめ、映画プロデューサーのTさんに送ってみることにした。Tさんには配給協力でアドバイスいただいている。
「”マリの話” にはこんな魅力があって、観客を集客できます」と自分の映画について自分で言葉にするのは、なんだか居心地が悪く、慣れない作業だ。
そういえば、2017年に発表した短編『二十代の夏』のあらすじを「ちゃんと面白く書けた!」と思えたのも、2020年秋のことだった。その時には『二十代の夏』は自分の手から既に離れていた感覚があったので書けたのかもしれない。
『マリの話』の魅力を言葉にして観客に届けてくれる、経験ある宣伝の方に入ってもらう必要性を感じた。
6月6日(火)
昼過ぎ、共同脚本のMさんと所用で会う。Mさんと知り合ったのは、脚本家としてでなく、実は俳優としてだった。
2015年に撮影した短編『二十代の夏』にMさんは出演をしてくれた。撮影中、Mさんとホン・サンスの映画の話でよく盛り上がったのを覚えている。その後は、上映の舞台挨拶に参加していただくなど、監督/俳優という付き合いが数年続いたが、ある時、Mさんから彼の書いた小説が突然届いた。小説を書いている人とは知らなかったので率直に驚いた。
Mさんは『二十代の夏』の映画撮影の時のことをモチーフに、小説を書き上げていた。この小説が文芸誌の新人賞にノミネートしたそうで、一部、映画の脚本を使用しているから確認してほしい、ということだった。そして、この小説がすこぶる面白かった。Mさんはいくつか年上なので、同年代と言っていいのかわからないが、同年代で面白いことをしている人とはじめて出会った!といううれしい感覚があった。
無事にこの日の所用が終わり、Mさんに『マリの話』の海外映画祭の応募状況を聞かれた。Mさんは、スペインのサンセバスチャン映画祭にとても行きたがっていた。わかります。海沿いの、ご飯がうまい、天国みたいな街。以前、観客として参加した時のことを、鮮明に思い出した。フォアグラまじうまかった。
渋谷のキノハウス下で作業をしていると、プロデューサーのTさんから電話があった。実は、とても伝えづらいことがあったが、思い切って伝えてみた。怒られるかと思ったが、Tさんはただただ親身に聞いてくれた。どうやら、ぼくがやりたいような上映形態を仮に実現しようとすると、年内の劇場公開は時間的に難しいらしい。お互い、長い沈黙。Tさんは「今は考えがまとまらないから、掛け直すね」と言って、電話が切れた。困らせちゃったかな...と作業に戻ると、30分後に再びTさんから電話があった。
「配給のSさんを紹介したいから、明日の1時半から渋谷で会える?」
すごい。30分で話が進展した...!Tさんの優しさに触れ、ただただ感謝の気持ちで一杯になった。ありがとうございます...。
6月7日(水)
約束の1時間前に渋谷の某カフェに着くと、ちょうどTさんも到着したタイミングだった。
「1時半まで別の仕事するね」と仕事をするTさん。めっちゃ忙しそうだなあ……。
その後、Sさんも合流し、劇場公開までの道のりについて0から教えてもらう。Sさんは事前に、何にいくらかかるのかの試算をまとめてくれており(ありがたい)、それを順番にさらってゆく。観客として何となく知っていたこと(映画のチラシや予告編、出演者の舞台挨拶、監督の取材……等)が点だとすると、まさに点と点がつながって、劇場公開という輪郭がおぼろげに見えたような、気がした。
そして、Sさんの試算によると、仮に予定している2週間・計14回の上映で毎回平均80人を集客できたとしても、収支はマイナスになる、という。これはやばい。インディペンデント映画を自主配給している若手監督たちって、みんな死んじゃうんじゃないかな……。映画の興行収入から、海外映画祭応募用につくった英語字幕費をペイできたらいいな、パリから出演者のNさんを呼べたらいいな、なんて思っていたが、夢だった。夢を見ていた……。
お金のことはさておき、Sさんは、淡々とお話をされつつも、こちらに親身に寄り添ってくれる温かいお人柄の方だった。「信頼」という文字を人にしたような方だった。このような素敵な方と出会えることが、人生の楽しさなのかもしれない。変な言い方かもしれないが、すっかりSさんのファンになってしまった。
映画公開までの実務は、ぼくが自主配給という形で行うが、SさんとTさんが伴走してくださることになり、絶対がんばれる!と思った。
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次回の映画配給日記は、9月22日からの内容をお届け予定です。
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