大事な告白
vol. 39 2015-08-23 0
宇田川店の前の大規模再開発。
この一角にマメヒコパートⅢ、飯店と続けたお店が建っており、
そして、壊され、砂と埃になってゆくところです。
ボクは、ボクラは、ここでハタケマメヒコを始めた年に
この店を作ったのでした。
クルミドコーヒーを作った直後にこの店を作ったボクは、
クルミでやれなかった、木のレンガを内装の一面に使おうと思い、
真夏の、盛りの、ほんとうに暑い盛りのビルの三階で、
内装の安藤くんとともに、何千枚ものエゾマツのレンガを、
壁に一枚ずつ埋め込んだのでした。
手伝いますと、来春入社を予定していた青森の大学生の女の子も参戦し、
たしか妊婦の柿島もいたなぁ、
とんかつのおいちゃん、それと純喫茶に滝口さん、
パンのさえ、
秋のオープンに間に合わせようと、
あくせく汗を流した日がまるで昨日のことのようです。
開店し、厚切りトースト、サイフォンコーヒー、
とんかつ定食、カツサンド。
試行錯誤しながら、毎日みんなイライラし、
一方、ハタケマメヒコは大樹で始めた一年目で、
そちらはそちらでクヨクヨの連続で、
ボクは東京と渋谷を行ったり来たりしながら、
いつも、なんでこんなことをしているんだろう、
と溜息をつきながら、飛行機に乗っていました。
オープンしてからも哀しいことは次々とあり、
やがて、突然の立ち退き勧告があって、
僅かなお金で精算を済ませると、
大きな借金と、本棚、カウンター、とんかつ、
そして映画を作り、上映することというのが残りました。
そしてハタケも、違うところで違うヒトが、
違う形で今日も引き継いでいるんですね。
あれから、五年です。
今回の映画はボクラに起こった、五年を統括している映画なんです。
影山君演じる佐々木という男が、ゲーテ先生を訪ねてきて、
診療所の立ち退きを迫るというのもそう。
北海道でわざわざ映画のシーンを作ったのもそう。
谷川俊太郎さんの有名な詩に、
生きるというのがあります。
生きるということは、くしゃみをすることであり、
ミニスカートでなんであり、
ぶらんこがゆれていることなんだと。
ほとんどのヒトはどんなに辛いことがあっても反省なんかしないし、
またしたようでいて、ちっとも変わったりしない。
ただ、くしゃみをしたり、ミニスカートを履いたりすることこそが
生きるなんだ、と。
ただ、そうだけど、
そうだけれど、
もっと、クヨクヨしたり、もっとイライラしたり、
そういうものがなくては、
生きていても、情けないんだぞ、という気がボクはする。
谷川さんも、柔らかく描いているけれど、
そうに違いないと思う。
まもなく始まる映画は、
マメヒコの生きている、ing、という詩を、
映像でやるんだからね、と告白しておきます。