圧倒が欠けている、について
vol. 12 2015-07-12 0
昨日は、ふたつの野菜会、という月一度、定期的に開催している食事会でした。
北海道のマメヒコのハタケ周辺と、京都の野菜を中心とした食事会で、
お客さんは、前回同様、満席、
料理もまぁ、まずまずの出来栄えで、
あぁ、今回も成功だったね、よかったよかった、という感じでした。
ここんところ、やるイベントは、
いつも「今回も成功だったね、よかったよかった」、という感じです。
ですけど、ボクは全然そうは思わない。
こんなんじゃない、
もっと違うやり方、違う視点、違うポジションがどこかにあるはずなんだと、
ずっと考えています。
ボクらが、マメヒコでなにかをやるとき、
いちいち、カフエなのに、という看板が頭についてしまう。
それはとてもダメなことです。
カフエなのに、野菜を使った食事会を?貸し切りで?それはなぜ?
カフエなのに、冊子を?無料で隔月で?それはなぜ?
カフエなのに、大学を?それも毎日?それはなぜ?
お答えします。えっとですね、それはあのー、
あぁ、うるさい。って思う。
圧倒的ななにかがボクラに足りてないんですよ。
いや、ボクに足りていないんだと思う。
だから、カフエなのに?って言われたり、
かくかくしかじかというわけでしてと、弁明したりしている。
もう、カフエなのに、カフエ マメヒコなのにというのを、
封じなくてはいけないんだと思います。
カフエなのに、映画を作る?無名のヒトたちで?それはなぜ?
圧倒的な何かはあるよと言ってくれるヒトもいるけど、
きちんとてれずにそれを説明はできていなと思う。
どちらにせよ、こんなんではダメだ。
今朝は、とっても憂鬱でした。