ゲーテ先生に聞く
vol. 2 2015-06-19 0
ゲーテ先生役を演じている増原英也さんに、『ゲーテ先生』について、
そして『ゲーテ先生の音楽会』が映画『ゲーテ診療所』に
なることについて感じていることを聞きました。
劇『ゲーテ先生』としての手応え そして、限界も感じている
『ゲーテ先生』とは、一体誰なのか。考えるまでもなく、それは作家である井川さん自身です。ゲーテをこよなく愛するひとりの精神科医は井川さんの思想から生まれました。都会に暮らす人々は常に時間に追われ、人間関係、仕事、騒音、人混み等々、様々なストレスと戦い、傷つき、身心共に衰弱しながら毎日を送っています。
ゲーテ先生とは、カフエを経営しながらあまたのそういうヒト達を見てきた井川さんなりのひとつの「救済」なんだと思います。
「日本の都会にはドイツの街中にあるような教会がない。ボクはカフエをそういう場所にしたい」と井川さんは以前語っていました。
東京にも教会はありますが、ヨーロッパのように気軽には入れません。数も全くもって少ないし、やはりクリスチャンでなければ入ってはいけないような気持ちになります。
その点、カフエは全てのヒトに向かって開いています。
勿論カフエにもいろいろありますが、例えばマメヒコのような素敵なカフエの場合。そこには静かに音楽が流れ、ゆったりとした空間が広がり、癒しの空気に満ちています。喧騒からは遮断されながらも心地よい開放感があります。
カフエを出たときには静かな時間を過ごした後の心地よさが残り、また日常を頑張るための活力が溢れてきます。
お客さんには自覚がないかもしれませんが、癒しのあるカフエは街の教会であり、診療所でもあるんでしょうね。
昨年12月に誕生した『ゲーテ先生』が好評だったので、また今年の5月に、基本的なコンセプトはそのままにしながらも内容を一新した形で上演されました。
同じ役を違うお話で演じるというのは初めての経験でしたし、改めて今回はきちんとお芝居として、しかも5公演もやらせていただいて、最後の方はマスハラヒデヤと言う人間はほぼいなくなっていて、演じていることも忘れるくらい自分の体内のほとんどが『ゲーテ先生』になっていました(笑)。
ドイツ・リートへの挑戦もそうですが、今回も何から何まで初めて尽くしで、稽古期間中から千秋楽まで毎日が刺激的でした。初日から毎公演に違う感動があり、これぞ舞台作品の醍醐味と言えるほど見事にひとつひとつが違うモノになりました。千秋楽の後には充足感と達成感と無事に終えられたことの安堵などがありました。
それとは別に、自分の中にひとつの感情が芽生えるのを覚えました。それはなんというか言葉にするのは難しいのですが、今回は5日間で、のべ180人余りの方たちと感動を共有させていただけて、カフエとしては本当にすごいことだと思う一方で、またカフエという箱の限界点みたいなもの、これ以上のことはカフエを飛び出さないと無理なんだろうなと。良い公演だったからこその達成感から来る、ひとつのゴール。その先が見えなくなるような感覚に襲われ、2、3日くらい軽い鬱状態のような脱け殻になっていました。
オペラ歌手としての自分に戻るまでしばらくかかりましたが、なんとか立ち直ったところへ井川さんより映画化のお話しを伺い、まるで自分の頭の中を見透かされていたようで本当に驚きました。
まさに「そうきましたか!」という感じ。作家としてもプロデューサーとしても何かしら手応えを、このコンテンツに感じていらっしゃるのでしょう。すごく面白くなりそうな予感はしています。しかし同時に実現するまでには大変な道のりが待っていることも予想できます。だからこそやってみる価値があるのでしょうけど。
入学前の1年生のようにドキドキワクワクしていて、クランクインから映画の完成、そして上映に至るまで全てが楽しみです。