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疫病退散の神としてしられる「摩多利神」のお堂移転をクラウドファンディングで実現!

未来へつなげ、疫病退散の祈願 !
みんなのもとへマダラ神(摩多利神)移転プロジェクト

病いで子ども達が倒れていく、大切な人が戦場へ行ってしまった。人々は祈りました。真の祈りは大切な覚悟となる。医学や科学が発達した「今」、祈りは必要ありませんか?意味が無いですか?祈りを求める人達に本当の祈りをつなげたい。

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額1,500,000円を達成し、2023年2月21日23:59に終了しました。

コレクター
57
現在までに集まった金額
1,528,000
残り日数
0

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額1,500,000円を達成し、2023年2月21日23:59に終了しました。

Presenter
摩多利神お堂移転プロジェクト実行委員会 プロフィールを表示

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群馬県沼田市下川田町に伝わる疫病除けの神様 摩多利神。現在のお堂は参拝するのが大変な山の中腹あって、しかも崩壊の危機に直面しています。 このお堂を誰でもが参拝できる場所へ移すためのプロジェクト実行委員会です。 代表は、お堂の管理をしている下川田町区(令和4年度)区長の林誠一。 事務局は、毎年、春と秋の摩多利神祈願祭を執り行っています遷流寺住職の山口崇廣です。

  • 群馬県
  • 起案数 1
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  • フォロワー 7 人

このプロジェクトについて

病いで子ども達が倒れていく、大切な人が戦場へ行ってしまった。人々は祈りました。真の祈りは大切な覚悟となる。医学や科学が発達した「今」、祈りは必要ありませんか?意味が無いですか?祈りを求める人達に本当の祈りをつなげたい。

摩多利神(マダラジン)って何?

 南北朝時代、後醍醐天皇の忠臣、児島高徳が弘法大師作の不動明王を本尊として修行をしていると神のおつげがあり、摩訶迦羅天を彫り上げ、その尊像を『理趣経』に基づき摩怛利神として崇め奉りました。すると、怨敵を退散させ、疫病も除くご利益があったと伝えられています。

 この児島高徳は群馬県大泉町に高徳寺を建立し、摩怛利神は摩怛利堂に奉られていました。この厄病を除くという摩怛利神の信仰が、文政年間(1818 -)埼玉県妻沼の聖天山歓喜院を中心とした埼玉県の熊谷、深谷、本庄など、群馬県の伊勢崎、大泉、太田、桐生など、栃木県の栃木市などに多くの神社、寺院、信者を集めた『万人講』があり、その講の中から信仰が広まっていきました。

 ただ、高徳寺から聖天山歓喜院に伝わった際に神楽を奉納するようになり、芸能の神である摩多羅神と習合され摩多利神(またらじん)と言われるようになったとされています。

 その後も明治30年ごろの赤痢大流行の時に摩多利神信仰はさらに広がり、特に利根川流域を中心に茨城県、千葉県、東京都と多くの摩多利神が奉られるようになりました。

 また、先にもあります様に 疫病も除くご利益だけでなく、怨敵を退散させるというご利益もあると云われ、戦中は出兵前に摩多利神にお参りし、自分の願い事をお軸に書きしたためて納められたりもしました。それらのお軸は遷流寺に保管してあります。

どうして下川田地区にあるの?

 隆法という僧侶が、天保8年(1837)6月に遷流寺の14世住職として入山されました。隆法上人は信州の川中島の生まれで、修行は子育て呑竜様で有名な群馬県太田の大光院でされました。浄土宗は徳川家お抱えの宗派であるため、比較的に江戸幕府の宗教行政を忠実に守っていました。そのため住職になるには、最低でも15年、しっかりと修行するならば27年かかります。ですから、上記にありますように大光院のある太田の周りでは、『万人講』があり、疫病除けとして摩多利神という神様がおられて、信仰を集めていることは、長いご修行中にお聞きになっていたと思われます。

 ここからは推測になりますが、遷流寺に着任された隆法上人は、この地区の多くの人々が、特に多くの子ども達が病で亡くなっていく状況を鑑みて、ご修行の時期に耳にした疫病除けの神様、摩多利神をこの地へ勧請しようと思われたのだろうと考えます。

どうして移転するの?

 お堂の屋根が崩壊している所が多々あり、その為、雨漏りしてお堂は倒壊しそうです。また、お堂のすぐ裏の大木が豪雨によって年々傾いてきていて、今にもお堂に向かって倒れそうだったり、お堂に上がる石段が崩れて危ないのです。

 なにより、今のお堂は山の中腹にあり、お年寄りや身体に障害のある方、小さなお子様連れの方などは参拝できないのです。多くの方にお参りしていただける場所に移転したいのです。

移転先はどこ?

 移転先は、「是非、摩多利神様の移転先として使っていただきたい」と下川田町内の親子が申し出ていただきました。

 その場所は、 谷川岳と武尊岳の雪景色を背景に高台に咲くしだれ桜でこのところテレビや新聞で取り上げられる事があり、県外からも多くの写真愛好家達が足を運ぶ「下川田のしだれ桜」のお隣なんです。

 インターネットで「下川田のしだれ桜」と検索してみてください。沼田市のホームページやGoogle Mapsなどで場所だけでなく、たくさんの素晴らしい写真を見つけることができます。

プロジェクトの想定されるリスクとチャレンジ

 このプロジェクトは、摩多利神を管理する下川田町区と 元々この地へ摩多利神を勧請し、現在も祈願祭を執り行っている遷流寺の合同プロジェクトです。これまでも移転の話は何度もありましたが、移転計画は進みませんでした。

 昨年、移転先の土地を提供していただける方が現れたため、計画は進み始めました。何度か下川田町区11地区の代表、地区委員の方々と下川田町区役員の区長さん、副区長さん、会計さん、遷流寺住職とで話し合いがもたれました。現在の摩多利神お堂の見学会もおこないました。

 結果、住民の皆様、約500戸より支援金を集めていただける事となりました。その他、下川田町区で事業されておられる方々からの寄付金も下川田町区役員さん達と遷流寺住職でお願いに廻っております。

 町区の支援金と寄付金、それだけでも小さく簡素なお堂の建設は可能でしょうが、昔の万人講のように 多くの方々のお気持ちをいただいてこそ、元来の祈りの為のお堂が出来上がるのではないでしょうか。

 医学や科学が発達した「今」、祈りは必要ありませんか?意味が無いですか?祈りを求める人達に本当の祈りをつなげたいと思いクラウドファンディングに挑戦させていただきたいと思います。

 なお、本プロジェクトは実行確約型のため、目標額に達成しない場合も新築工事費を見直す、寄付金などで補填するなどして摩多利神の御堂を移転し、リターンをお届けします。

資金の主な使い道

◆お堂の新築工事費 350万円

◆返礼品等 35万円

◆クラウドファンディング利用手数料

※ これらの制作にかかる費用の一部を今回のプロジェクトで募らせていただきたいと考えています。

※ 返礼品はクラウドファンディング終了時からの製作となりますので、お手元へお届けするのは2023年3月頃となります。

プロジェクトスケジュール

2022年10月20日 お堂の新築工事着工

2023年2月末ごろ お堂の新築工事終了

2023年3月末ごろ お堂の落慶式(お堂の移転完成をお祝いする式です)

プロジェクト実行委員会メンバー紹介

 プロジェクト実行委員会メンバーは、令和4年度下川田町区区長の林 誠一さん(代表)、副区長の田中 芳明さん、会計の田中 栄一さん、令和3年度下川田町区区長の伊与久 照雄さん、遷流寺住職の山口 崇廣(事務局)の5名で構成されております。

 またアドバイザーとして、沼田市文化財調査委員・沼田市文化協会会長の郷土史家 金井 竹徳先生、川田地区地域資源活用研究会の会長 深津 太一さん、事務局長 下條 直人さんの3名をお願いいたしました。

令和4年度 下川田町区長 林 誠一(代表)

 実は、下川田町には摩多利神と横子のお不動様がありました。横子のお不動様は残念ながら昨年に閉堂しました。こんな信仰心が薄れていく今、摩多利神のお堂の移転計画が町内の総意を持って進めて行けるのか甚だ疑問でしたが、話し合いを重ねて、承認を得て町内の皆様より支援金を頂きました。驚くと共に大変感謝しております。
 
しかし、ここは田舎の小さな町です。集まった支援金だけでは充分なお堂を立てる事が難しく、せっかくですので、できる限りのものを後世に残そうと願いまして、皆様からもご支援をいただきたく、お願いい申し上げます。

前年度(令和3年度)下川田町区長 伊与久 照雄

 子どもの頃、摩多利神祭といえば、参道に出店が出て、おこづかいをもらって、お菓子を買いにいける、この田舎では数少ない楽しみな年中行事の1つでした。
 摩多利神のお堂の移転はもっと早くにできればと思っていましたが、諸々の条件が揃わず、断念をして来ましたが、昨年、私が区長になったタイミングで、お堂の移転先として使用できる土地の提供を申し出られた方が現れたのをご縁に移転計画を進めてみようと思いました。
 幸いにも昨年度より町内で話し合いを重ねて、今年度、承認を得られる事ができ、町内の皆様より支援金を頂くことになりましたが、なんせ田舎の小さな町です。集まった支援金だけでは充分なお堂を立てる事が難しく、できる限りのものを後世に伝承する為にも皆様からのご支援をお願いいたします。


沼田市文化財調査委員・沼田市文化協会会長・郷土史家 金井 竹徳

地域の宝 摩多利尊神移転に寄せて

 この度、その霊験が、地元は元より周辺の地域にまで知れ渡る、下川田町の摩多利尊神の御堂が、川田神社の近くに移転されるという。様々な御利益をもたらす「マダラジン様」の存在は地域の宝であり心の支えである。新天地での奏功に賛美を贈りたいと思う。
 「神力演大光 普照無際土 消除三垢冥 広済衆厄難」御札に記される普済偈の五言絶句は「神仏の不思議な力は、大いなる光を放って、世界の全てを照らす。この光は全ての煩悩を消し去り、全ての厄難から衆生を救う」と意訳される。「摩多利神」は疫病退散を祈る、赤痢の流行を防ぐなどで知られる「摩怛利神」と、念仏の守護や芸能の神「摩多羅神」が習合し、「万人講」の信仰により広まった異神である。
 コロナ禍の厳しい時代。多くの先人達が救われ、時代を越えて篤い信仰が寄せられる「摩多利尊神」の存在は大きい。この変幻する偉大な神に、感染拡大の防止や悪病の終息という、大いなる効験をいただきたい。そして、御堂の移転を機にさらなる輝きを発して欲しい。

・金井竹徳先生のFacebookはこちら→「Facebook
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川田地区地域資源活用研究会 事務局長 下條 直人

 川田地区(旧利根郡川田村)は利根郡の南西部に位置し、その風土は万葉の昔から子持山と利根川に囲まれた景勝の地であるとともに、乱世においては難攻不落の要害の地でもありました。その風光明媚は歌人円珠や加沢平次左衛門をはじめとした多くの文化人を育み、その難攻不落はかつてこの地を支配した真田氏をして、敵対する北条氏の大軍を寡兵で撃退せしめた歴史を今日に伝えています。さらに、明治時代にドイツから来日したゴットフリード・ワグネル博士が発見した粘土質鉱物「川田のかべ」は、我が国の近代化に大きな恩恵をもたらしました。…と、ここで紹介した内容は川田地区が持つ多くの地域資源のうちのわずかな一例にすぎませんが、これだけをもってしても、当該地域が北毛随一の歴史と文化を誇っていたと言えるでしょう…!
 しかしながら、昭和29年に川田村は新たに誕生した「沼田市」の一部として解消し、その後60年以上の歳月が過ぎる中で、これらの輝かしい歴史と文化は忘れられつつあるのが現状です。
そこで、当会は、川田地区の地域資源を活用研究し、その歴史や文化を広く世間に知らしめるべく、様々な活動を展開しています。
 今回、下川田町区役員さん達と遷流寺のご住職様が発足した「未来へつなげ、疫病退散の祈願!みんなのもとへマダラ神移転プロジェクト」…この事業において“祈りを未来へつなぐためのシンボル”となるのは、江戸時代に遷流寺14世の隆法上人により勧請され、その後明治時代にはお籠もり堂まで造られ多くの人々の信仰を得、現代でも地域の人々に守られてきた『摩多利神』この神さまもまた、かけがえのない川田地区の宝であります。
 
この地域の宝を未来へと継承すべく、当会としても全力で当プロジェクトを応援いたします!

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遷流寺 住職 山口 崇廣(事務局)

 愛知県よりここ群馬県沼田市の遷流寺に就任して13年目になります。初めて遷流寺を訪れたのは、先代住職のご葬儀の時でした。私の父と先代住職は大学生時代の同級生で東京芝の増上寺に寄宿して共同生活をした仲であったと聞いております。また、まだまだ戦後の混乱から抜け出していない時期でしたので、学校に行けない子ども達を集め、今、東京タワーがある辺りにあった小さなお堂で寺子屋を一緒にやっていたんだとも聞いております。そんな70年くらい前のご縁がつながって私はここに居るんだと思っています。

 そしてここ沼田市下川田町は四季がはっきりしているところです。冬はとても寒く、夏はとても暑い。でも、そのお陰で短い春と秋はとっても素晴らしい景観を観ることができます。

遷流寺について

 さかのぼること約870年ほど前、時は平安時代の頃(今の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」につながる戦乱の時代です)、天皇家より養蚕の技術にすぐれた者を来させるようにとお達しがあり、ここ下川田より珠女を参内させたことより始まります。

 この珠女は養蚕のほかに和歌の才能も素晴らしく、何度も当時の天皇(後白河天皇)を感動させたそうで、「圓珠前」として貴族の地位を与え、上野国(現在の群馬県)に帰したと伝わります。

 圓珠が内裏に居たころに比叡山第一の学僧と称された叡空上人の説法会が何度もおこなわれたようで、ある時、名代として源空(法然上人)が説法にこられた時、圓珠はいたく感銘を受け、新田 義重が亡くなった後、圓珠は再び法然上人に会うために京都へ向かいますが、法然上人はすでに亡くなっており、法然上人の弟子、源智上人に随い出家をしました。その後、11年の間、諸国遊行の後、ここ下川田の地に阿弥陀堂を建立し、阿弥陀山龍泉院川田寺と呼ばれたと伝わっています。

 時は流れて戦国時代、ここ沼田市は関東平野北部の軍事的な重要地として「関東を制するには沼田をとらねばならぬ」と言われたほどの要衝の地でした。上杉 謙信と武田 信玄、北条氏、真田氏、さらには徳川 家康まで、ここ沼田の領有権をめぐって激しく対立します。(以前の大河ドラマ「真田丸」で注目を浴びました)

 ここ沼田には沼田城がありました。大河ドラマ「真田丸」で真田 信之(信幸)とその妻 小松姫が有名になり、城主は真田氏であると認知されがちですが、実はそれ以前に沼田を治めていたのは沼田氏です。沼田城は沼田氏の拠点でした。そして、沼田氏が沼田を治めていた頃、下川田は沼田氏が分家した川田氏が川田城(山城)を築き、治めていたと云われています。

 その川田氏の4代目川田 光清に小柳という娘がいました。小柳はとっても和歌の才能が優れていて(先の天皇より「圓珠前」とされた)圓珠の生まれ変わりと云われたのでしょうか、伝記では同一人物として記されている事が多々あります。小柳は一度、武家に嫁ぎますが夫があまりに小柳ばかりを可愛がり過ぎて、母親の面倒をみなくなったので、小柳は夫を戒めるために出家してしまいます。その後、川田に戻り、宮塚というところに庵を構えて武家達に和歌を教えるなどして過ごしていましたが、若くして亡くなってしまいます。さらに川田氏の悲劇は続き、真田氏の進攻で滅亡してしまいます。生き残った城主 川田 光清は出家をして覺譽光圓大徳となり、娘 小柳が庵を構えていたところを圓珠庵として開山し、亡くなった家臣達を弔って過ごしたとされています。

( 圓珠については川田地区地域資源活用研究会がまとめてくれています。詳しくはこちらへ )

 そのあと、圓珠によって建立された川田寺は天正(1573年〜)の初めごろ、沼田に侵攻した真田氏により城下を監視されるのではないかとして、火をつけられて焼失してしまいます。しかし、すぐに諦誉源作上人が小林処右衛門直重を大檀那として、加沢平次左衛門とともに覺譽光圓大徳(川田 光清)が開山した圓珠庵を移し、現在の下川田の五反田に伽藍を建立して龍泉院川田寺と号しました。さらに天和元年(1681年)、4代目の現蓮社専譽上人が堂宇を改造し、圓珠山光圓院遷流寺と改称し、現在に至ります。

 現在は戦国時代のようにいつどこで自分がどうなるのか、覚悟をして生きていかなければならない事は無いでしょうが、不安や悩みはつきないものです。あるいは、どんなに努力してもたどり着けないことも知っています。戦国時代ではいつどこで自分がどうなるのかいろいろな状況を目の当たりにしていた事で覚悟、心構え、心の持ち方をそれぞれが理解していたのでしょうね。

 だから、しっかりとした「祈り」もあったと考えます。

 時代が変わっても人間の悩みや不安は無くなる事はありません。しかし、若い人が心の悩みや不安を相談を宗教施設にする人などほとんど無く、インターネットやSNSで相談して、より悪い状況に陥ることは稀ではありません。

 しかし、人がしっかりとした覚悟、心構え、心の持ち方を理解する上で宗教は必要不可欠と考えます。ここ遷流寺では、悩みや不安を抱えている方々だけではなく、普段からしっかりとした覚悟、心構え、心の持ち方を一緒に探せる場所でありたいと思っています。

・遷流寺のFacebookはこちら→「Facebook

最 後 に

 最後までご覧いただきありがとうございました。

 先にも書いてはありますが、町区の支援金と寄付金、それだけでも小さく簡素なお堂の建設は可能でしょうが、こういった誰でもがお参りできるお堂はたくさんの方々のお気持ちをいただいてこそ本来の宗教施設が出来上がるのではないでしょうか。

 営利目的にしてしまってる「祈り」や人の不幸につけ込む「祈り」もあります。

本当に「祈り」を求める人達に本当の「祈り」をつなげたいと思ってクラウドファンディングに挑戦させていただいております。是非、ご支援のほどよろしくお願いいたします。

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    • 復刻版 摩多利神お札(1枚)
    • 2023年03月 にお届け予定です。
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