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統を未来へ、まちににぎわいを。仁方フェスティバルをクラウドファンディングで実現!
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「くれ仁方フェスティバル」は町の活性化、文化の継承、子供たちにとって魅力あるまちづくりを目的に開催し、子供から大人までみんなで楽しめるステージ、屋台、体験コーナーなど多彩なプログラムを企画しています。 皆様からの温かい支援を心よりお待ちしています。
「くれ仁方フェスティバル」は町の活性化、文化の継承、子供たちにとって魅力あるまちづくりを目的に開催し、子供から大人までみんなで楽しめるステージ、屋台、体験コーナーなど多彩なプログラムを企画しています。
※このイベントは,呉市観光誘客イベント支援事業に選定され,実施いたします。
このクラウドファンディングでは、ふるさと納税と同様に、2,000円を超える寄付額は税金の控除を受けることができる(※個人からのみ受付いたします。)ため、実質2,000円のご負担で応援することができます。詳しくはページ最下部「ふるさと納税型クラウドファンディングについて」をご確認ください。
■ 税の還付・控除額の上限について
寄付者の給与収入や家族構成などによって還付・控除額の上限が変わります。ご自分の上限額については、 総務省ふるさと納税ポータルサイト等でご確認ください。
はじめまして。私たちは「くれ仁方フェスティバル実行委員会」です。かつて活気のあった、広島県呉市の仁方という町に賑わいを取り戻したいという思いから、このプロジェクトは始まりました。仁方の伝統文化や呉市の飲食店が一堂に会す、仁方に今までになかったお祭りを開催することで、仁方の魅力を住民や来場者に改めて伝えたいと思っています。お祭りに来た人や仁方にゆかりのある方々が、仁方にまた行きたい!と思ってもらえるように。仁方の賑やかな未来を描くため、クラウドファンディングに挑戦します。
美しい瀬戸内海が眺められる、自然豊かな町です。
かつてものづくりで栄え、人が集う町だった仁方。徐々に人が少なくなり、町に寂しさがある反面、まだものづくり産業も伝統芸能も残っています。伝統をこの先へつなぎ、そして仁方という町に再び活気を取り戻したい。そこで考えたのが、「お祭り」の企画でした。となり町の川尻では「かわじり元気まつり」、安浦では「安浦ええとこ祭り」があるのに、旧呉市内である仁方には独自の祭りがありません。
私たちは 「元気あるまち仁方」を目指し、町ぐるみで実行員会を立ち上げ、かつての賑わいを取り戻すキッカケづくりとして、今まで仁方になかった祭り「くれ仁方フェスティバル2025」を企画しました。
くれ仁方フェスティバルのイメージ
当日は、呉市消防団はしご隊によるはしご乗り演技、仁方神楽・子どもたちによる仁方櫂踊り(呉市無形文化財)キッズダンスのステージのほか、仁方の名産・飲食店ブース、キッチンカーによる飲食販売、仁方の特産ヤスリを使ったワークショップなど多彩なプログラムをご用意しています。また、お祭りのフィナーレには仁方の神楽と安芸灘で打ち上げる花火が融合した仁方ならではのプログラムも企画しています。
パフォーマンス:呉市消防団はしご隊のはしご乗り演技
飲食販売:呉市阿賀「天糸」の魚料理
飲食販売:呉の名産 中元本店のラムネ
①仁方の神楽
仁方の神楽(大歳神楽)
仁方には神楽の文化があり、その歴史は古く、200年以上前に愛媛県大三島大山祇(おおやまずみ)神社から伝わったと言われています。仁方の神楽は、大歳・戸田・小坪に伝わっており、中でも小坪は、呉市無形文化財に指定されています。特徴は、御幣を持って優雅に舞い神を勧請する「儀式舞」と鎧を付けた舞手が剣・弓などを持って激しく舞い神々とともに楽しむ「形式舞」の2つで構成されているところ。これらの演目はわずか2枚の筵(むしろ)の上で披露されます。
ー 仁方神楽の歴史 ー
広島県の神楽は、大きく別けて県北地方の出雲神楽、石見神楽、備後地方の備中神楽、瀬戸内地方の安芸十二祇神楽、芸予地方の神楽などに分類することができます。
仁方が属する呉市では、広小坪神楽・仁方大歳神楽・仁方戸田神楽・蒲刈宮盛神楽・蒲刈向神楽・下蒲刈神楽・畑神楽があり、仁方の神楽の1つである大歳神楽は、芸予地方の神楽に分けられます。芸予地方の神楽は、紀州の熊野神社を起源とし、大三島大山祇神社で舞われていたものが芸予地方に広まったものと思われます。大歳の神楽は江戸時代から始まっていたようですが、明治30年に大災害が起こり、衣装や資料などが流され、確かなことはわからなくなってしまいした。その後、村の青年たちが長老の助言を得て、唱行を本にして残し再開しました。しかし、青年団(知新連)解散とともに一時途絶えてしまいましたが、昭和44年に大歳神社改修をしたときにそれを記念して神楽を奉納し現在に至っています。
近くの町では、戸田と小坪でも神楽が伝わっています。中でも小坪は、呉市無形文化財に指定されています。かつては、八若華神社には、宮上地区が奉納していましたが、現在は途絶えて大歳地区と戸田地区が交互に奉納しています。
呉市の神楽分布マップ
ー 大歳神楽の演目 ー
1.「神おろし」
神おろしとは、神様にお供えした御神酒と今年収穫した初穂などを神殿殿からおろして頂くという意味で、今年の豊作を感謝し、来年も豊作となることを祈願する儀式の舞です。
演目:神おろし
2.「岩戸」
須佐之男尊(すさのおのみこと)は、父のいざなぎの尊に命じられて、海原を統治していましたが、母のいざなみの尊に逢いたいと、白髪が生える年になるまで泣きわめきました。(このために地震や津波がおきます。)そこで、いざなぎの尊は『お前は海原を統治してはならぬ、そんなに母に逢いたければ、黄泉(よみ)の国に行ってしまえ。』と言い海原を追放しました。(黄泉の国とは、死者が第二の人生を歩む所で、この国から戻ることをよみがえると言います。)それから須佐之男尊は、姉の天照大御神(あまてらすおおみかみ)に別れを告げるために高天原(たかまがはら)にやって来ました。
しかし、ここで須佐之男尊は田畑を荒らしたり、宮殿に糞をまいたりなどいろいろな乱暴をしたので、天照大御神は怒って須佐之男尊を追放し、岩戸の中に隠れてしまいました。そのために太陽が昇らなくなり、暗闇となり八百万(やおよろず)の神々は、嘆き悲しみ途方に暮れていました。そして、天のこやねの命は岩戸の前にお供えをして、祝詞をあげましたが天照大御神は出てきません。てだてをなくした神々が落胆していると天のうずめの命が胸などを出して踊りをはじめました。(この踊りが日本で最初のストリップと伝えられています。)その踊りを見て神々が喜び奇声をあげたりしていると、岩戸が少し開いて天照大御神が顔を出しました。
そこで、手力男の命(たちかろうのみこと)が岩戸をおし開き、天腺大御神を外に出して、他の神が岩戸の入り口に縄をかけて『この中は清められました。もう戻ることは出来ません。』と言いました。これ以来神聖な場所の入り口には、しめ耗がかけられるようになりました。こうして、やっと太陽が昇り、新しい夜明けがやってきました。この物語は、日食を擬人化したものです。
演目:岩戸 唱行「たちかろうの尊」
演目:岩戸「こいねの尊」の面(左)と「天のおすすめの尊」(右)
3.「だいば」
天の香具山(伊勢神宮の近くにある山)に住んでいるといわれる、山の神のあらひら大王が天下泰平を願っている様子を神楽にしたものです。
演目:だいばの様子(左)とだいばの面(右)
4.「いこく」
この神楽は、『天孫降臨』と『神功皇后の朝鮮討伐』が混同されていますので、二つの物語を別々に解説します。
『天孫降臨』
邇邇芸命(ににぎのみこと)は、天照大御神に命じられて日本を平定するために高天(たかまがはら)から下ってまいりました。すると、道の途中に鼻が高く赤ら顔の光り輝く神が立っていました。
そこで、天のうずめの命が名前を尋ねると、猿田彦と名乗り『邇邇芸命様が下って参ると聞き、道案内をいたしたいと、待っていました。』と言いました。この時に、天のうずめの命と猿田彦の二人は恋に落ちて、後に結婚しました。それから邇邇芸命は、猿田彦に先導を命じ日向の高千穂に下って日本を続治しました。
『神功皇后の朝鮮討伐』
仲哀天皇は、九州を平定するため筑紫の国(現在の福岡県)にきていました。そこで、神功皇后にある神が乗り移り「海の向こうに広い土地があり、そこには金や銀などの宝があるので、その土地を与えよう。』と言いました。そこで仲哀天皇は、高台に登り海の方を望みましたが、陸地は見えませんでしたので、その神に「あなたは、嘘つきですね。」と言いました。すると神は、怒り仲哀天皇を崩御させてしまいました。
そして、神は「あの土地は、神功皇后の腹の中にいる子に与えよう。」と言いました。この子が後に、応神天皇(この神は八岩華神社の祭神の一柱です。)になります。そして、神は、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三神(この三柱は磯神社の祭神住吉大明神です。)であると名乗り、天澱大御神の御意向を伝えに来たことがわかりました。それから神功皇后は海を渡り「高麗」「新羅」「百済」(現在の朝鮮半島)に行って、住吉大明神を守護神として奉り続治しました。
◎神楽の内容は、鬼を神功皇后が一人で退治している間、猿田彦は物陰に隠れて震えていたのに、自分が退治したかのように自慢している様子を神楽にしたものです。
演目:いこく
5.四天
戦いが終わり疲れ果てて、故郷に帰ってきた若武者が、懐かしい神社が見えてきて感激している様子を神楽にしたものです。
四天は、仏教の五ご大だい明王みょうおうの中の中央の不動明王を囲む、四明王を表しています。最初に御幣と剣で舞った後に堤だい婆ばが現れて問答を行い、堤婆は、問答に破れて去ります。そのあとで、四天は扇で勇壮に舞います。
演目:四天
②仁方の櫂踊り
仁方には神楽以外にも独自の伝統芸能が受け継がれています。それが、呉市の無形文化財に指定されている「仁方の櫂踊り(かいおどり)」です。その始まりは、明治の初め,仁方町大東の高本庄助という人が伊勢方面で櫂踊りを習い,地元に帰り兄弟や有志と踊ったのが始まりとされています。それ以降は船乗りを中心に伝えられ,秋祭りのほか,昭和10(1935)年の「三呉線(現JR呉線)」全通式でも披露され,祝い事や盆などに踊られてきました。町内を一周する神楽行列を各地区は出迎え,「太鼓」「笛」の囃子(はやし)「神輿(みこし)」等の行事を催し,次の地区へと送り出します。行列が町内を一周後,全地区の「大太鼓」「俵もみ」「神輿」等は八岩華神社(やいわばなじんじゃ)に集合し,神社のまわりを一周し解散します。かつては青年が中心となって踊っていましたが,若者の踊り手が激減。現在は大東自治会の保存会のメンバーが小学3~5年生の地域の子どもたちに踊りを指導し,伝統を引き継いでいます。
櫂踊りは3年に1度,10月の八岩華神社の本祭りで奉納されます。祭りの当日は、法被に鉢巻、手甲脚半をつけ、草履ばきで小さな櫂を持った姿で、若者たちの担ぐみこしや太鼓の列に続き、踊りながら町内を回ります。町内の数か所で踊りを披露した後,神社までの約4kmを練り歩き,大勢の人々が見守る境内で櫂踊りを奉納します。
仁方櫂踊りの様子
仁方(にがた)は広島県呉(くれ)市にある、瀬戸内海と山々に囲まれた自然豊かな場所。仁方はものづくり文化が根付く町で、なかでも「仁方やすり」は現在も全国的に有名な名産品です。恵まれた自然環境から酒蔵も多くあり、広島を代表する地酒である「雨後の月」や「寶劔」も仁方で作られています。
仁方やすり
「雨後の月」を製造している相原酒造
「寶劔」を製造している宝剣酒造
昔はやすりやお酒以外にも、豊かな土壌を活かして様々なものづくりが行われていました。江戸時代中期では塩作り、後期には醤油の製造も始まり、海辺ではぼら漁が盛んに行われていました。しかし、明治時代以降、時代が移り変わるとともにものづくり産業は徐々に陰りを見せ始めました。廃業する企業の増加、連絡船の廃止、それらに伴う人口減少。令和になった今、製造会社は残っているものの人口減少は止まることはなく、JRの本数も少なくなり、若者はどんどん町の外へと出ていっている現状です。
大歳神楽団のメンバー
仁方に再び活気を取り戻すために、私たち「くれ仁方フェスティバル実行委員会」は立ち上がりました。時がたつにつれ、企業も人も少なくなり寂しくなる仁方をなんとかしたいと思いつつも、今まで町ぐるみで一体となって何かをしたことはありませんでした。しかし、このまま何もしないと仁方はどんどん人口減少の一途を辿ってしまう。仁方には残したい伝統も産業もまだ残っている。未来に仁方の伝統を受け継ぎ、そして魅力を伝えるために、町をあげて実行委員会を立ち上げました。
実行委員会は主に自治会や漁業組合、神楽団、企業などの有志が集まっています。今は資金集めをしながら、月に一度集まり知恵を絞って企画を立てています。
プロジェクト責任者
畦 豪之 / くれ仁方フェスティバル実行委員長 会長
私は、大歳町で生まれ育ちました。幼少期に見ていた神楽に14歳から10年間は、舞子として参加しました。その後は、太鼓を専門に祭りに携わって来ましたが、6年前に自治会長として広く活動を見ている中で、地域の人口減少や自治会会員の減少を受けて神楽を続けて行く事の大切さと難しさを実感しており3年前から獅子舞の指導係として神楽に参加しています。今回、地域の皆様や各企業の方々の協賛により、「くれ仁方フェスティバル」を開催する事が出来る事となれば、地域の活性化に大きな励みとなり、私達の神楽の未来にも繋がって行く事と希望が広がります。皆様の力添えを宜しくお願い致します。
2025年5月 実行委員会立ち上げ
2025年8月8日 クラウドファンディング開始
2025年10月6日 クラウドファンディング締切
2025年11月22日 イベント開催
(雨天時は翌日23日に決行)
皆様からお寄せいただいた支援金は、フェスティバル終盤の花火の演出に使用させていただきます。フェスティバルを通して、地元の子どもたちが将来戻ってきたくなる町となり、また町外からも魅力ある町として発展していき未来へ繋がって行く企画となります。
花火のイメージ写真
※リターンの応募は個人からのみ受付いたします。
支援者の皆様には、くれ仁方フェスティバルの「くすのき」マークをデザインした イベント限定Tシャツ(非売品)を贈呈します。(イベント当日に会場にて支援者の皆様に配布します。)
Tシャツイメージ(デザインは変更がある可能性があります)
その他、支援金額によってリターン内容が変わります。
・駐車場A....会場まで徒歩約15分
・駐車場B....屋内観覧席敷地内
・屋外観覧席....長椅子3~4名掛け
・屋内観覧席A(軽食飲み物付き)....屋内2階 テーブル席4名様まで利用可能。 ベランダからの鑑賞もお楽しみいただけます。
・屋内観覧席B(軽食飲み物付き)....屋内2階 個室12名様まで利用可能。 ベランダからの鑑賞もお楽しみいただけます。
駐車場と観覧席のイメージ
今回はプロダクションファンディング(All in)での挑戦になるため、もし目標金額未達となった場合でも、企業や個人の協賛金を集め、独自で自己資金を確保し、イベントを実施します。ただし、目標金額未達成の場合はプログラム内容が一部変更となる可能性があります。また、イベント開催当日(11月22日(土))が雨天の場合、翌日の23日(日)にイベントを開催します。町としての初めての挑戦をどうか支えていただけたらと思います。
私たち、くれ仁方フェスティバル実行委員会は、仁方を再び元気な町にするべく立ち上がりました。このお祭りを通して、来てくれた方々に「仁方にはこんなものもあるんだ!」と新たな楽しみを感じてもらえるように準備を進めていきます。そして、地元が仁方の方にはお祭りの日が「仁方に帰ってくる日」になうように。仁方に住む方にとっては、「仁方はいい町」と誇りを持ってもらえるように。仁方に人々が集うきっかけを作ることで、仁方や仁方を取り巻く人々にとって特別な1日になれたらと思っています。
そしてその特別な1日が、元気な町仁方へ近づく一歩になり、来年・再来年と続けていけるように取り組んで参ります。
仁方の楽しい未来をつくるために、ご支援よろしくお願いします。
本プロジェクトは、ふるさと納税型クラウドファンディングです。個人の方によるご支援は呉市への寄付として取り扱われ、「ふるさと納税」の対象となります。
※本プロジェクトのリターンはすべて、 市内にお住まいの方でも市外にお住まいの方でも、ご提供が可能なものです。ぜひ応援のほど、よろしくお願いいたします!
▷ふるさと納税制度とは
ご自身の「ふるさと」や応援したい地域に対して寄付をすることができる制度です。寄付額から2,000円を除いた額が、寄付者様の所得税と翌年の住民税から控除されます。応援いただいた額に応じて、返礼品を寄付者様にお送りします。そのため、寄付者様は 【実質負担2,000円】で地域を応援することができます。
※寄付者の給与収入や家族構成などによって還付・控除額の上限が変わります。※税金控除の対象は、納税者本人です。寄付の際は寄付名義にご注意ください。
▷税金の控除を受けるためには
ふるさと納税制度を活用し、所得税や住民税から控除を受けるためには、「確定申告」もしくは「ワンストップ特例申請」を行う必要があります。ふるさと納税の制度のため返礼品は個人のみ受付致します。
1)確定申告する場合:各リターンに設定している「寄付金受領証明書」を呉市からお送りいたします。 大切に保管してください。2025年分の確定申告の際に、確定申告書に「寄附金受領証明書」を添付のうえ、所轄の税務署へ提出してください。
2)ワンストップ特例申請をする場合:確定申告が煩わしい方にお勧め! ふるさと納税をした後、確定申告をしなくても寄付金控除が受けられる便利な仕組みです。ご支援の際に、ワンストップ特例申請を希望されるか否かを記入いただく項目があります。希望者には呉市から「寄附金税額控除に係る申告特例申請書(ワンストップ特例申請書)」を郵送しますので、必要事項を記入・確認、押印し、本人証明書類を添付のうえ、同封の返信用封筒で返送してください。
※ワンストップ特例申請は、確定申告を行う必要がない方・ふるさと納税先の団体が5団体以内の方のみ利用できます。
5000 円
残り300枚
10000 円
残り150枚
20000 円
残り40枚
30000 円
残り8枚
100000 円
残り1枚
300000 円