今日は、父の命日。 Junko☆博士
vol. 17 2017-02-28 0
私は父を癌で亡くしています。親が離婚していて私は一人っ子。闘病の5年間の父を見るのも辛かったし亡くなって心がぽっかりなところに喪主やら相続やら色んなことが若い私に押しかかり、何も知らない私はパニック状態でした。
でも私の人生の中で、父の死はとても大きな転機をくれました。空っぽになってしまった父を見たときに、電源が切れてゼロになった”魂のいれもの”みたいに見えて、泣くというより、考えてしまった。
父の愛人?恋人?みたいな人にじゅんちゃん、何で泣かないの、と言われたけど、
父が亡くなったということは、一体どうゆうことなんだろう、と、なにかを悟ろうと頭がぐるぐるしてしまって、お葬式の時ほとんど泣かなかったんです。(悲し過ぎて頭がブッとんでいたのかな)
父がガンセンターで闘病していたとき、顔は一生懸命笑っていたけどノドの奥では今にも泣き出しそうでヒクヒクしていたり、トイレで泣いたり。つらい、悲しい、でも笑顔でいてあげなきゃ、と思っていた。
でも父が死んで気づいたのは ”死ぬほど”痛くて苦しい思いをしているのは父だ、ということ。私自身は何の痛みもないのに、父が癌になったからつらい。ハタから見てて悲しい気持ちになっているだけだった。
そう考えると、もっとしてあげるべきことがあったってめちゃくちゃ後悔。それがきっかけで今社会貢献活動を積極的にやっているところもあるんです。ハタから見て同情するよりも、少しでもそれが良くなるようなアクションを起こしたい。
ガキ過ぎてその頃は自分が傷付いてるってことで必死で。相手に対してしてあげるべきことに気がつかなかった。親が離婚、親がガン、それをイイワケにしてグズグズ生きるのは違うと思ったんです。
そしてソッコー、父の遺産でNYに飛ぶ。「親の離婚で悲しんだぶんの慰謝料と、父がくれた最期のプレゼント」という素敵なイイワケを自分の中でみつけて堂々とNYに旅立ちました。笑
ノープランで約一ヶ月、言葉もわからないのに外国人ばかりの相部屋で、毎晩、父の死について、自分の人生について考えました。昼はまちじゅうをとにかくブラブラ。人間なんて映画マルコビッチの穴のように 入れ物の中から外を覗いてるだけじゃん、と、NYという街をJunko☆という体を通して覗き見しまくりました。
そしてある夜に急に!やばい!人生は短すぎる!!!という本当に単純すぎることを何故か一気に理解しました。笑
こうしちゃいられない!!と次の日からアリエナイ行動力を発揮しまくり、
ヅラや着物を購入し有名なタイムズスクエアや地下鉄で路上パフォーマンスしたり、
しまいには世界的にも超有名、超老舗のJAZZ CLUB 「COTTON CLUB」に自分が表紙になった雑誌とその場でダンスを見せて売り込み、なんとCOTTON CLUBミュージシャンを引っさげてソロショーを大成功させました。
今の”行動力の塊”のようなJunko☆博士は、ニューヨークという街がそうさせたのです。
今回のクラウドファンディングの目的地、ニューヨーク。人生を変えてくれた場所でさらなる高みを目指したい。たくさんの仲間を巻き込んで。みんなの笑顔がみたい!
たった一度の人生だから。やります!