映画評論家・松崎健夫さんによる『事実無根』レビューを初公開!
vol. 12 2024-10-17 0
この映画は、“東京”ではなく“京都”という街が舞台であることが重要なのである。慎重に言葉を選ぶなら、関西人の中でもとりわけ“京都の人々”というのは、やや特異な存在であると感じさせるからだ。それは、表情においても、そして言葉においても、内面的な要素を表出させないという特性を持っていることを指す。例えば、京都弁。相手を慮ることで、物事をオブラートに包むような遠回しな言い方(表現)になるという、他の方言にはない特性を兼ね備えている。『事実無根』の登場人物たちもまた、相手を推し量って本心を隠していることが判る。その姿勢が物語を転がしてゆきながら、<惻隠の情>を働かせているという点が、実に“京都っぽい”のだ。これと同じことを東京でやると、実はシリアスな感じが増してしまうのである。ところが、この映画には柔和さが伴っているのだ。それこそが、“京都っぽさ”の所以なのだろう。それだけではない。物語を拡大解釈すれば、国際的な<分断>という問題を、家族という最小単位の集団に置き換えた作品だとも感じさせ、まるで<寛容>のあり方を描いた映画のようにも見えるのである。映画の冒頭では、京都の街並みを映し出したショットを積み重ねながら、物語の中心となるカフェにたどり着くという演出が為されている。これを単なる「舞台となる場所の説明カット」のように捉えることもできるのだが、京都タワーを中心にしながら、街そのものも「見る場所が変わると、見え方が変わる」と言っているようにも見えるのである。そのことが、この映画の物語や人間関係が「見方が変わると、見え方が変わる」という真理を宣言してみせているように感じさせているのだろう。その根底に流れる、わかりにくい優しさもまた“京都っぽい”のである。
松崎健夫(まつざき・たけお):映画評論家。東京芸藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了後、テレビや映画の現場を経て執筆業に転向。ゴールデン・グローブ賞の国際投票権を持ち、キネマ旬報ベスト・テン選考委員、田辺・弁慶映画祭審査員、デジタルハリウッド大学客員准教授などを務める。『そえまつ映画館』『シン・ラジオ』をはじめ、テレビ・ラジオ・ネット配信番組にも出演。映画の劇場パンフレット等に多数寄稿しているほか、複数の映画関連メディアで連載を抱える。共著に「現代映画用語事典」(キネマ旬報社)がある。