頭蓋仙骨療法·オステオパシーレジェンド平塚晃一先生お話し会
vol. 23 2019-10-17 0
頭蓋骨療法(クレニオセイクラルセラピー)オステオパシーのレジェンド平塚晃一先生が五十河桃源郷にお越しくださります!!
平塚晃一先生は、まだ日本で頭蓋仙骨療法が全く知られてない時代に、アメリカに渡り頭蓋仙骨療法の開祖アップレジャー博士に師事し、その後日本に広められた方です。
またオステオパシー界のレジェンドでもあり、日本のオステオパシー界に多大な貢献をされている方です。(詳しくは下記プロフィールをご覧ください)
なんと!今回、そんな平塚先生がわざわざ五十河桃源郷にお越しくださり、日常生活においての健康についてや体験談をお話ししてくださいます。
質問タイムもたくさんありますので、健康についてご興味のある方、この貴重な機会に是非ご参加ください!
楽しみにお待ちしてます。
日時 10月27日(日)14時~16時
場所 京都府京丹後市大宮町五十河81
参加費 1000円
平塚晃一先生プロフィールhttp://tachikawa-osteopathy.com/
INSTITUTE JAPAN
UIJスタッフ
HOMEクレニオセイクラルセラピー(CST)とはUIJスタッフ
UIJ Executive Adviser、CST1、CST2インストラクター
立川オステオパシーセンター院長
ジャパン カレッジ オブ オステオパシー講師
日本オステオパシー学会名誉会長
1943 年 11 月 27 日生まれ
1990 年 日本オステオパシー学会会長就任
1992 年 日本オステオパシー専門学院設立
1995 年 クレニオ・セイクラル・セラピー CST-1 インストラクター 就任
2005 年 クレニオ・セイクラル・セラピー CST-2 インストラクター 就任
2010 年 日本オステオパシー学会名誉会長就任 現在に至る
1961年~1967年 闘病生活(18才~24才)
1969年 オステオパシーの勉強を始める。
1969年 日本指圧学校卒業
1971年 全日本オステオパシー協会設立と同時に役員を務める。
1972年 平塚指圧治療所を開業、オステオパシー治療を始める。
1980年 全日本オステオパシー協会退会
1981年 PAAC副会長
1985年 PAACオステオパシー研究部会部長
1990年 日本オステオパシー学会創設、会長に就任
1990年 屋号を立川オステオパシー・センターと改称
2000年 現在の住所に移転
2010年 日本オステオパシー学会名誉会長
自らの闘病体験を通してオステオパシーと出会う。
日本で初のオステオパシー専門学校ジャパン・カレッジ・オブ・オステオパシー(JCO)を設立、日本オステオパシー学会(JOA)初代会長を務める。
18才~24才まで腰痛と内臓疾患で6年間の闘病生活を経験し、手術3回も含め西洋医学、そして東洋医学の鍼や灸も2年間に渡って施術を受け、漢方薬や手近な療法を様々受けたにも拘わらず、一向に回復の兆しを見なかったが、ある通っていた治療院で西洋医学でも東洋医学でもない背骨の矯正の理論を聞き、自分の症状と納得のいく説明に回復の希望を持ちました。
その後、自然治癒力の力も手伝って、多少動けるようになった後、自分自身が治りたい一心で治療の勉強に入りました。
25歳の時より背骨の矯正の理論がオステオパシーであることを知り、オステオパシーの勉強が始まり、勉強をしていくうちにさらに健康を回復することができました。
自分の健康が回復すると共に西洋医学や東洋医学でも救われない私のような患者さんの為にアメリカ医学であるオステオパシーの治療の存在が必要であると考え今日に至っています。
当初はオステオパシーの勉強は徒弟制度でなければ学ぶことができなくて大変でした。
本もテキストもなく師匠の一言一句が教科書であり大変閉ざされた世界でした。
オステオパシーは1874年にアメリカで発表され欧米にはオステオパシー医学として大学があり、学校で教えられていることを知り、また他の要因もあり師匠を離れ自由に勉強してきた結果、欧米の数多くのオステオパシーの先生方と知り合いとなり外国のオステオパシー大学を視察したりして、改めて日本にも適切な勉強の環境が必要であることを痛感し、同志と共に日本オステオパシー学会を1990年に、日本オステオパシー専門学院(現在のジャパン・カレッジ・オブ・オステオパシー)を1992年に設立し現在に至っています。
アップレジャーインスティチュートジャパン、立川オステオパシーセンターホームページより引用