平凡なる大自然の妙。心の中の平和メーカーと菩薩モード
vol. 19 2019-08-22 0
【平凡なる大自然の妙。心の中の平和メーターと菩薩モード】
日々何気ない日常の瞬間に感動の毎日である。
静かに音も無くかつ荘厳な音を響かせて昇ってくる朝日、季節と共に彩りが変化していく山々、鳥たちと虫たちの合唱、優しく吹きぬける風、野に咲いている美しき花、畑に行くとこれから己の肉体の一部になるである野菜たちが待っている。そして、夕方燃えるような夕焼けがやって来て、まもなく月が上り、夜は満点の天の川を眺む。
日々まわりを囲む大自然に感動が止まらない。
この無料(!!)かつ世界最高のアートであり、世界最高のアトラクションであり、天地の大芸術を日々楽しんでいる。
これは私が東京に住んでいたときも変わらない。
ちょっと視点を変えれば、どこに居ようがこの地球にいるかぎり、自然はいつもすぐそこにある。
この世界最高のアートであり世界最高のアトラクションである天地の大自然も、見慣れているから【平凡】である。気付きにくい。
肥田式剛健術の開祖肥田春充の言葉を借りると、
世界15億人民衆の中、(当時)誰か真に平凡の偉大さに心魂踊らすものぞ。
大自然の法則は、秩序整然、一糸乱れず。分秒の誤差もなければ、寸毫の破格もない。従って何の不思議もなければ、何の奇跡もない。(中略)私共はこの法則を活かしている真理の力、真理の生命である神の全能の前に、拝跪して、ひたすらその妙機を讚嘆せざるを得ないのである。真理は平凡である。平凡は玄妙である。【真理は平凡にして玄妙なるが故に、凡ての人から閉却されている。】(中略)
人は、名位の楽しみを知って、名なく位なきの、最も真たるを知らず。
--------引用終わり。-------
私たちの日常に溶け込みすぎて、当たり前すぎて、気付きにくいが、目の前にあるこの「自然」というものは、真理そのものであり、世界最高のアートであり、世界最高のアトラクションであり、生きた大芸術だと思う。
「人は有字の書を読むに解して、無字の書を読むに解せず。」by肥田春充
自然と触れ合っていると、その度に自分の「心の中の平和メーター」がMAXになり、すべてを愛し、すべてに感謝したくなるような「菩薩モード」になるときがある。
おそらくこれは全人類共通だ。
社会に揉まれ、気付かずしてフィルターがかかっている人でも、10日も自然と戯れていればこの「菩薩モード」になることは間違いないだろう。
自然を眺め、触れ合い、自然を愛することは、自分を愛し、人々を愛し、世界を愛すると同じなのだと思う。
1日10分でもこの時間があるとないとでは、人生が、世界ががらりと変わるはずだ。
話は540度変わるが、(180度)
昔、とある大手企業の秋田支社で、アルバイトをさせていただいたことがあった。
最初の5日間ほど出勤し、色々と感じることがあった。
作業時間の約1/3は3人でトラック移動しているのだが、その中での会話の90%(盛っているかも)は会社や同僚、何かしらの愚痴であり、完全に人を悪い角度からしか見れない癖がついている。
トラックの中は恐ろしい言霊の嵐なのだが、なんだかそのような状況を見ていると悲しくなる。
だが彼らがそのなるのもわからないでもない。
日中の激務のあと、夜会社に戻ると皆サービス残業という名の、強制奉仕を行っている。
そしてまた朝早くから出勤して彼らの「日常」を過ごしている。
人は「心の中の平和メーター」(心理状態)が低ければ低いほど、見る人すべてが敵になり、信頼とは真逆の猜疑心に包まれ、目の前に広がっている美しさ、優しさに気付くことなく、なんとも虚しい日々になってしまう。
そしてそこから更に「心の中の平和メーター」が低下していき、人生の彩りを失っていき負のスパイラルに陥る。
この会社だけでなく、世の中には同じような環境がたくさんあるのだろうが、やはりまずは自分を満足させることが大切なのだと思う。
充実感や幸せは、たぶん、心に余裕のあるときしか感じれない。
まずは自分を楽しませることから始めよう。
そしてそれこそが、人生の最優先事項だ。
そこからすべてがはじまるのだ。
とりあえず忙しい日々の中ででも自然と戯れ、「菩薩モード」になってみることおすすめしたい。
人生は1度切りであり、準備ではなく本番だ。出し惜しみしている暇はない。
死ぬこと自体は怖くない。何もしないままこの世を去るのが怖いのだ。
どうせ生きるなら、愛と喜びに満ちた美しい世界を感じていきたいものだ。
世界は思っているよりずっと優しい。
平凡なる大自然の妙の偉大さに気が付くかどうか。
人生即楽園。
どこかの誰かのためになりましたらこの上なく光栄です。
P.S.
五十河桃源郷毎日トマト祭りです。
感謝。
中川圭 拝