イイムラ的語感・言葉と映像の互換
vol. 9 2026-11-02 0
1980年のヴィデオ・インスタレーション《これはこれを撮影するカメラである This Is a Camera Which Shoots This》では、二台のモニターが壁面の前の両端に、互いに向かい合うように設置されています。それぞれのモニターの脇には三脚に据えられたヴィデオカメラがあり、向かい側のモニターを撮影するように配置されています。観客がその間に立ち、カメラに向き合うと、隣のモニターには自分の後ろ姿が映し出されます。どちらのカメラが自分を撮影しているのか確かめようと振り返ってみても、そこにはやはり、向かい側のモニターに映る自分の後ろ姿が……。壁面にはタイトルと同じ「THIS IS A CAMERA WHICH SHOOTS THIS」という文字が掲げられており、この作品がカメラとモニターからなるシステムの構造そのものを主題としていることがわかります。
飯村さんは、このインスタレーションを用いたパフォーマンスで、二組のカメラ・モニター・システムの間を、ハンディカムを手にしながら行き来します。その間、「これはこれを撮影しているカメラです」と「This is a camera which shoots t
《これはこれを撮影するカメラである》(1989版)
his」という言葉を声に出して読み上げながら、壁面のテキストを映し出し、三脚上のカメラやモニター、さらには観客へとカメラを向けていきます。
英語の「This is a cam
era which shoots this」というフレーズは、主語と目的語を入れ替えながら繰り返すことのできる構造を持っています。「This is a camera which shoots this, is a camera which shoots this, is a camera which shoots this...」と、次々に目的語を主語へと接続していくことで、カメラがモニターを撮影し、その映像をまた別のカメラが撮影するという、閉回路的な映像信号の円環が、言葉の上に重ね合わされていきます。
アーカイブ作業では今のところ2本のパフォーマンス記録が見つかっており、1993年版の記録では、「これはこれを撮影するカメラです」の最後の「です」を、次に続く「This」の音へとつなげるように発音しています。日本語のフレーズを英語へと聞こえるように接続する、いわば「空耳アワー」的な言葉遊びです。こうした音の連なりに対する感覚にも、飯村さんならではの言語的なセンスがよく表れていると思います。
システムの内部に自らの身体を置き、「見ること」と「話すこと」を実践しながら、その仕組みを読み解こうとする一方で、システムの論理に翻弄されてもいく。そこには、メディアの構造を外側から解説するのではなく、その内部に身を置くことで、構造そのものを経験し、可視化しようとする態度があります。このように、メディアの仕組みを自らの身体を通して反省的に捉え直す実践は、ますます複雑化する現代のメディア環境のなかで、私たちがどのような立ち位置を取るべきかについても、重要な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。(K.T.)
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