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モンゴル短編映画「黄砂鎮」をクラウドファンディングで実現!
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明治学院大学で映画批評・日本映画史を学んだ後、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻プロデュース領域で桝井省志・市山尚三氏に師事。自主作品は大阪アジア映画祭などの映画祭に出品され、実践的なプロデュース力を培う。修了後はNetflixやDisney+など配信作品や独立映画に携わっています。
内モンゴルの大草原を舞台に、一人の少女と中年女性の人生が交差するドッグレースの物語。東京藝術大学制作、大阪アジアン映画祭上映予定の短編映画「黄砂鎮」への制作資金募集にご協力をお願い致します。
この度、東京藝術大学映像研究科の公式制作作品として、短編映画『黄砂鎮』を中国・内モンゴル・オルドスで撮影することとなりました。本作は 公益財団法人芳泉財団の助成を受け、映画プロデューサー市山尚三氏の監修のもと制作されており、2027年春の大阪アジアン映画祭での上映が予定している作品です。
しかし現在、想定外の自然災害による宿泊費の追加支出や、美術費の追加予算、またクオリティの高い作品を仕上げるためのポストプロダクション費用など、計 500万円の資金不足が生じております。
内モンゴルの雄大な自然を舞台に、女性の生きざまを詩的に描くこの作品を、何としても完成させて世界に届けたい。どうか、皆様の温かいご支援を賜りたく、謹んでお願い申し上げます。
はじめまして。監督のOnggud Seina(オングド・セイナ)と申します。
東京に生まれ、モンゴル族として、中国と日本という二つの文化の狭間で育ちました。子どもの頃から、私はいつも「自分はどこに属するのだろう」という問いを抱えていました。
「日本に生きるモンゴル人」としての私。
「中国に生きるモンゴル族」としての私。
あるいは、時に「周縁に立たされる少数民族の女性」としての私。
それぞれの立場がもたらす文化的アイデンティティへの不安、そしてそれでもなお自分らしさを見出そうともがく葛藤。そんな複雑な思いを、いつか作品にしたいと願ってきました。
本作『黄砂鎮』は、そんな私の原体験から生まれた物語です。
風のように、肌で感じるけれど、なかなか辿り着けない故郷への想い。
近代化の波に流されつつある、どこか懐かしい、子供の頃に見た昔の風景。
故郷にいるのに、ふとした瞬間に感じる喪失感。
自然を崇拝するモンゴル独特の精神世界と、そこで生きる人々の夢と現実を、悠長で詩的な映像で皆様にお届けしたいと思います。
この作品は、私自身のルーツへの問いかけであり、同じように複数の文化の間で生きる人々へのエールでもあります。どうか、この心の旅路に、皆様の温かいご支援を賜りますよう、心からお願い申し上げます。
監督
Onggud Seina(オングド・セイナ)
◆監督:Onggud Seina(オングド・セイナ)
1995年東京生まれのモンゴル族映像作家。武蔵野美術大学映像学科卒業後、パリ国立高等美術学校に留学を経て、東京藝術大学映像研究科で修士号を取得。現在は同大学院博士課程に在籍中。監督作品は、周縁地域に生きる人々のアイデンティティの不安や主体性の探求、そしてモンゴル族として中国と日本で育った自身の体験に基づく文化的交錯を、女性の視点から考察することを特徴としている。
◆プロデューサー:張若男
1995年中国・青島生まれ。明治学院大学で映画批評・日本映画史を学んだ後、東京藝術大学大学院映像研究科で桝井省志・市山尚三氏に師事。学生作品は大阪アジア映画祭に出品され、実践的なプロデュース力を培う。修了後はNetflixやDisney+など配信作品や独立映画に携わり、商業とインディペンデントの両面で経験を重ねる。現在はゲームイベント運営会社に所属し、映画制作の知見を活かしてエンタメ領域で企画・国際交流を推進している。
◆撮影:李佩原
東京と上海を拠点に活動する撮影監督。母語は中国語(マンダリン)で、英語と日本語も堪能。コロンビア・カレッジ・シカゴおよび東京藝術大学大学院を修了。これまでの作品は数々の映画祭で評価され、プラハ国際映画祭で最優秀撮影賞、ニューヨーク・ショーティ映画祭で最優秀作品賞などを受賞している。
◆監修:市山尚三
国際的に活躍する映画プロデューサー。これまでに侯孝賢、賈樟柯、是枝裕和、アピチャッポン・ウィーラセタクンなど、アジアを代表する監督たちの作品を多数プロデュース。東京国際映画祭や山形国際ドキュメンタリー映画祭のプログラマーも歴任し、アジア映画の国際的な普及に尽力している。
内モンゴル西部の果てしない草原。一台のタクシーが沼地に嵌り、動けなくなってしまった。車内には、無口な運転手と、どこか危険な魅力をたたえた少女がいた。
焚き火を囲み、夜が更けるにつれて、少女は静かに語り始める。寂れた炭鉱町で、野ウサギを密猟し、違法なドックレース業者に売って生計を立てる日々。社会の抑圧と家庭の冷たさから、必死に逃れようとした青春。
やがて、語り手の少女の姿は、どこか哀しげな中年女性へと変容する。彼女は犬の飼育場を営み、自らも盗みを働いた少女を追い詰め、死へと導いた過去を告白する。しかしその過程で、彼女は忘れかけていた自分自身の青春と純真さに向き合うことになる。
夜明け、二人は木の下で白い袋を掘り当てる。それは少女の遺体のはずだった。しかし袋を開くと、そこから一匹の野ウサギが飛び出し、草原の奥へと消えていった。
広大な草原に設けられた特設コースで行われる賭博競技である。数匹のグレイハウンドが一匹の野ウサギを追いかけ、先に獲物を仕留めた犬が勝者となる。観客は勝敗を予想し、犬に賭け金をかける。法律上禁止されているが、2010年前後まで内モンゴルや河北省周辺で一時期盛んでいた。
本作は、内モンゴル西部の架空の町「黄砂鎮」を舞台にした物語です。この町のモデルとなったのは、監督の故郷であるオルドス市。2010年前後、石炭と天然ガス資源の開発により急成長を遂げたこの地域は、バブル経済の象徴として繁栄を極めましたが、民間融資の崩壊とともに「ゴーストタウン」となった。
草原を覆い尽くす不動産開発ブームの時代。資本が殺到し、無数のコンクリート建築が立ち並び、人々は「資源が未来を買う」という集団的幻想に酔いしれた。しかし、バブルが崩壊した後、建設が中断された高層マンションと別荘群だけが残され、かつての繁栄は廃墟へと変わり果てた。
このような草原に忽然と現れた「現代の廃墟」を舞台に、そこで息づく荒々しい暴力文化――ドッグレースを描きます。本来、草原の遊牧文化において狩猟犬は、人と自然の調和を象徴する存在だった。しかし、この伝統は金銭と欲望によって歪められ、地下暴力経済の一部へと変質していった。
本作は、荒廃した現実の中でも消えることない希望の灯りを描く、女性の成長と転生の物語です。内モンゴルの草原と廃墟を舞台に、一人の女性の人生の二つの側面――純真で自由を渇望する少女期と、権力構造の中でしたたかに生きる中年期――を交錯させながら展開する。
少女時代の主人公は、暴力と混乱に満ちた環境の中でも執拗に自由への道を探し続けるが、その逃亡は悲劇的な死によって幕を閉じる。一方、中年期の主人公は、男権社会の狭間で残された色香と計算高い知恵を使い、したたかに生き延びてきた。
この二つの魂が草原の夜に交差し、互いに鏡となり、導き合うことで、苦難に満ちた人生の中でも決して消えることない希望の輝きを描き出す。
作品の中で、犬は暴力的な男性権力を象徴している。兎はロマンスと純真さの象徴であると同時に、脆弱さと無力さの表しでもあり、絶えず追い詰められながらも逃れようとする少女の境遇を映し出している。物語の終盤で白い袋から飛び出した兎は、少女の転生であり、未だ果たされない自由への憧れを表しています。
20代のチョロムン
俳優:ᠰᠦᠯᠡᠩᠭᠡ(スレンガ)
モンゴル族と漢族のハーフ。内モンゴル西部の荒涼とした町で、野ウサギを捕まえて生計を立てる。風や木々の囁きで方角を見極める自然との深い絆を持ち、草原に広がる仏教信仰を心のよりどころにしている。
天真爛漫な彼女は、故郷の美しさと残酷さの間で揺れ動く。この土地の沈黙と暴力、母親の冷たさに抗いながらも、どこにも帰属できない葛藤を抱えている。草原は彼女のルーツであると同時に、逃れられない檻でもある。
40代のチョロムン
俳優:ᠬᠠᠰᠢᠭᠤᠸᠠ(ハスガオワ)
物語後半の語り手であり、20代のチョロムンの未来の姿。年上の夫の財力で成功を収め、現在はドッグレース場を経営する。物語の中では、最初は気さくで礼儀正しい乗客として登場するが、夜が更けるにつれ、その言葉には計算された駆け引きとしたたかさが滲んでくる。
しかし物語の後半、夢の中ではじめて故郷と母親への未練を覗かせる。その儚くも脆い温情は、彼女に本当の癒しを与えるわけではできないが、彼女のわずかな人間らしい一面をも露わにする。
ドルジ
俳優:ᠲᠤᠩᠭ᠋ᠠᠯᠠᠭ(トングラ)
黄砂鎮とオロン旗を結ぶ路を往復する、モンゴル族のタクシー運転手。
日々のささやなな楽しみは、多様な客の人生の一片を覗き見ること。
人情の機微は読めるが、大きな知恵や勇気を持つわけではない。
物語の夜更け、人気のない道でチョロムンに一時的な欲情を抱くが、
彼女の語る「ウサギ」と「死体」の不気味な話に恐怖を覚え、
結局は小心さが欲望に勝る。
善でも悪でもなく、風向きをうかがいながらも決して主体的に動かない「沈黙する大多数」を体験する人物。
・
精神的風土の独自性
ベット仏教の開かれた宗教理念と輪廻転生への信仰が、自然崇拝のシャーマニズム的考え方と融合し、独特な世界観を持つモンゴル文化。
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文化と現代の矛盾
モンゴルの地と深く結びつく犬の存在意義が、バブル経済崩壊後の社会状況の中でドッグレースへと変容する現代の現実を通して、人間性の変容と社会の歪みを鋭く考察する。
・
女性の葛藤と普遍性
草原に生きる女性たちが、自然と文明、伝統と現代の狭間を歩み、少数民族の物語を超えた現代社会全体への普遍的な問題提起を試みる。母と娘、過去と現在を行き来する二人の女性の物語を通して、現代女性に通じるテーマを浮き彫りにします。
・
映像表現の特徴
モンゴルの雄大な草原を背景に、二人の女性の魂が交錯する、現実と夢が融合する幻想的な映像を演出する。
現在、制作は最終準備段階に入っております。主要ロケ地の確保は完了し、メインキャスト・スタッフも決定済みです。現在はサブキャストの最終オーディションを実施中であり、2025年9月末以降の撮影に向けて最終調整を進めております。
しかしながら、想定外の大雨の影響により、大きな問題が発生しました。当初、宿泊施設としてスポンサーしていただく予定だった旅館が浸水被害に遭い、緊急工事のため使用不能となりました。この不可抗力による影響で、やむを得ず30キロ離れた近隣の町まで宿泊範囲を広げての手配が必要となり、以下の追加経費が発生しています:
・宿泊費の追加: 50万円
・移動費の増加: スタッフ・キャストの往復交通費
・撮影香盤の調整: 移動時間の増加に伴う効率化のための調整
現在、以下のスケジュールで制作を進めております:
2025年5月-7月
・脚本
・主要スタッフ最終決定
2025年8月
・現地ロケハン(主要ロケ地確定)
・メインキャストオーディション
・美術コンセプト確定
2025年9月下旬
・サブキャスト最終オーディション
・詳細撮影プラン最終調整
2025年9月下旬
・最終ロケハン
・美術・衣装・小道具の最終準備
・現地スタッフとの最終打ち合わせ
・技術面の最終確認(撮影・照明・音響)
2025年9月下旬・本撮影実施(5日間)
2025年10月-12月
・クラウドファンディング実施
・編集作業
・カラコレ
・整音
・VFX
2026年1月-3月
・音響制作仕上げ(MA)
・劇伴音楽制作
・日本語・英語字幕制作
・最終マスタリング
2026年4月
・完成試写
・映画祭への出品手続き
2027年3月
・大阪アジアン映画祭上映予定
皆様からいただいたご支援金は、作品のクオリティ向上と国際的な発信のために、以下のように大切に使わせていただきます。
1. 緊急対応費用
・宿泊費追加分
2. 不足している製作費用
・美術費
・スタッフ費
3. ポストプロダクション費用
・カラコレ
・VFX制作
・整音/MA
・劇伴音楽制作
・多言語字幕制作
4. 映画祭への出品費用
5.リターン制作費用
総額:500万円
今回はプロダクションファンディング(All in)方式での挑戦となります。そのため、万が一目標金額に届かなかった場合でも、不足分は自己資金にて補填し、必ず作品を完成させ、映画祭への出品を実現いたします。リターンにつきましても責任を持ってお届けいたしますので、どうぞご安心ください。
また、制作過程においてやむを得ない事情により進行の変更や遅延が生じる可能性もございますが、その際は速やかにメールやアップデート記事にて進捗をご報告させていただきます。
プロデューサーの張若男(チョウジャクナン)と申します。『黄砂鎮』は、女性的な視点を色濃く持つ作品です。都市に生きる私たちは、草原の暮らしを「無憂無慮」と捉えがちであり、あるいは特定の民族に属することで強い帰属意識を得られると想像するかもしれません。けれど実際には、草原であっても都市であっても、現実的な課題や葛藤は等しく存在します。
本作は、異なる国や文化を超えて、誰もが共感できる感覚を物語として描き出そうとしています。しかし、学生チームの力だけでは十分な制作費をまかないきれず、クラウドファンディングに挑戦することとなりました。
この映画の想いに共感していただける方には、ぜひご支援・ご協力をお願い申し上げます。「面白そうだ」「応援してみたい」と感じてくださった方は、シェアだけでも大きな励みになります。
皆さまと共に、この映画を世界へ届けられれば幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします!
3000 円
5000 円
10000 円
20000 円
30000 円
40000 円
50000 円
100000 円
200000 円
500000 円