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「被爆2世の肖像」写真集の出版をクラウドファンディングで実現!

「被爆2世の肖像」写真集制作

 被爆2世とは、両親もしくは父母のいずれかが広島や長崎で被爆した人の子どもたちです。 親の被爆体験と向き合い、迷いながらも自らの歩む道を探す被爆2世たちの素顔を20年間、全国に追った作品を写真集として自費出版します。

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額500,000円を達成し、2024年2月29日23:59に終了しました。

コレクター
105
現在までに集まった金額
579,200
残り日数
0

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このプロジェクトは、目標金額500,000円を達成し、2024年2月29日23:59に終了しました。

Presenter
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PRESENTER
吉田 敬三

母親が長崎市愛宕町(爆心地より約4キロ)で被爆した被爆2世です。歴史は伝える意思を持っていなければ忘れ去られるものと感じました。原爆投下から78年が経つというのに今も被爆2世への偏見や誤解が続いています。逆に被爆の事実が風化しているからこそ2世への 差別が現れているのかも知れません。「被爆2世」という言葉を差別用語にしないために、さらに反戦反核だけではなく、様々な分野で活躍する被爆2世の多様性を知ってもらおうと、20年間全国を回って、そのありのままの姿を「被爆2世の肖像」として撮影してきました。後に続く3世や4世たちへは怒りや不安ではなく希望を伝えたいと願っています。

  • 沖縄県
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このプロジェクトについて

 被爆2世とは、両親もしくは父母のいずれかが広島や長崎で被爆した人の子どもたちです。 親の被爆体験と向き合い、迷いながらも自らの歩む道を探す被爆2世たちの素顔を20年間、全国に追った作品を写真集として自費出版します。

1.被爆2世とは

 被爆2世とは、両親またはいずれかの親が被爆者で、1946年6月1日(広島)もしくは同年6月4日(長崎)以降に生まれた子どもです。その数は北海道から沖縄まで全国に30万人とも50万人とも言われていますが、未調査のため正確な数は不明のまま。ちなみに被爆者は、1号被爆者(直接被爆した人)・2号被爆者(入市被爆:2週間以内に被爆地へ入った人)・3号被爆者(看護被爆:被爆者を看護したり、死体処理に従事した人)・4号被爆者(胎内で被爆した人)と被爆者援護法により定められています。2023年3月末現在11万3649人が被爆者健康手帳を所持しており、その平均年齢は85歳になりました。

2.撮影のきっかけとその過程

 私・吉田敬三も母が長崎で被爆した被爆2世です。カンボジアの内戦を撮影中、兵士との雑談で出身地を尋ねられたので「NAGASAKI」と伝えると、「GENBAKU」「HIBAKUSYA」と返ってきたので、母が被爆者だと言うと「原爆はどうだった?」と聞かれましたが、私は何も答えられませんでした。海外まで来て戦争の悲惨さを伝えようとしているのに、最も身近な親の被爆体験をまったく知らなかったのです。他の2世の皆さんは親の記憶を継承できているのか確かめたくて取材を始めました。
 当時、被爆2世を探すことは難しく、たとえ探し出しても10人に声をかければ9人から撮影を断られました。「私は良いけれども子どもが学校でいじめられるから」「連れ合いにみっともないからやめとけと言われた」「表に出ることで差別を助長することにならないか」と断る理由は様々。ある地方で2世と話をしていた時、それまで積極的に会話していた女性が、店員が注文を取りに来た途端、口を閉ざしたのです。今も被爆2世であることを隠さなければならない現実に驚きました。「婚約者の親から『広島出身なら被爆2世ではないという診断書を持ってきなさい』と言われた」「友人に親が被爆者だと言ったら『ケロイドなの?』『結婚できなくなるから隠していなさい』と忠告された」など、これまで気付かなかった差別や偏見も見えてきました。
 取材を始めて1年間、全く撮影ができず諦めかけていた時、山口の被爆2世の夫婦が快く撮影に応じてもらい、そこから徐々に輪が広がりました。会社員や専業主婦、教師、デザイナー、看護師、歌手など多種多様ですが、それぞれの地域で、様々な職場で元気に暮らしていました。多くは被爆2世という自覚はありませんでしたが、親の被爆体験がどこかで生かされていると気付きました。
 ただ撮影後に紙焼きにして作品を送ったあと連絡が取れなくなった2世の方も数名います。これまでの“被爆者の子”から“被爆2世”としての自分に向き合った結果だと想像しています。撮影開始から10年が経った2012年に東京で初めての写真展を開催、その後も撮影を続けながら長崎や滋賀、石川、島根、熊本など全国を回って巡回展を開催しています。これまで2世を撮影した場所は北海道、栃木、茨城、千葉、東京、神奈川、山梨、長野、静岡、新潟、石川、富山、福井、滋賀、奈良、京都、大阪、兵庫、岡山、広島、山口、島根、徳島、福岡、長崎、佐賀、大分、熊本、宮崎、鹿児島、沖縄の31都道府県になります。

3.写真家としてこれまでの活動

 私の写真家としての歩みを写真展を中心にご案内いたします。30歳を過ぎて日本写真芸術専門学校の夜学に通い、そこで出会った報道写真家の樋口健二先生からドキュメンタリーが持つ”力”を学びました。マスコミが取り上げない市井の人々の逞しく生きる姿に惚れ込み、現場に通いながら信頼関係を築いた上で写真を撮り続けてきました。以下のDMや紹介文は写真展開催時のものですのでご了承ください。

・FRIENDSー大都会の片隅(1996年3月28日〜4月2日)

 今年(1996年)は「 世界貧国ぼく滅年 」。デンマークのコペンハーゲンで、昨年125カ国が参加して開催された世界社会開発サミットでは、貧困ぼく滅と差別、人権蹂躙などに取り組むことが採択された。もちろん“生活大国”を掲げる日本もこの宣言を支持したわけだが、実際に国内での支援体制は確立しているのだろうか。
 現在、都内だけでも1500人以上の路上生活者が暮らしている。都や区の行政ではその実数を把握しておらず、各種支援団体が頼みの現状だ。上野や新宿、銀座の街角で、彼らの人間味あふれる温かい笑顔に惹かれて撮影を始めた。
 ホームレスという言葉があるが、彼らにとって段ボールハウスが住居であり、決して家無き者( ホームレス )ではない。本当に小さい家だが、中には鍋や食器などの家財道具、それに文庫本が山と積まれていた。初対面の者に対しては「先輩」、また仲間内ではユニークなニックネームで呼び合っている。白髭が立派な「森繁さん」、ラジオの修理が得意な「電気屋さん」、いつも帽子を離さない「ベレー帽」など、まるで昔の横丁長屋のようだ。毎朝、どこからか食材を調達してきては仲間みんなの食事をつくるおばちゃん。早朝からリヤカーを牽いて段ボールを集めるおっちゃん。読み捨てられた雑誌を拾い集めて小銭を稼ぐあにやん。寂しがり屋でいつも猫と一緒のじっちゃん。生活を共にしながら、飾ることのない素顔の彼らを見せてもらった。一緒に笑う友達がいて、愛し合う恋人がいて、時にはケンカもするが、共に助け合い、差別や偏見と戦いながらも、みんな一生懸命に生きている。同じ地域の住民として、彼らを見つめて欲しい。

・LANDMINESー悪魔の兵器ー(1998年2月24日〜3月2日)

 1億1000万個。これは世界64カ国に埋設されている地雷の数だ。昨年(1997年)は対人地雷廃絶を訴えるNGO「地雷禁止国際キャンペーン」(ICBL)がノーベル平和賞を受賞し、カナダのオタワで行われた対人地雷全面禁止条約の調印式では120カ国以上が調印した。しかしこれで地雷禍が無くなるわけではない。
 かつて豊饒の地と呼ばれたカンボジアにも、20年に及ぶ内戦で総人口を上回る1000 万個以上の地雷が埋設されている。戦闘中は兵士が、戦いが終わっても農民や子どもたちが触雷して、命を落とすか障害者となっている。その数は3万人とも4万人とも言われるが、これに死者は含まれていない。
 地雷は一度埋設されると、数十年も無言で獲物を待ち続ける無差別的な殺傷兵器ゆえに「悪魔の兵器」と呼ばれる。熱心な仏教徒であるカンボジア人は、地雷の被害をカルマ(業)と受けとめている。しかし社会保障が未整備のカンボジアでは自分だけが頼りだ。リハビリセンターでは地雷で足を失った患者が一生懸命に歩行訓練に励み、職業訓練校では健常者に負けまいと汗を流す。ときには自分の障害を冗談にして笑い飛ばしてしまう逞しさ、厳しい生活の中にも笑顔を忘れず、希望を持って未来を見つめる彼らの姿を見ていただきたい。
(注)DMの開催日時に誤植があります(誤:1988年→正:1998年)

・星空の学舎ー自主夜間中学の生徒たち(2003年5月15日〜5月28日)

 少子高齢化に伴う大学全入時代が語られるが、全国には戦争や貧困、病気、差別などの理由から義務教育を終えることができなかった人々が推定で100万人以上いると言われる。東京や大阪など大都市圏を中心に35校の公立夜間中学で約3000人が学んでいるが、通学できる人は限られており、九州や四国、北海道には公立の夜間中学が一校も無い。
 東京都江東区、千葉県松戸市、そして埼玉県川口市には市民による自主運営の夜間中学が開かれており、お互いに膝を突き合わせての手作りの授業が20年以上も続いている。「何度習っても忘れてしまう。この年になって漢字を覚えてもしょうがない」と愚痴をこぼす高齢の女性もみんなの声援に「もう少しがんばってみようか」と書き取りに精を出す。在日のオモニから東京大空襲で逃げ回った話、中国帰還者からは文化大革命で追われた話など貴重な体験も語られる。自主夜間中学にはいじめなどで不登校になった子どもや障害児も通っており、誰もが自由に学べる学校だ。書き初めや餅つき、お花見やキャンプなど四季折々の行事も行われるが、自主運営のため中学校の卒業証書は無く、また自治体からの補助金も無いのでほとんどが手弁当だ。
「私は義務教育未修了。もう一度勉強がしたい」「定時制高校に通いたい」「友達が欲しい」自主夜中に集まる生徒の通学理由も様々ならば、年齢も国籍もバラバラだが、教室では笑顔が絶えない。昼間は仕事や育児などで忙しい生徒たちだが、「勉強が楽しいから」と今日も元気に自主夜中へ通う。

・被爆2世 108人の肖像(2012年8月8日〜8月20日)

 これまで北海道から沖縄まで24都道府県で撮影した2世は108人。社会の中核で活躍しながら、積極的に平和運動に関わっている人もいれば、直接には被爆や戦争体験と関係のないところで自分の道を確立した人、育児に専念している人、それぞれの2世の生き方があった。
 多くの2世との出会いを通じて、健康不安などマイナスの部分だけではなく、親の被爆体験があるから平和に敏感だったり、他人への優しさや思い遣りなど自分が意識するしないに関わらず被爆2世として人生にプラスに影響した部分もあると確信した。被爆者の平均年齢は77歳を超え被爆体験の風化が進むなか、被爆の事実が後世に伝わるか否かは被爆2世の生き方にあるだろう。親の被爆体験の継承や、自身の2世のアイデンティティーを考え、被爆3世や4世たちには怒りや不安ではなく、希望を伝えるのが被爆2世の役目だと感じた。堂々と今を生きる被爆2世の姿が平和のメッセージとして世界へ届くことを願っている。

What a Wonderful World〜人工呼吸器を付けて街に出よう〜(2017年4月6日〜4月12日)

 世間では“人工呼吸器”というと、病院のベッドで寝たきりの重症患者が使用する生命維持装置という誤解が定着したままだ。「あんな姿になってまで生きたくない」という声も数多く聞かれる。しかし様々な疾病や障害を持ちながら、日常的に人工呼吸器を利用して住み慣れた地域で自立生活している人も少なくない。街に出て買い物もすれば、好きな歌手のコンサートにも行く。もちろん仕事や恋愛にも夢中になる。
「人工呼吸器は利用者にとって眼鏡のような日常生活用品であり、人生を豊かにしてくれるツール。人工呼吸器を付けることは終わりではなく、新しい人生の始まり」と肯定的に捉えて、積極的に社会参加をしている。患者ではなく生活者として地域に溶け込む姿を伝えることで、人工呼吸器に対する社会一般の誤解を解き、特別な存在でとしてはなく、共に同じ地域で暮らす隣人として理解を深めてもらいたい。
 昨年(2016年)7月、神奈川県相模原市にある障害者施設で悲しい事件が起きたが、それ故に写真に写る彼らの生き生きとした姿から、同じ人間としての命の尊さ、生きることの幸せや希望を見る人に伝えたい。さらに人工呼吸器利用者に対しては全国に仲間がいること、たとえどんなに重度の障害を持っていても夢を持ち続ければ叶うこと、どんな状況にあっても皆それぞれが生きるに値することを紹介したい。


他に全国各地で「被爆2世の肖像」の巡回写真展を開催しています。
・ナガサキピースミュージアム(長崎県) 2013年


・あけぼのパーク多賀(滋賀県) 2013年
・茶論 花色木綿(石川県) 2015年


・島根県民会館(島根県) 2015年

・水前寺共済会館(熊本県) 2016年
・八重山平和祈念館(沖縄県) 2018年


4.ご支援の使い道

 私が住んでいる石垣島にある日本最南端の出版社である南山舎(株)さんにお願いをして写真集「被曝2世の肖像」の制作に取り掛かっています。自費出版(B5版 180頁 オフセット印刷 カバー無 並製本 400部)の見積もりが100万円となるため、自己資金でその50%は賄えますが、残りをプロジェクトでご支援をいただきたくクラウドファンデイングを立ち上げました。
 当プロジェクトの進行スケジュールをご案内いたします。
  ・2023年12月1〜15日  紙焼き(写真)のデータ化
  ・2023年12月18日     原稿入稿
  ・2024年1月中旬       組版・校正
  ・2024年2月初旬       印刷・製本
  ・2024年2月末        配本・リターン発送予定
 目標金額を上回るご支援が集まった場合は、ストレッチゴールとして全国47都道府県立図書館へ寄贈したいと思っています。

5.リターンの内容(特典)

◆500円とにかく応援コース
    ・お礼のメッセージをメールにてお届けします。
◆2000円写真集「被爆2世の肖像」1冊コース
    ・写真集「被爆2世の肖像」1冊を郵送します。
    ・お礼のメッセージをメールにてお届けします。
◆5000円写真集「被爆2世の肖像」3冊コース
    ・写真集「被爆2世の肖像」3冊を郵送します。
    ・お礼のメッセージをメールにてお届けします。

 写真集「被曝2世の肖像」の掲載写真は人物の表情が生きるようにすべてモノクロフィルムを使って中判カメラで撮影しました。画像は束見本として作ったものなのでの実際の配本とは異なることをご了承ください。

6.想定されるリスクとチャレンジ

 撮影を始めた時に「なぜ被爆者ではなくて2世なの?」とよく尋ねられました。私たち被爆2世には被爆体験はありません。それ故に被爆2世に対する関心も低いものでした。
 被爆者にとって8月6日、8月9日は始まりに過ぎません。これまでの人生全てが「ピカ」と繋がっているのです。その中で語り部となって自らの体験を多くの人に語れる被爆者はほんの一部に過ぎないでしょう。親が“語らなかった” “語れなかった”被爆への思いをその背中に感じながら育ったことが被爆2世の原体験です。歴史は伝える意思を持たなければ消えてしまいますが、残念なことに親から直接、被爆体験を聞いた2世は半数に満たないのも事実です。親には「自分が被爆したせいで子どもたちに何かあったら」といった不安が、2世には「過去の辛い体験を思い起こさせるのでは」といった思いがあり、家族故の難しさも感じました。しかし被爆者自らが被爆体験を語れる時間は残りわずか。この写真集をきっかけに、まずは家族の中で被爆の実相を伝え、2世はそれを自らの思いも込めた言葉で次の世代へバトンタッチすることが、不安や偏見に負けずに私たちを産んでくれた親への恩返しにもなると思います。2世の堂々と生きる姿が平和へのメッセージになることを心から願っています。
 今回はプロダクションファンディング(All in)での挑戦になるため、もし目標金額未達となった場合でも、不足する資金は自費で補填し、写真集「被爆2世の肖像」の出版を実現します。リターンも必ずお届けしますので、ご安心ください。

7.終わりに

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。私の母は10歳の時に長崎で被爆しました。1945年8月9日、その日は大学附属病院へ通院の予定でしたが、雲が広がり雨になりそうだったので勝手にキャンセルしました。11時2分、昼食の用意で台所に立っていたところ、窓の外が眩く光った途端に吹き飛ばされ、割れたガラスの破片が身体中に刺さって血だらけになったそうですが、不思議と痛みは感じなかったとのこと。しばらくして玄関の前を真っ白な骨まで露出した人たちが無言でそれぞれの自宅を目指して歩いていく姿は今でも鮮明に覚えていると語ってくれました。
 もし母が通院していたら原爆直下にあった病院で遺体も残らず消滅していたかも知れず、私も存在しなかったでしょう。母がその後の人生をどんな思いで過ごしてきたのか、本当の胸の内は息子にもわかりませんが、生かされた命に感謝しつつ記憶の継承の大切さを実感しています。
 長崎出身の俳人で原爆で妻と3人の子ども失った松尾あつゆきさんの句を紹介します。
    「降伏のみことのり 妻をやく火 いまぞ熾りつ」
    「なにもかもなくした手に四まいの爆死証明」
 今も世界では紛争が続き、核兵器を恫喝の手段に使う国が存在しています。被爆2世として何ができるのか、まだまだ試行錯誤中ですが、「微力だけれども無力じゃない」という高校生平和大使の合言葉を胸に前へ進んで行きたいと思います。

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