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リーメンシュナイダーの最高傑作がある、ヘルゴット教会への応援をクラウドファンディングで実現!
ドイツ、クレークリンゲンのヘルゴット教会が天井に灯りを付けるなどした工事の負債が今年2月現在22万1千ユーロ(約3020万円)あり、コロナ以降は訪問客も減って困っています。皆様からのご支援を是非お願いいたします。
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1999 年 ミュンヘンで見た「天使に支えられる聖マグダレーナ」に心を鷲づかみにされ、ティルマン・リーメンシュナイダーの追いかけ人(びと)となる。55歳で教職を辞し、半年間のドイツ語留学を経てドイツ、ヨーロッパ、アメリカのリーメンシュナイダー彫刻を訪ねて回る。2008年に日本初のリーメンシュナイダー写真集を自費出版、合計5冊の写真集を発行。2019 年 9 月 第 22回自費出版文化賞グラフィック部門特別賞を受賞。昨年までに写真展を3回開催、チャリティー絵はがきを作成して販売し、今年8月に2回目の寄付をドイツ、クレークリンゲンのヘルゴット教会まで届けに行く。
ドイツ、クレークリンゲンのヘルゴット教会が天井に灯りを付けるなどした工事の負債が今年2月現在22万1千ユーロ(約3020万円)あり、コロナ以降は訪問客も減って困っています。皆様からのご支援を是非お願いいたします。
マリア祭壇 ティルマン・リーメンシュナイダー 1505~1510 ヘルゴット教会、クレークリンゲン
2007年8月15日 午後5時37分 福田 緑撮影
ドイツ、クレークリンゲン(ローテンブルク近郊)の丘の上に小さなヘルゴット教会はあります。
堂内にはドイツ中世後期の彫刻家、ティルマン・リーメンシュナイダーの「マリア祭壇」が天井に届きそうにそびえています。
毎年8月15日の夕方5時から「マリア被昇天礼拝」が厳かに始まります。教会西側の天窓から入る夕日が聖母マリア像の足下を照らし始め、次第に膝へ、胸元へと光が移ろい、マリア様の祈る手とお顔が照らし出されるのです。最後は祭壇の右上方へと静かに光が昇っていき、6時に礼拝が終わります。
このヘルゴット教会を初めて訪れたのは2000年8月のことでした。昼間の堂内はほの暗く、祭壇中央に立つマリア様のお顔が私にはよく見えませんでした。それでもマリア様の姿を荘厳な面持ちで見上げている使徒たちは、まだ視線が低いのでよく見えました。この使徒たちは一人ひとり表情が違っていて、リーメンシュナイダーの美しく繊細な彫り、使徒たちの深い思いの表現に目を見張りました。もう少し堂内が明るければもっとマリア様のお顔がよく見えるのにと残念な気持ちで帰途についたのでした。
2007年8月15日、「マリア様のお顔をもっとしっかり拝観したい」と願って、連れ合いの福田三津夫、娘の福田奈々子と3人でヘルゴット教会の「マリア被昇天礼拝」に参加しました。2006年のドイツ語留学時代に知り合ったアマチュア写真家(故)ヨハネス・ペッチュさんがこの礼拝時の美しいマリア様の写真を見せてくれて「この瞬間に立ち会いたかったら8月15日に来なさい」と誘ってくれたからです。彼がこの日は車で私たちにローテンブルク近辺を案内してくれたのですが、午後までずっと曇り空で「これでちゃんと夕日が出るかしら」と心配していました。ところが教会に着いた頃にはサーッと空が明るくなり、ホッとしました。
午後5時から始まった礼拝では少しずつ祭壇の左下から夕日が射してきて、マリア被昇天の瞬間を撮影初心者の私でも写すことができました。私たち家族はクリスチャンではありませんが、マリア様がそっと両手を合わせながら天に召されていく様子を、礼拝する地元の皆さんと一緒に見守っているような深い感動を覚えました。その写真をこのプロジェクトのシンボルとしてトップに載せました。このマリア祭壇に光が当たったときはトップ写真のようにマリア様のお顔も祈る手も素晴らしくくっきりと見えるのですが、その12分前には下の写真のように暗かったのです。
ヘルゴット教会、クレークリンゲン 2007年8月15日 午後5時25分 福田 緑撮影
その後、ヘルゴット教会は天井に灯りを付けるなどの堂内修繕工事を実施しました。その結果、下の写真のように冬の寒い日でも祭壇の全体が大変よく見えるようになりました。以前は奥に見えるつり下がった灯りだけだったのですが、手前にライトがついたおかげです。
2010年に再びヘルゴット教会を訪ねた時、トーマス・ブルク牧師さんと出会いました。彼は「この素晴らしい祭壇をカメラで写すのではなく、心の目で見て欲しいのですよ」と、私にも撮影を許してくださいませんでした。「でも、日本でまだほとんど知られていないリーメンシュナイダーのこの『マリア祭壇』を紹介したいのです」と訴えると、「あなたの欲しいアングルの写真を私が写して送りますから」とおっしゃるのでした。そして何度か追加写真をお願いして、何か月か後にはクレークリンゲンのインフォメーションセンターが所有する写真と共にトーマス牧師さんが自ら撮影した写真をCDで送ってくださいました。その画像で2013年1月、2冊目の写真集を自費出版することができたのでした。
2013年2月8日 自費出版した2冊目の写真集を連れ合いと共にトーマス・ブルク牧師さんに贈呈した際には、手前についたライトのおかげで祭壇全体が明るくなってマリア様のお顔もよく見えました。
同日の雪を被ったヘルゴット教会
出版直後の2月に再度ヘルゴット教会を訪ねた際に写した写真が上の2枚です。トーマス牧師は受付の女性が寒いから何とかしたいものだと気づかっておられました。ただ、堂内の工事だけでも費用が相当かかり、大きな負債があるので、なかなか受付の改善に手が回らないと残念そうにおっしゃったのでした。
帰国後にヘルゴット教会のウェブサイトを見てみたところ、以下のことがわかりました。
・修繕にかかった費用は130万ユーロ(約2億1174万円)
・そのうちクレークリンゲン教区の負債は31万5千ユーロ(約5131万円)
・2010年ウェブサイト掲載時までの支援額は93,993ユーロ(約1531万円)
*本文中の日本円は2025年3月28日現在のレート(1ユーロ=162.88円)で換算
支援額は29%と書かれていました。つまり、まだあと約3600万円の支援額が必要だったのです。トーマス牧師さんの肩には重い負債がのしかかっていたのでした。
そこで私は2019年秋、初めての写真展を開催すると決まった時に、それまで撮影してきたリーメンシュナイダー作品の中から特に素敵だと思っている彫刻を選んでチャリティー絵はがきを24枚作ることにしました。その売り上げをお渡しして少しでもヘルゴット教会の支援ができればと思ったのです。
※この支援は私個人が自主的に行ったもので、今回のプロジェクトとは異なります。
A)クレークリンゲンのマリア祭壇の写真で「マリア祭壇シリーズ」6枚
上段右端、下段左端は完売 上段中央のトップ写真は2007年、それ以外の5枚は2019年撮影です。
B)ローテンブルクの聖血の祭壇の写真で「聖血の祭壇シリーズ」6枚
C)ミュンヘン、ヴュルツブルクとその近郊の村にあるリーメンシュナイダー作品を中心とした
リーメンシュナイダーの「主要作品シリーズ」6枚
下段右端は完売
D)ベルリン、ニュルンベルクにある同時代の作家たちの作品を中心とした「同時代の作家シリーズ」6枚
これらのチャリティー絵はがきを2019年から開催してきた3回の写真展で販売しました。そのうちの2回目の写真展の様子を動画でここに紹介しておきます。
★動画の解説
2022年1月19日~24日まで国分寺市司画廊で開催した福田緑写真展No.2 「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」の様子をアップロードしました。 若きチェンバロ奏者の中川岳さんからご提供いただいた音楽もバックで流れています。ありがとうございます。 曲名はJ. S. バッハ作曲 『平均律クラヴィーア曲集 第2巻』より フーガ 変ロ長調です(ヴュルツブルク留学中の演奏会実況録音より)。リーメンシュナイダーとチェンバロの演奏がとてもマッチしていると自画自賛の動画です。 タイトルの中央のマリア祭壇は、第一回目の写真展の際に特別に作っていただいたマリア祭壇ロールで、写真ではありません。
嘆きの群像 ティルマン・リーメンシュナイダー 1519~1523 聖アフラ教会、マイトブロン
中央左側の帽子を被った男性像がリーメンシュナイダーの自刻像と言われています。この彫刻が彼のさいごの作品でもあります。
ここでティルマン・リーメンシュナイダーはどんな彫刻家だったのか、紹介しておきたいと思います。
ティルマン・リーメンシュナイダー(1460年頃~1531年7月7日)は、ドイツ中世後期の彫刻家です。テューリンゲン、アイヒスフェルト地方のハイルバート・ハイリゲンシュタットに生まれ、1485年にヴュルツブルクで工房を構えました。この地で多くの宗教彫刻を制作しながら市の参事に3回選ばれた後、1520年には市長にもなりました。
1517年にマルティン・ルターが発表した「95ヶ条の論題」に端を発した農民戦争で、1525年にヴュルツブルクがその戦場となった際、リーメンシュナイダーは教会の仕事をしてきたにも拘わらず農民の側に立ちました。マリエンベルク要塞に立てこもった司教軍が勝利し、農民と共にリーメンシュナイダーは逮捕されてマリエンベルク要塞の牢獄に2か月間投獄されています。このときの拷問で腕または手の指を折られたという噂があるのですが、証拠はないとのこと。ただ、解放された後は所有していた葡萄畑も資産も一部没収され、新たな作品は制作されていないようです。
リーメンシュナイダーが1531年7月7日に亡くなってから、彼の名前は次第に町の人々から忘れ去られていきました。
ところが『リーメンシュナイダーの世界』(この本については後述)の134頁にはクレークリンゲンでマリア祭壇が発見されたときの様子が以下のように書かれています。
「一八三二年、主なる神教会設立の総代表者として村長ドレーアーが花環の山を取り除き、埃にまみれた白布をほどき、翼扉を左右にひらいたとき、祭壇は長い眠りから醒めたのである。」
リーメンシュナイダー没後、約300年の時を経て美しいマリア像や使徒彫刻を見た人々はどれほど驚いたことでしょう。
ちょうどその頃、ヴュルツブルク大聖堂の工事中にリーメンシュナイダーの墓碑が見つかったのだそうです。息子のヨルゲンが彫ったこの墓碑は、現在マリエン要塞内のフランケン博物館-ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館に所蔵され、リーメンシュナイダーの展示室出口に掲示されています。訪れる機会があったら是非ご覧ください。
ローテンブルクの「聖血の祭壇」がリーメンシュナイダー作であるという契約書が残っていたため、マリア祭壇の彫刻も彼の手になるものだという評価が定まったのだと写真家のヨハネスは話してくれました。ヘルゴット教会は、忘れ去られていたリーメンシュナイダーの名誉の復活を果たすきっかけとなった教会と言えるのではないでしょうか。
日本で初めてリーメンシュナイダーのことを知ったのは植田重雄氏の『リーメンシュナイダーの世界』(恒文社 1997年)というご著書からでした。その中で、リーメンシュナイダーの彫刻が70枚近い写真で紹介されていました。ドイツに行ったらこれらの彫刻を見たいと思わせるのに充分な魅力を放つ写真でした。クレークリンゲンの「マリア祭壇」もこの中に入っていたのでした。
デューラーやミケランジェロとほぼ同時代を生きたリーメンシュナイダーは日本ではまだまだ知る人の少ない存在です。そんな彫刻家の作品に深く感動した私が「リーメンシュナイダーの追いかけ人(びと)」となったのは、時間は遡りますが1999年8月5日でした。
私が連れ合いとミュンヘンのバイエルン国立博物館を初めて訪れたときのことです。館内は広くてなかなかリーメンシュナイダー作品の部屋を見つけられませんでした。さんざん探し回ってようやくたどり着いた薄暗い小さな部屋に、数体のリーメンシュナイダー彫刻がありました。そこで「天使に支えられる聖マグダレーナ」が空中に浮かぶように立っているのを見た瞬間、しゅっと光の矢が心に刺さったような感じがして、何故かわからない涙があふれてきました。じっと聖マグダレーナを見つめているうちに、うす暗い工房の中、ランプの下でこの毛むくじゃらの聖女をコツコツと彫っている彫刻家の姿が浮かんできて「ああ、この人は心を込めてこの敬虔な姿で祈る作品を彫ったのだ」と感じました。そして、「リーメンシュナイダーの作品を全部見て回ろう!」と強く心に誓ったのでした。これが私の人生の分岐点だったのです。
その聖マグダレーナの写真がこちらです。
天使に支えられる聖マグダレーナ ティルマン・リーメンシュナイダー 1490~1492
バイエルン国立博物館、ミュンヘン
「リーメンシュナイダーの追いかけ人」となって5年後の2004年、ヴュルツブルクでは市制1300周年の「リーメンシュナイダー展覧会」が開かれました。その時に購入した2冊の分厚いカタログは、リーメンシュナイダー彫刻の集大成でした。それを少しでも読みこなす力を付けたいと、2005年には連れ合いと共に5年早く退職しました。
そして頭の中で留学案を温め、私が半年間ドイツ語を勉強しに行きたい理由をA4用紙3枚のレポートにまとめて連れ合いに談判、2006年5月から半年間の留学を認めてもらいました。ただし、「それなら帰ってきてからリーメンシュナイダーの写真集をちゃんと出版しなさいよ」という約束の下でしたが。
2006年4月末、一人で大きなトランクを持って成田からフランクフルトに飛び、留学先のシュヴェービッシュ・ハルにあるゲーテ・インスティテュートまで列車の旅。56歳の私はエネルギーに満ちていて怖いもの知らずでした。学生寮に住み、5月からは若い生徒たちに交じって脳みそをひねりながら10月までドイツ語を学んだのでした。生活の中で買い物や交流家族とドイツ語を直に話したり聞いたりする体験はとても大切な勉強だと実感しました。一人でロストックやデュッセルドルフに住む知人、友人を訪ねたりする小旅行もできるようになりました。
そして、最初に登場したアマチュア写真家ヨハネスとも出会い、彼から「マリア祭壇」のマリア様の他にローテンブルク近辺の祭壇3点の詳細な写真もいただいたのです。これらの写真はカラーで掲載し、娘が写してくれたモノクロ写真30点を載せた1冊目の写真集『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』(2008年 丸善プラネット)を自費出版して、ようやく連れ合いとの約束を果たしました。この初巻の表紙はヨハネス・ペッチュが撮影した「マリア被昇天礼拝」のマリア像です。
ただし、この写真集には私自身の写真はわずかしか掲載できませんでした。それが残念で、私は一眼レフを買い、初心者講座にも通って何とか自分で撮影できるようになりました。
1999年の聖マグダレーナとの出会いから25年に亘ってドイツだけではなくヨーロッパ、アメリカ合衆国を取材し、リーメンシュナイダー(弟子・工房・周辺作家の作品も含む)の推計452点を数える作品のうち428点を拝観してきました。これは各種カタログやウェブサイトで見つけた情報を元にまとめた数です。その拝観率は94.7%となりました。拝観できずに残った作品は、個人蔵や行方不明で見られなくなったものがほとんどです。
*この作品の数え方は、ベルリン、ボーデ博物館の元館長だったジュリアン・シャピュイ氏の「あなたなりの数え方を決めればそれで良いのです」というアドヴァイスに従ったものです。そして「あなたが写した彫刻写真は自由に使って良いですよ」という許可もいただきました。
連れ合いと私はリーメンシュナイダーを追いかけている間に、次第にリーメンシュナイダーだけではなくドイツ中世後期の作家たちの作品も訪ねるようになりました。その作品写真も載せ始めたため、結局計5冊の『祈りの彫刻』シリーズ写真集を自費出版してきました。
5冊のうち初巻は完売しました。
そのようなドイツ18回の旅の中でクレークリンゲンのヘルゴット教会を15回も訪ねたのは、マリア様の祈る姿が頭から離れなくなったからです。「マリア祭壇」はリーメンシュナイダー作品の中でも私が一番好きな祭壇なのです。また、この地に親切な友人家族もできたからです。
コロナがようやく明けつつあった2022年。
自作した絵はがきを2019年と2022年1月の写真展で販売した売り上げは、印刷費を除いて24万7900円となりました。なんとか海外旅行も許されるようになって2022年夏の旅行が決まった頃にユーロに換金したところ1,715ユーロとなったのです。
こうして3年ぶりのドイツ旅行で、私は日本からの支援の気持ちをクレークリンゲンに住む友人夫妻と共にヘルゴット教会のフラウケリンド・ブラウン牧師に手渡してきました。その時のクレークリンゲン地方紙の記事を下に載せました。
ところが帰国後しばらくしてヘルゴット教会のウェブサイトを見たところ、私の手渡した支援がまったく反映されていないのです。あれから2年半経った今も変わっていないので、今年に入ってから理由を教会に尋ねてみました。すると、このウェブサイトの増減画像を操作できる人がいないのだそうです。ただ、2025年2月現在までに集まった実際の支援額のうち、修繕関係への支援額は約13万ユーロ(約2117万円)になったことを知らせてくれました(修繕費用の負債残額は約3020万円)。
ただ、2022年には「修繕費と教会の維持費と区別をして受け取っている」とは知らずに日本からの支援を手渡したものですから、維持費の方に回されてしまっていました。コロナ禍で訪問者数が激減し、開館日を減らしたりしても教会を維持していけるかどうかの瀬戸際だったのだそうです。現在も訪問者数は以前の半分ほどまでしか回復せず、毎年赤字で苦しんでいるとのこと。
そこで、ブラウン牧師さんから許可をいただいて、このプロジェクトを始めることにしました。写真展で絵はがきを売っているだけでは支援が追いつかないと思ったからです。支援は急を要するのです。
ブラウン牧師さんは今回のクラウドファンディングに大変感謝するとメールで書いてくださいました。私が8月にお届けする皆様からのご支援は、ヘルゴット教会の維持費・修繕費に使っていただきます。
この文章を読んでくださっている方で、今後ローテンブルクを訪れるかもしれない皆様にお願いがあります。どうかお時間があったら少しだけ足を伸ばしてヘルゴット教会のマリア祭壇を是非訪れてくださいませんか。それがヘルゴット教会には何よりの支援となります。
世界的な観光地、ローテンブルクからクレークリンゲンまではタクシーで約20分です。8月の平日はバスも午後13時14分、16時発(所要時間30分弱)の2本あります。地元のバスはクレークリンゲンのバスターミナル(ZOB)が終点ですので、そこから20分ほどなだらかな坂を上るとヘルゴット教会に着きます。
ただ帰りのバスは14時35分にZOB発ですので8月中旬の夕日の移ろいを見たい方は18時以降に町に戻るとなると予約バスかタクシーでしか戻れません。坂の途中に宿が一軒ありますので、ここで泊まる方は安心して見られます。私は電話でのバス予約に失敗したことがあり、今は地元の友人に夕方町まで戻るバスを予約してもらっていますが、宿に頼んでも予約を入れてくれます。当日のバス運行についてはドイツ鉄道のウェブサイトで英語版が見られますので、念のため確かめてお出かけください。ドイツの鉄道やバスは、工事で遅れたり事情でカットされたりすることが間々ありますから。
ドイツ鉄道英語版
また夏場のロマンチック街道を走るヨーロッパバスはヘルゴット教会前で停まると読んだことがあります。こちらもバス会社で直接確かめてください。
なお、1月2月はヘルゴット教会は閉館しています(掲載した2月の写真は特別に開館してくださったものです)。
今後のスケジュールは以下の通りです。
2025年4月11日 クラウドファンディング開始
5月19日 クラウドファンディング終了
5月26日 全てのリターン発送を終了
7月28日 ドイツに出発
8月上旬 クレークリンゲンのヘルゴット教会を訪問
担当牧師の代理人に皆さまからのご支援をお届け
ちょうどこの頃フラウケリンド・ブラウン牧師は夏期休暇で立ち会えないと大変残念がっておられましたが「でも代理人を選んでおきます。あなたは必ず歓迎され、支援を手渡すことができます。」とのことです。お会いする日程は代理人の方が決まってからご相談し、必ず手渡して参ります。
2024年10月の第3回目写真展前に、既に完売してしまった人気絵はがきを補充増刷したのですが、展示会の最中に更に完売した絵はがきがあり、現在は全部のシリーズを揃えても21枚セットが13組しか組めなくなりました。ただ、まだたくさんの絵はがきが残っています。
そこで今回のプロジェクトではセットとしては組めなくとも、できるだけたくさんの絵はがきを買っていただき、ヘルゴット教会にもう一度、前回の24万7900円より多くの支援を届けてきたいと思って目標金額は50万円と設定しました。
リターンについては以下のように考えています。
所用で出かけることもありますので、ご購入いただいてから可能な限り7日後までには、チャリティー絵はがき(福田 緑オリジナル)とお礼状(またはメール)を以下のように順次発送したいと考えています。下記、A~Dは上述した写真集セットの記号、括弧内は枚数です。5000円以上のコースでは、人気絵はがきはそれぞれのセットと重複して入れさせていただきますので、ご了承ください。
なお、リターンに入れるヘルゴット教会「マリア祭壇」の最新画像は2023年8月15日撮影のもので、絵はがきとは異なる画像です。そしてお礼状(メール)にはローテンブルク城壁内とその近く(徒歩20分ぐらい)で見られるリーメンシュナイダー関係作品情報5点を入れてあります。
1000 円 「マリア祭壇」の最新モノクロ画像入りお礼のメール(1通)
ご支援を教会にお届けした後のご報告メール(1通)……何名様でも
2000 円 「マリア祭壇」の最新モノクロ画像入りお礼状(1通)
人気の絵はがきA~D(2) 計2枚
(以下「人気」と書きます)
ご支援を教会にお届けした後のご報告メール(1通)…… 130名様
3000円 「マリア祭壇」の最新カラー画像入りお礼状(1通)
絵はがきA (2), B~D (8) 計10枚
ご支援を教会にお届けした後のご報告メール(1通)……150名様
5000円 「マリア祭壇」の最新カラー画像入りお礼状(1通)
絵はがきA (4), B (4), C (5), D (6), 人気 (1) 計20枚
ご支援を教会にお届けした後のご報告メール(1通)…… 7名様
6000円 「マリア祭壇」の最新カラー画像入りお礼のメール(1通)
絵はがきA (4), B (6), C (5), D (6), 人気 (4) 計25枚
ご支援を教会にお届けした後のご報告メール(1通)……3名様
*はがきの重さが100gを越えますのでクリックポストで送らせていただきます。
クリックポストにはメッセージを入れられないためメールでご挨拶いたします。
12000円 「マリア祭壇」の最新カラー画像入りお礼状(1通)
絵はがきA (4), B (6), C (5), D (6), 人気(4) 計25枚
写真集『結(ゆい)・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』1冊
ご支援を教会にお届けした後のご報告メール(1通)……5名様
*こちらはレターパックで本と絵はがきをお送りします。
20000円 「マリア祭壇」の最新カラー画像入りお礼状(1通)
絵はがきA(4), B (6), C (5), D (6), 人気(4) 計25枚
写真集『結(ゆい)・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』1冊
写真集『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』1冊
ご支援を教会にお届けした後のご報告メール(1通)……5名様
*こちらはレターパックとクリックポストの2つの荷物でお送りします。
同じ日には届かないかもしれませんが、安心してお待ちください。
12000円コースと20000円コースでお届けする絵はがきは、ちょっと不思議な封筒に入れてあります。ヴュルツブルクで最初に友人となった故ペーター・シュミットさんが(旧称)マインフランケン博物館で職員として働いていた時代に、仲間と一緒に余ったポスターで手作りした大きめの封筒です。たくさんいただいて残りがちょうど10枚となっていましたので、この機会に使わせてもらおうと思い立ちました。きっと天国のペーターも喜んでくれることでしょう。
★まずはリスクから書いておきます。
1)このプロジェクトはプロダクションファンディング(All in)での挑戦となるため、目標設定額の50万円に達しない場合でも、ご支援くださった皆様には必ずリターンをお送りいたします。
2)皆様からのご支援はヘルゴット教会の維持費・修繕費として教会にお渡しいたします。なお、ヘルゴット教会にお渡しする支援が目標金額の50万円に届かない場合、不足分を自費で補います。
3)売れ残った「マリア祭壇」関係のAセット絵はがきは達成・未達成に拘わらずヘルゴット教会に直接お渡しし、その売り上げは教会の維持費・修繕費に補充していただきます。
4)皆さまのご支援が目標金額を超えた場合、その超過分に関しては、絵はがきを増刷したときの印刷費残額(29250円)とMotionGalleryの手数料を差し引き、残った売り上げ額の100%をヘルゴット教会への支援としてお渡しいたします。
5)目標金額達成・未達成に拘わらず、皆さまからのご支援は2025年8月上旬にヘルゴット教会に必ず届けて参ります。
6)手渡した時のご報告は以下のブログで書きますので、どうぞご覧になってください。
リーメンシュナイダーを歩く
★次にチャレンジについてです。
3回の写真展を通して、訪れてくださる方々に人気の高い絵はがきはリーメンシュナイダー作に限らず女性像、中でも聖母マリア様関係なのだと痛感しました。そのため、私が素敵だと思って印刷を頼んだ男性彫刻の絵はがきの売行きははかばかしくありません。それでも残しておくことはしたくありませんのでセットに組み込ませていただきます。これが私のチャレンジです。
何だか残り物を入れられたような気分が伴うと、とても嫌ですよね。でも違うのです。私はこの絵はがきのどの作品にもとても好きなところ、良いなと思うところ、すごいなと思うところがあるのです。男性像の絵はがきを受け取られて「一体この彫刻のどこが良いんだろう?」と思われる方がもしいらしたら、「福田という人はこの彫刻のどこに魅力を感じたのだろう」とクイズとして楽しんでいただきたいのです。是非是非その答えを探ってみてください。そしてこれもヘルゴット教会を長く維持するための一歩と、どうかご了解いただきますようお願いいたします。
ただ、もっとも人気の高いマリア祭壇と、同時代の彫刻家による聖母子像2点の絵はがきはたくさん増刷しましたので、必ずそのうちのどれか2枚の絵はがきはリターンに入れます。どれがどのように入れられるかは確定できませんが、残数はたっぷりありますのでご安心を。組み合わせは私にお任せいただきます。
2008年に日本初のリーメンシュナイダー写真集を作ろうとあちらこちらの出版社に掛け合った時のことです。ある編集者の方が「こんな無名の彫刻家の写真集を一体誰が買うと思いますか」とおっしゃいました。このことばを私は忘れません。
それから17年経って、リーメンシュナイダーの名前と作品を日本で紹介したいという夢は少しずつ叶えられてきています。第1回目の写真展は親切な「ギャラリー古藤」(練馬区江古田)で開催。そのオーナーご夫妻と永田浩三先生(当時武蔵大学教授、現在は名誉教授)が初心者の私のために毎月会議を開いて10か月もアドバイスをし続けてくださったのです。そのご支援のおかげで日経新聞全国版にも取り上げられ、遠く九州に住むドイツ留学時代の若い友人から「びっくりしました」とメールが届いたほど。東京新聞、朝日新聞、赤旗などにもとりあげていただき、2週間で500名強(当時は来場しても記名されない方は多かったのです)の方が来てくださいました。
その中で「国分寺でも是非写真展を開いてください」と、一人の女性(彼女を仮にアイさんと書かせていただきます)が名乗り出てくれました。今では貴重なリーメンシュナイダー友だちの一人です。2022年にはアイさんの助力で国分寺の「司画廊」にて2回目の写真展を開催。ドイツ大使館から「日独交流160周年」のロゴをいただき、asacocoという地域の情報紙にも取り上げていただいて、コロナ禍にも拘わらず1週間で総計500名を超える来場者を数えました。
そして3回目は「地元の清瀬市(東京都)からもリーメンシュナイダーを発信して欲しい」という声が聞かれるようになりましたので、清瀬市の「カフェギャラリー縁(えん)」で2024年10月から2週間弱の写真展を開催しました。そのときの来場者は210名と今までよりは少なかったのですが、大きな梁のあるどっしりした広間で本当にゆっくり作品について語り合える写真展となりました。連れ合いも私も初めて出会った方と心ゆくまでリーメンシュナイダー談議を交わしたり、昔からの友人と思い出を語り合ったりする時間が持てたのです。この動画はまだ出来上がっていませんが、4月末には見ていただけるようにする予定でいます。
私の大きな夢はここからです。
ティルマン・リーメンシュナイダーは1531年7月7日にヴュルツブルクで没しました。
私が2031年まで長生きすることができたら、是非「リーメンシュナイダー 没後500年記念写真展」を開催したいと思っています。そのとき私は81歳になります。写真展を開催する気力と体力と資力が残っているかどうかはわかりません。でも「日本でこんな無名の彫刻家」と言われたことばをひっくり返せるぐらいの来場者を数えたいのです。
今まで小さな会場で開いてきた訪問者数は3回で延べ1210名以上です。ここに私はリーメンシュナイダーのパワーを感じています。今まで写真展にいらしてくださった方々、そして今回のクラウドファンディングでご支援くださった方々がリーメンシュナイダー没後500年記念写真展の開催を知って会場においでになり、ご挨拶できたらどんなに嬉しいことでしょう。
その日を夢見ながら一歩一歩進んで参ります。
ここまで長い長い文章をお読みいただいた方々に心から感謝申し上げます。
福田緑略歴
1950 年 愛知県で生まれる。
1972 年 東京学芸大学卒業。公立小学校教師として就職。
1999 年 ミュンヘンで見た「天使に支えられる聖マグダレーナ」に心を鷲づかみにされ、ティルマン・リーメンシュナイダーの追いかけ人(びと)となる。
2005 年 早期退職。
2006 年 5 月から 10 月にかけてシュヴェー ビッシュ・ハルにドイツ語留学。
2006 年 『子どもっておもしろい』を晩成書房より出版。
2008 年 本邦初の写真集『祈りの彫刻リーメンシュナイダーを歩く』(丸善プラネット)を自費出版。
2013 年 写真集『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』(丸善プラネット)を自費出版。
2018 年 写真集『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』(丸善プラネット)を自費出版。
2019 年 9 月 第 22回自費出版文化賞グラフィック部門特別賞を受賞。
2019 年 11 月 23 日~ 12月 7日 福田緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」をギャラリー古藤(東京都練馬区)にて開催。
2020 年 写真集『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』を丸善プラネットより自費出版。
2022 年 1 月 19 日~ 24日 福田緑写真展 No.2 「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」を司画廊(東京都国分寺市)にて開催。
2022 年 4月 19 日 NHK ラジオ深夜便「明日へのことば」で「『祈りの彫刻』をとり続け て20年」に出演。
2022 年 写真集『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』(福田三津夫との共著)を丸善プ ラネットより自費出版。
2022 年 9 月 25 日 クレークリンゲン・ヘルゴット教会にてフラウケリンド・ブラウン 牧師にチャリティー絵はがきの純益 を支援として手渡す。
2024 年 9 月 13日 東久留米FMラジオ854「ゆったり小平」に出演。
2024 年 10 月 26 日 福田緑写真展No. 3「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の 作家たち」をカフェギャラリー縁(えん)(東京都清瀬市)にて開催。
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残り127枚
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