【特典Tシャツ】小池アミイゴさんから「はじまりの灯り」に寄せた絵が届きました!
vol. 13 2020-07-30 0
アミイゴさんの絵に触れると、僕は「決意」について考える。
正確な時期は定かではないけれど、震災の後だった。展示が行われていた青山のギャラリーへ足を運んだ。アミイゴさんは不在だった。
あの頃の僕は日本を離れるつもりだったけれど、大きく変わりつつあったこの国に留まる決意をした。会社を作ってこの国で生きようと決意した。そんな時期だった。
僕はこれまでにも何度かアミイゴさんの主催するライブイベントで演奏をしているけれど、じっくりとアミイゴさんと話をしたという記憶はなく、それでもなんだかすごくアミイゴさんのこと知っている気がするのは、きっとアミイゴさんの描く絵が語ってくれているからだと思う。
僕がそこに決意を感じるのは、少しの寂しさを感じるからかもしれない。
言い換えるとそれは、太刀打ち出来ないことに対してを「認める強さ」なのだと思う。
それは、現状を認めるしかないことを知っている眼差しで、地球の自転をひっくり返す事を考える時のように無力である自分を知ること。
それでも尚、向かっていくという決意。
無力を知るほどに、決意が湧いてくるのだ。
アミイゴさんの絵を見ると、そんな決意を、僕はどうしても感じて、心強かったりする。
ここまで書いてから、筆を置いて、アミイゴさんの絵が届くまで待っていた。
数日前、アミイゴさんの絵が送られてきた。
やっぱり、決意について考えてしまった。
僕はこんな風にメールを返した。
直感の解釈を言葉にするのも野暮かと思ったけれど、本当に思った事だからためらわなかった。
ーー
走る子どもは、人類そのものですね。
見送る母親は、それぞれの一神で、
鳥は、時間とか後戻りしないもの。
そのバランスがこの世界なんだな。。
ーー
「はじまりの灯り」は、僕にとって、諦めと決意の狭間のようなものなのかもしれない。
歌の時間は、生み出した瞬間に停止する。
生み出した僕は、その後どんどん変化する。
時間を経て生まれるのは解釈の変化だ。
震災の後に書いた詩はそのまま止まっているけれど、僕はあれから9年で変わった。
人間の細胞は7年で全て入れ替わるというから、今の僕は別人かもしれない。
あの頃よりも、決意の深度は深く、ある部分では浅いだろう。
そして、諦めたり決意しながら走り続けることだけが、これからも続いていくのだ。
生きることって、なんだろう?
そんな青くさい自問に答えるとしたら、
生きることは、伝えることだと思う。
僕らは生きているだけで、伝え続ける存在だ。
だから、伝えることをためらう必要はない。
浅はかだろうが、無知であることも、
それがなんだと言うのか。
心に震えた気持ちが、そこにあれば、
それだけで、進めばいい。
アミイゴさんの絵は、僕には今、そう聴こえる。