「劇場公開までの道のり#75」が更新されました!
vol. 108 2015-07-03 0
みなさまこんばんは!プロジェクトマネージャーの野村です。
日本映画大学教授、そして映画プロデューサーの安岡卓治さんより映画へのコメントをいただきましたので、ご紹介します!どうぞご一読ください!
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「劇場公開までの道のり#75~日本映画大学教授にして映画プロデューサーの安岡卓治さんよりコメントをいただきました!~」
パンフレットの挨拶文がなかなか書けないでいる我妻です。
さて、いよいよ8月1日(土)からの劇場公開まで残り1ヵ月となりましたが、ここで作品と関わりの深い安岡卓治さんからいただいたコメントをご紹介させていただきます。
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震災を描くことは辛い。長い歳月をかけて積み上げられてきた人々の営みが、ほんの一瞬で奪い去られてゆく。
我妻和樹は、たったひとりで自ら撮影した映像を編み上げた。ここに破壊のシーンは一切無い。破壊される前の日常と、人々の苦悩が塗り込められている。
自然の恵みによって育てられた営みが、自然の力によって無に帰る。人間が歩み続けてきた歴史の重さが、この作品には描かれている。
―安岡卓治(映画プロデューサー)
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安岡さんはドキュメンタリー映画界の超有名作『A』『A2』(森達也監督)のプロデューサー・編集を務めた方で、日本映画大学ドキュメンタリーコースの教員としても、数々の有名若手作家を輩出している方です。そして近年では原発事故後の福島・飯館村を描いた3時間45分の大作『遺言~原発さえなければ~』の編集なども手掛けています。
僕が安岡さんにお会いしたのは、2011年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭のときでした。その年、震災後に撮影された映画がすでにたくさん上映されている中で、震災後の映画を未だに完成させられない自分は、恥ずかしくて情けなくて、映画祭に行くのをやめようかと思っていました。しかし逃げてはいけないという思いから参加し、そこで安岡さんとお話ししたことが、とても大きな励みとなりました。
そのときは自分が製作している映画について詳しく話したわけではなかったのですが、僕の発散しようの無い内なる思いを汲み取ってか、安岡さんは別れ際に握手をしてくれました。そして、後日2011年12月に波伝谷で最初に開いた試写会(6時間版)のご案内を送ったところ、安岡さんはわざわざ波伝谷まで来てくださったのです。(「行きます」とのメールをいただいたときには、さすがに「ウソでしょ??」と思いました。)
しかし、その試写会では安岡さんは遅れてしまったため、後日日を改めて僕の元を訪ねてくれました。そこで恐る恐る映画を観ていただいたのですが、安岡さんの反応は意外なもので、何と「すごかった」と言ってくださったのです。それまでちゃんとした映画関係者に映画を観てもらうことがなく、波伝谷の人たちからも大変な酷評をいただいていた自分は、その言葉にどれだけ勇気づけられたことでしょうか。安岡さんだけが、僕の映像を高く評価してくれたのです。
それからというものの、この原石を何とか磨き上げようと、さらなる編集が始まりました。その編集の一番苦しい時期に、僕の相談に乗って、心の支えになってくれたのが安岡さんでした。ときに叱咤されることも呆れられることもありましたが、安岡さんからいただいたメールの数々は印刷して今も大事に保管しており、それらの言葉は僕の大事な宝物です。安岡さんとの出会いがあったからこそ、僕は折れずにここまでやって来れたと言っても過言ではありません。
そんなこんなで、2012年の11月に波伝谷で2回目の試写会(56分版)を行ったときにも来てくださった安岡さんですが、その後も引き続き完成まで僕の動向を見守り続けた恩人でもあります。そのような方から今回コメントをいただくことができて、自分の中ではいろいろと感慨深いものもあります。あんまり書くと長くなるのでこの辺でやめますが、安岡さん、この度は素敵なコメント、本当にありがとうございました!そして今後もどうぞよろしくお願いいたします!(我妻)
■『波伝谷に生きる人びと』公式サイト
http://hadenyaniikiru.wix.com/peacetree
※写真は2012年11月に波伝谷で計6回行った試写会(第2回途中経過版試写会)のときのもの。写真には写っていませんが、安岡さんもスクリーンの手前で鑑賞してくださいました。まあ、ここから完成までさらに1年かかるわけですが…。
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