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ガレキとラジオをクラウドファンディングで実現!
南三陸町に作られた災害FM局「FMみなさん」を中心に町の再生を約1年をかけて追ったドキュメンタリー『ガレキとラジオ』を通じて、どんどん風化していく東日本大震災の事を、他人事ではなく多くの皆さんに共有していただけるよう、全国上映キャラバンを考えています。地元のコミュニティFMやNPOなどと協力し、被災地の様子や彼らの再生に向かう姿を知ってもらい、継続した支援活動を呼びかけていきたいと考えます。出来れば国内にとどまらず世界でも実現を目指しています。そのために、この映画の配給および上映にかかる費用を、モーションギャラリーで集めたいと考えました。
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東日本大震災から約二ヶ月、津波の甚大な被害を受けた南三陸町に生まれた小さなラジオ局「FMみなさん」を中心に、町の再生の姿を約1年をかけて追ったドキュメンタリー映画『ガレキとラジオ』製作チーム。監督はCMディレクター梅村太郎(1969年、兵庫県出身。広告代理店に所属するクリエイティブディレクター。日産、SONYなどの製品CMを手がける。ACC賞、カンヌ国際広告祭ショートリスト、広告賞受賞。)と、放送作家の塚原一成(1969年、茨城県出身。ラジオの放送作家・雑誌のライターを経て、テレビ番組の企画・構成作家へと転身。バラエティ番組やドキュメンタリー番組を主に手がける。)の同級生コンビ。ナレーションに役所広司、主題歌はMONKEY MAJIKの「トビラ」。
南三陸町に作られた災害FM局「FMみなさん」を中心に町の再生を約1年をかけて追ったドキュメンタリー『ガレキとラジオ』を通じて、どんどん風化していく東日本大震災の事を、他人事ではなく多くの皆さんに共有していただけるよう、全国上映キャラバンを考えています。地元のコミュニティFMやNPOなどと協力し、被災地の様子や彼らの再生に向かう姿を知ってもらい、継続した支援活動を呼びかけていきたいと考えます。出来れば国内にとどまらず世界でも実現を目指しています。そのために、この映画の配給および上映にかかる費用を、モーションギャラリーで集めたいと考えました。
南三陸町に作られた災害FM局「FMみなさん」を中心に町の再生を約1年をかけて追ったドキュメンタリー『ガレキとラジオ』を通じて、どんどん風化していく東日本大震災の事を、他人事ではなく多くの皆さんに共有していただけるよう、全国上映キャラバンを考えています。地元の劇場やラジオ局やNPOなどと協力し、被災地の様子や彼らの再生に向かう姿を知ってもらい、継続した支援活動を呼びかけていきたいと考えます。出来れば国内にとどまらず世界でも実現を目指しています。そのために、この映画の配給および上映にかかる費用を、モーションギャラリーで集めたいと考えました。
ドキュメンタリー映画である本作の主人公たちは、まったく普通の人たちです。ラジオ局のメンバーといっても、その仕事につく数ヶ月前までは、他の仕事をしていた地元の全くの素人な人たちなのです。でも実際に津波被害に遭われた人たちです。それでも町の人たちの笑顔のために奔走し、時には失敗をしながら、自分たちの放送を2011年5月17日から2012年3月31日まで続けてきました。
町の財政難で、残念ながらこのメンバーは解散してしまいましたが、出来たら「FMみなさん」を数日だけでも復活させて、上映キャラバンのゲストとして世界中を廻れたら・・。
そんな思いでこのプロジェクトを立ち上げました。なお本作の収益は、被災地の継続した支援活動や寄付にも利用されます。
家はない、経験もない。でも明日はある……はず!
東日本大震災から約2ヶ月、60%以上の世帯が罹災し8000名以上が避難生活を送ることになった宮城県の海沿いにある南三陸町に、災害ラジオ局「FMみなさん」は生まれました。体育館の隅でマイクに向かうのは、元・サラリーマンでリーダーの工藤さん、元・ダンプ運転手でシングルファーザーの和泉さんをはじめ町内で暮らす男女9人。時給840円のれっきとした“お仕事”です。
でもラジオ経験者はゼロ! 生放送中に大事なコメントが流れなかったり、和泉さんに至っては反抗期の息子さんから「向いていない」と言い渡されてしまう始末……。とはいえクヨクヨしててもしょーがない。クリスマスにはモミの木の点灯式で町に光をともし、仮設だけど商店街も復活。慣れ親しんだ地元で暮らし続けるリスナーとともに、オンエアは日々続きます。
年が明けて2012年。「FMみなさん」メンバーは、この町のために、もっともっと何か出来ないかと考えます。被災地だからこそ、この町にはもっと笑顔が必要。そしてその思いはある奇跡を生む――。
かけがえのない人や思い出との別れは誰にもいつかおとずれるもの。その痛みを抱えながら、それでも生まれ育った土地で迷い、泣き、笑うラジオクルーとリスナーの人生は、明日に向かって歩き続ける、私たち自身の物語でもあるのです。
撮影当初、「笑顔」が町に沢山溢れていることに戸惑いました。そして、一緒に笑っていいものかどうか躊躇しました。でも、日を重ねるうちに大丈夫なのだと気付きました。「笑顔」は、「笑い」は、明日も分からず、不安を抱える者にとって、自分自身を奮い立たせてくれるもの、笑うことが前に一歩を踏み出すことなのだと分かったからです。
だから、僕たちは、笑顔を探すことにしました。『FMみなさん』のスタッフと一緒に。彼らの仕事は、町の笑顔を探し、その笑顔を電波で流すことで、新たな笑顔を作る、というものでした。そういう意味では、彼らはこれ以上ない最高の仕事をしたと思います。
あの1000人の大きな笑いは、町が大きく一歩を踏み出す奇跡の笑い声。心がつながる仲間たちだから生まれた、絆の笑いでした。「笑うことが力になる。家族をつなぎ、友人たちと前に進める。」それは、決して綺麗事ではなく、本当に存在することなんだ、と強烈な記憶として刻まれました。
ぜひモーションギャラリーを通じて、この作品を少しでも多くの人に見てもらうことができたら、こんなに嬉しいことはありません。
この記録映画が、日本だけでなく、世界中に笑顔の輪を広げ、東北の復興の力になるよう祈ります。この企画に参加できて幸せです。
————役所広司(スペシャルサポーター/ナレーション)
仙台に住む我々にとっても震災後にラジオが果たした役割は人と人を結ぶ生命線でした。
本当に大きな被害を受けた中、“FMみなさん”の方々の前向きな活動、そして想いに胸を打たれました。
ひとりでも多くの人がこの作品を見て、それぞれに“何か”を感じてくれる事が南三陸のみならず、東北の復興に繋がっていくと思います。
今後の東北にもぜひ目を向けていて下さい。
震災後のみなさんの支援に本当に感謝しています。
————MONKEY MAJIK(主題歌「トビラ」)
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