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ダム建設を止めた村・木頭村の暮らしを伝える本 出版をクラウドファンディングで実現!
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1970年7月、小さな会社が誕生しました。名前を「ロシナンテ社」と言います。そうです、あのドン・キホーテの愛馬の名からとったものです。ロシナンテ社は、毎月『月刊地域闘争(ちいきとうそう)』、現在は『むすぶ~自治・ひと・くらし~』を発行し、たくさんの人に読んでいただくことを生業としてきました。創刊から39年、毎月発行されて、実に600冊も世に送り続けてきました。
木頭村(徳島県那賀町)は98%が森林。自然豊かな山村です
ダム建設を止めた元村長の藤田恵さんの本を出版します
村で生まれ育った藤田さんの昔語りから私たちの原風景を感じ取って下さい
ダム、洪水、その根っこにも迫ります
木頭村を知っていますか?
巨大ダム建設を止めた村があります。
その時の村長を藤田恵さんと言います。
藤田恵さんはこの村で育ちました。
この日本の原風景のような農村での人々のくらし、巨大ダム建設を止めた経験、繰り返される水害への対応、などなど藤田恵さんの豊富な経験を記した本を出版します。
発行資金をご援助ください。
藤田恵さんの昔語りを伝えてみませんか?
木頭村を流れる川
美しい木頭村の風景
国が計画する巨大ダム。一度、決まった公共事業をストップさせることは容易ではありません。それを中止に追い込んだ例があるんです。徳島県細川内ダム建設です。
2000年のことです。
藤田恵さん
この住民運動のリーダーが藤田恵さんです。藤田さんは、木頭村で生まれ、中学校を卒業するまで木頭村で育ちました。四国山地のど真ん中に木頭村。日本の根っこのような原風景が広がっています。そんな木頭村に持ち上がったダム建設。その中止を求めて立ち上がった住民に請われて、村長に。1993年のことです。この国では、一旦、動き出した巨大公共事業は止まりません。その最たる例が巨大ダム建設。そんな公共事業を始めて中止に追い込んだのが、四国山地にある木頭村でした。村の南は、もう高知県。都会から村へたどり着くのは、結構、大変です。そんな不便な村には、自然と共生する豊かな暮らしが息づいています。村民は、ダム建設でそんな本当の豊かさが喪失することを直感的に気付いたのです。藤田さんをリーダーに村民は団結して、ダム建設を払いのけました。
藤田さんは、子どもの頃から農業、山仕事の手伝いを続けていました。そんな山村での生活の日々を「月刊むすぶ」(ロシナンテ社発行)という雑誌で5年、連載を続けています。この雑誌は、1970年創刊の「月刊地域闘争」を前身としています。住民運動の情報発信をお手伝いする雑誌です。本当に地味な媒体です。
山には、いろんなものがあります。子どもたちは、生きる術を農作業や自然の中での遊びから学び取っていくのです。 野良仕事や山仕事の苦労や戦争中の生活、そして村人から聞き取ったいろんなお話を記録しています。
いくつかの話を紹介します。
百姓の子になる
霧雨がしとしとと降る夏の朝でした。三歳の私は土間へ降りて座敷の方を見上げると、二歳上の兄が膝を抱えた両手で涙を拭いながら「おらが行く、おらが行く」と泣声を出していました。一番歳下の私が親戚へ貰われて行くというのに、父母や他の兄弟など、その場の記憶はこれだけしか思い出せません。当然その時の自分の心境も不明ですが、普通なら私が行きたくないと泣き叫ぶところで、兄が行きたいと泣くほどですから、子供でもその時の止むを得ない家庭の事情を察していたとしか考えようがありません。迎えに来た伯母に連れられて私は家を出ました。8歳上の姉が約1キロ、トンネルの入り口まで送ってくれました。川上への狭い道路を伯母に手を引かれて9キロほど歩き、急な坂道を1キロほど上って伯父の家に着きました。恐る恐る土間から上がった時、板の間へくっきりと付いた自分の濡れた足跡が今でも鮮明に思い出されます。土間の入り口にガラス戸越しに外を見ると、すぐ向かい側が牛小屋で、刈って来た草の荷を伯父が降ろしているところでした。
この日からいつの間にか70数年も経ってしまいましたが、これが私の百姓の始まりであり、それから20年以上も農林業のあらゆる仕事を手伝うことになったのです。
伯父の家は棚田の水田が五反、畑が三反、近くの里山が10町歩、山林数百町歩という可成りの農林業家でした。簡単に言いますと、家の周りは全て水田や畑、里山に囲まれ、家から遠く見渡す山々も殆どが伯父の作業範囲であり、盆と正月以外は休む暇もなく、毎日毎日が文字通り猫の手も借りたい程、仕事に追いまくられているという家庭だったのです。
農作業の風景
大雨の草刈り
その秋の雨の日でした。近くに住む伯母の妹リエさんが手伝いに来て、3人で弁当を持って草刈りに出かけ、家から1時間ほど谷沿いの獣道を登りました。急峻な草野(茅が生えてる草刈り場)の入り口付近の大きな松の木の下で朝飯(昔の農林業は重労働なので、通常の朝食と夕食の間に、午前10時前後の朝飯、午後2時前後の2番茶と、1日に計4回の食亊)を食べましたが、未だ蓑笠などの雨具を付けていない私は殆どずぶ濡れになりました。雨が大降りになっても蓑笠の伯母達は草刈りを止めませんでした。草束で伯母が作ってくれた、草の小屋のような雨除けの中へ私は潜り込むようにして、泣きながら2人の草刈りを眺めていました。いつの間にか、草の中で私は眠ってしまったらしく、伯母に揺り動かされてびっくりして眼を覚ますと雨は止んでいたように思います。
木頭村に咲く草花
遊びも生活の足しに
遊べる時は、近所の子供と共に野山を駆け巡り、高い木に登り木の実を採る。針金で「くくり」と言う罠を仕掛けて山鳥や兎を獲る。ゴムと細い木の二股で小石などを飛ばす道具の「ブンヤ」(パチンコ)を自作して、スズメやジョウビタキなどの小鳥を撃ち落とす。食糧にもなる栗や山梨を拾ったり、森に自然に生えている舞茸、鼠茸、コウタケ、キクラゲなどを採って来る。アメゴ(ヤマメ)、ウナギなどの谷や川で釣った魚も必ず家へ持って帰る。等々の遊びも、何か少しでも生活の足しになる遊びが殆どでした。
様々な農機具
学生で牛を使う
中学生にもなると牛を使って水田を耕す(牛は臆病な動物で、ちょっとのことでも驚いて暴れたりしますので、牛を使うのはとても危険な作業です)、大きな木を切り倒す。田植え、米や麦の脱穀など、ほとんどの農林業の作業は1人でこなすことが出来ました。
しかし、これも自分から進んでやったことではありません。遊びたいのですが仕方なく我慢してやったまでです。とにかく、間(ま)をするな(手すき時間をつくるな)、手ぶら歩くな(常に何かを運ぶに)が毎日の生活の基本原則でしたので自然に仕事の習慣が身についたのでしょう。
大洪水は、林業政策の失敗
そしてここ毎年、夏になると繰り返される大洪水。それは、日本の林業政策の失敗。保水力の高い山林を拡大造林政策で経済性を優先して、スギヒノキをどんどん植林していきます。その結果、保水力の落ちた山林。それがここ何年も続く、大洪水になったんだという藤田さん。日本の林業政策を鋭く突く論文も掲載します。
藤田恵さんの昔語り、不必要なダム建設や繰り返される洪水の話、どれも魅力的な内容です。
2千部発行 四六版 180頁
① 印刷代 30万円
② 版組・表紙デザインなど 10万円
③ 編集代 20万円
④ 宣伝広告費 主にビラ、DMなど。
あわせてインターネットでの宣伝に京都の障害者事業所の皆さまのお力をお借りします。
10万円
3000円出資していただいた皆さんには、サンクスメールと月刊「むすぶ」最新号。5000円以上出資していただいた皆さんには、出版を予定している藤田恵さんの本をお渡しします。
1万円以上出資していただいた方には藤田さんのサイン入り本を。
3万円以上出資していただいた方にはサイン本のほかに木頭村の物産をお渡しします。
物産は出資額の1割を目安にお渡しします。
サンクスメール
感謝をこめたサンクスメールをお送りします。
月刊「むすぶ」最新号
3000円の出資をいただいた方々にお礼のメールと月刊「むすぶ」の最新号をお渡しします。
1970年創刊で市民運動の情報交換を主とする雑誌です。
藤田恵さんの本
当プロジェクトの目的である書籍です。
本のタイトルは「木頭村~ダムを止めた村に生きて ジィの昔語り」
です。
木頭村の物産の例
【木頭村 木頭柚子茶】
農薬不使用の柚子と、国産はちみつ、北海道産ビートグラニュー糖をあわせ仕上げた柚子茶です。
柚子皮は収穫時期にしぼり終えたものを瞬間冷凍し、柚子茶製造の度に解凍加工しています。
柚子本来の色と香りがフレッシュそのもの。
甘さ控えめで柚子皮の歯触りと、独特の苦みが好評です。
カップに入れてお湯を注ぎ柚子茶として、また紅茶に加えて柚子ティー、パンやケーキにマーマレードとしてお使いください
【木頭ゆずマーマレード】
契約栽培の柚子皮とビートグラニュー糖、国産はちみつで仕上げたマーマレード。熱いお湯で割って「ゆず茶」にも最適。賞味1年・糖度45度
藤田恵さんの原稿等、農作業などの絵等は、完成しています。6月から具体的に作業に入ります。
版元は、東京シューレ出版という代表者一人という小さな会社です。
本当は、大手の出版社から出したいのですが・・・
今、本当に本が売れません。
何故、皆さまに資金の提供をお願いするのかと言いますと・・・
書店等の流通で本を販売したいんです。
そうすることで、未知の皆さまに買っていただける可能性が広がります。
小さな声でも少しでも広い世界に伝えていきたい。それもネットじゃないわたしたちの肉体が、感じ取れる本という品物でいろんな人たちに藤田さんの世界をお渡ししたいのです。
このプロジェクトの中心は、ロシナンテ社のしかたさとしが担っています。
四方哲(しかたさとし)は1959年生まれ。学生時代を含め、6年間長野県で暮らす。そこで原発に反対する市民運動や障害者の当事者運動などに出会う。1984年からロシナンテ社で「月刊地域闘争」(現誌名「月刊むすぶ~自治・ひと・くらし~」の発行に携わる。1990年、会社の経営が行き詰まり、代表に就任。現在、スタッフは四方一人です。
「月刊むすぶ」はどんな雑誌かといいますと・・・・
全国の住民運動、市民運動の情報発信のお手伝いをしています。創刊は1970年。半世紀前です。著名な皆さまやジャーナリストじゃなくて、藤田さんのような現場で頑張ってきた方々の声を集めてきました。原発事故後、原発、福島の声を集めています。
マスメディアではない、わたしたちのもう一つのネットワークがあるんです。そんな場を少しでも多くの皆さまにつないでいきたい。そんなふうに考えてこのプロジェクトをはじめました。
ご応募いただいた皆さまには、藤田さんの本や木頭村の物産をお送りします。是非ともお力をお貸し下さい。よろしくお願いします。
本の発行は、2020年9月を予定しています。遅れはないと思いますが、一ヶ月程度の遅れはあるかもしれません。
目標額に達しなかった場合、ロシナンテ社(四方)の負担で出版しますのでご安心ください。
紙の本。1頁、1頁を指でめくって読み進む そんな本ってステキだと思いませんか?
今、紙の本は本当に売れません。でも本という手で触れる、そんな媒体って大切だと思うんです。
こんな藤田さんの本をちゃんと流通で広めてみたいのです。
国によって決められたダム建設。この計画をストップさせた事例はありません。
都会に電気を送るためにダムの下に水没する村。そこには、何百年と続いた村人の営みがありました。そんな共同体を経済成長のために犠牲を強いられる。
自然豊かな木頭村を守り通した藤田さんの言葉を本という手にふれるもので、少しでもたくさんの皆さまに伝えていくこと。インターネットじゃない、もう一つのつながりを作ってみませんか!
本を作って、売ると言う行為は・・・人類の歴史そのものだと思うんです。
本屋さんで立ち読みをする。パラパラと指でページをめくる。飛び込んでくる文字を拾っていく。
まさに肉体を感じる至福の時間が流れます。気に入った本を読みながら、美味しいコーヒーでも飲む。最高です。
藤田恵さんというひとを媒体にもう一つのわたしたちのあり方を伝えることが、できたら最高!です。
3000 円
5000 円
10000 円
30000 円
50000 円