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インドネシアで凧となった「隼」を、日本の空に飛ばす!をクラウドファンディングで実現!
インドネシアのとある博物館に、80年間にわたって残る一式戦闘機「隼」。国をまたがる複雑な歴史に触れながら、2021年にジャワの凧職人さんたちと、隼の実寸大の凧をつくるプロジェクト「フラジャイル・ギフト」を開始しました。
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1988年東京都生まれ、ジョグジャカルタ在住。2007年より長期的なアートプロジェクトを通して国内外の多様なコミュニティと協働。「コミュニティ・スペシフィック」と呼ぶ実践を展開することで、地域の中にオルタナティブな日常生活を創出してきた。2015年に東京藝術大学で博士号を取得。2020年よりジョグジャカルタに移住。市場や屋台、遊びや乗り物、儀礼や祝祭を参照したプロジェクトを通して、新たな共同体の姿を現代社会の中に描き出す。近年の主な展覧会に、「六本木クロッシング2025展: 時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」(森美術館、2025–26年)、ARTJOG 2024(2024年)などがある。
インドネシアのとある博物館に、80年間にわたって残る一式戦闘機「隼」。国をまたがる複雑な歴史に触れながら、2021年にジャワの凧職人さんたちと、隼の実寸大の凧をつくるプロジェクト「フラジャイル・ギフト」を開始しました。
インドネシアの古都ジョグジャカルタ。この街のはずれにある空軍博物館には、日本植民地時代から80年以上の間にわたって残る一式戦闘機「隼」の現物があります。二つの国の間に残る複雑な歴史に触れながら、2021年にジャワの凧職人さんたちと共に、この隼の実寸大の凧をつくるプロジェクト「フラジャイル・ギフト」を開始しました。今回、5年の歳月をかけて出来上がった「隼の凧」を、日本の空で飛ばす挑戦をします。
(このページでは、今回のプロジェクトとその挑戦に至るまでの時間を遡りながらお話ししていきます。国の境界や歴史を扱うプロジェクトだからこそ、その背景をできるだけ丁寧に記しておきたいと思うからです。実現の内容やリターンについて先に知りたい方は「何を実現するのか?」をご覧ください。)
トップ画像|展示風景:「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年 撮影:竹久直樹 画像提供:森美術館(東京)
はじめまして、美術家の北澤潤と申します。わたしは現在インドネシアを拠点に活動しています。2015年頃までは、日本を拠点にさまざまな地域に出向きながら、各地で「もうひとつの日常」を生み出すアートプロジェクトをおこなってきました。
「もうひとつの日常を生み出す」というのは、私たちが日頃身を置きながら、実際に過ごしている身体的な時間や空間の積み重なりを「日常」と捉えた上で、その当たり前とも言える状況を、本来ないはずの場所や、日常の営みが途切れた状況のなかで「もうひとつ」つくってみることを指します。
例えば、2010年に埼玉県北本市ではじめた《リビングルーム》は、空き店舗のなかに近隣から集めた不要な家具を配置し「ひらかれた居間」をつくるというものです。この居間にある様々な物たちは、訪れる人々とのコミュニケーションによる物々交換を通して日々変容していきます。徐々に、集まったモノからアイデアを得ながら「コンサート」や「ファミリーレストラン」、「ホームシアター」などの居間を拡張するイベントが発生していく。まさに「生きた部屋=リビング・ルーム」が生まれていきました。と同時に、この「部屋」の存在は、商店街のなかに突如だれかの家の内側のような空間が立ち現れており、異質なのに時間を経てそれが地域の日常になっている、という不思議な状況を生み出していきました。
《リビングルーム北本団地》 photo: Yuji Ito
茨城県取手市にある井野団地では《サンセルフホテル》というプロジェクトをはじめました。団地の空き部屋を、有志の住民の方々とともに「セルフ」で客室に変え、宿泊に必要な電力もまた宿泊客とともに(!)みんなで日中に発電。溜まった電気は、夕暮れになると団地の広場へと運ばれていきます。そして「もうひとつの太陽」として、球体を夜空に掲げ、光を灯しました。一年に数日だけひらく団地のホテル、その一晩だけは夜にはないはずの「太陽」が浮かぶ。「もうひとつの日常」をつくるアートプロジェクトの集大成とも言えるこのプロジェクトは2012年から17年までつづきました。
《サンセルフホテル井野団地》photo: Yuji Ito
「もうひとつの日常」は、美術家として活動をはじめる以前の問いから生まれたものでした。その問いとは、「わたしの表現はどこからきたのか?」ということでした。表現といっても、なにもいわゆるアート作品ということではなく、発言や振る舞いなどのごく身近な自己表現やコミュニケーションのことです。何を新しく表現するか?の前に、何によってわたしの表現は生まれているのか?が気になっていました。わたしの日々の些細な表現は、そもそもどこからきているのだろうか、と。
そう考えたときに、自分が生まれて否応なく過ごしてきた「日常」、それによってつくられているとひとまず言えるのではと考えたのです。曖昧な問いの矛先を「日常」という言葉にひとまず当てることができそうだ…。つまり、わたしは日常を讃えるためというよりも、既存の日常/社会を仮想敵にしながら、「もうひとつの日常」をつくることをはじめました。それによって、わたし(たち)の表現が培われる土台そのものを仮設的に更新し、表現が出発する場所自体をつくろうと考えていました。まぁそれもわたしの「表現」であるという意味では、堂々めぐりなのですが、とにかく「どこからきたのか?」への応答を試みることこそが重要だと考えていました。
2016年から一年間、国際交流基金アジアセンターのフェローとして、一年間インドネシアに滞在しました。インドネシアを滞在先としたのはほぼ直感なのですが、いくつかその感覚を後押しした理由がありました。それまで台湾やネパール、ブータン王国などアジアを中心にいくつか活動を行っていたのですが、ニュージーランドでのプロジェクトに参加してくれていた学生がわたしにこう言いました。「台湾は僕のルーツだよ」。彼はマオリ族の家系でした。のちにオーストロネシア語族について知ることになりましたが、その時は台湾とマオリの間にまだみえていない「わたし(の表現)はどこからきたのか?」を探すフィールドがあるように思えました。それがかつてスンダランドという広大な大陸で、今は島嶼群となった一帯。そこには現在わたしが拠点としているジャワ島も含まれています。他にも最古の芸術といわれる洞窟壁画が2015年にインドネシアのスラウェシ島で発見されたこと、現地の若いキュレーターらと2013年に日本で出会っていたことなど、些細だけど、たぐりよせたくなる糸がインドネシアにわたしを向かわせてくれました。
スラウェシ島で見た洞窟壁画
一年間、新しいプロジェクトを封印しインドネシア各地をリサーチしてまわりました。そこで感じていたのは「ここの日常はすでに創造的だ」ということです。日本を拠点に、アートプロジェクトによって自身や関わる人びとが共に創造的になりうる場をつくってきたわずかな自負が、虚ろになっていきます。毎日市場を建て込み、縦横無尽に物がレイアウトされていく姿。ありものの材料で屋台をつくって街へと繰り出していく隣人。洪水がおきるとチャンスとみて泳ぎ出す子どもたち…。わたしが日本でつくろうとしてきた「日常」は、ここにすでにあるのではないか。じゃあなにもつくれない?としばらくスランプに突入します。
ジャカルタの立ち退き地域や中部ジャワの路地村などに関わりながら、わたしがインドネシアで魅了された創造的な日常が失われていったり、社会の端へと追いやられている状況に身を置くことで、すこしずつ新たなプロジェクトをつくる意味を見出していきます。すなわち、もうひとつの日常をつくるのではなく、そこにすでにある(あった)日常に別のかたちを与え直すことによって、あるべき日常の忘却や消失に抵抗する試みとしてのプロジェクトに可能性を感じていました。
ジャカルタの立ち退きに遭った地域の人びととおこなった《理想の家のコンテスト》
そんなことを考え実践しながら、日本とインドネシアを行き来していた頃、美術館の内外をつなぐ仮設的な日常をつくる作品を発表していました。東京都美術館での「フラグメンツ・パッセージ-おすそわけ横丁」では、東南アジアの伝統市場のような空間を通して品を持ち寄り分け合う場を出現させ、十和田市現代美術館での「ロスト・ターミナル」では、インドネシアの路上の乗り物をつくって輸送し、展示物でありながらレンタルして街へと繰り出せる仕組みをつくりました。また、フェスティバル/トーキョー19での「ノーウェア・オアシス」では、ジョグジャカルタにある屋台「アンクリンガン」を池袋のあちこちで出現させました。コロナ禍直前の2020年初頭には、奈良市の街なかにこれらのプロジェクトを同時多発的に出現させることで、「アートプロジェクトの個展」ともいえる状況をつくりました。そのタイトルは「You are Me(あなたはわたし)」でした。
左:《フラグメンツ・パッセージ》, 東京都美術館『BENTO おべんとう展-食べる・集う・つながるデザイン』 2018
中央:《ロストターミナル》,十和田市現代美術館『ウソから出たまことー地域を超えていま生まれ出るアート』2019
右:《ノーウェア・オアシス》, 『フェスティバル/トーキョー19「からだの速度で」』, 2019
これらのプロジェクトは、その頃インドネシアと日本の間で揺れる、「どっちつかずな自分」の戸惑いが出発点になっていました。国をまたがるこうしたプロジェクトの現場では、社会制度のちがいや文化的な軋轢が露わになっていきます。と同時に、母国を離れて暮らすさまざまな背景の人びとと共に屋台を運営したり、乗り物に乗ったりする、「共にする」時間がセットになっているからこそ、ちがいや軋轢を越えたその先を垣間見せてくれました。それは、もはやわたし個人の葛藤を越え、「公共の葛藤」を克服した景色に見えました。
これまでを語るのに紙幅を使いすぎていて、肝心の応援を集めることができるのか、すでにかなり不安になっていることは秘密ですが、続けてみようと思います。
プロジェクトをつくることは、新たな発見と内省を関わる人びとにもたらします。インドネシアの日常的な文化のなかに「あるべき社会」のヒントを見出しながら、いくつかのアートプロジェクトを日本でつくったあと、進行形の自己反省とも言える問いにぶつかっていました。
–––これは『当時』をなぞらえてしまっているのではないか?
1942年から3年半つづいた、インドネシアにおける日本植民地時代の影響は、今も生活のあちこちに色濃く残っています。日本からやってきて、ここインドネシアを拠点に活動するアーティストとして「当時」、つまりインドネシアにおける日本植民地時代にしっかりと向き合わないといけないのではないか?と考えていました。
「当時」のリサーチをしながら描いたドローイング
どこかからこちらへ、だれかからわたしへ、といった一方向性の力ではなく、つくるものそれ自体が「両義性」をもっていること。つくる過程自体も、異なる他者同士の協働によって実現すること。そしてさきほどの歴史に向き合う態度を含んだプロジェクトをはじめることはできないか…?そこから生まれたのが「フラジャイル・ギフト」でした。
1942年のジャワ侵攻で日本軍によって用いられ、日本植民地時代を経て、インドネシア軍によってオランダとの独立戦争に再利用されていった「隼」。奇跡的に残された一つの機体はその後80年以上の間、インドネシアに眠っています。世界に現存する12機の隼のうちの一つであるこれは、日本のものなのか、それともインドネシアのものなのか?どちらでもあると同時にどちらでもない「両義的な存在」のように思えました。インドネシアのいたるところで、風が吹けば空を舞っている凧たち。ほかのさまざまな日常的な文化と同様に魅了されると同時に、他者の文化への羨望のまなざしの足元にはいつも、後ろめたさを抱かせる歴史への無知が存在していました。
幅10.8メートル、長さ8.9メートル。長い尻尾を含めると全長50メートルに近い「隼の凧」。戦闘機の素材だった強くて硬い鉄から、凧の素材である柔らかく脆い竹や布へ。五年間かけてジャワの凧職人さんたちと試行錯誤をしながら作品を少しずつ形にしていきました。
最初は小さい試作品、2021年から1/1サイズに着手、2023年にはインドネシアでのテスト飛行と台湾で飛ばす1/2バージョンの制作も行いました。大切なのは、熟練の凧職人さんたちにとってもこの「隼の凧」はつくったことがない、つくれるかどうかわからないものだったということです。アートプロジェクトが「どうなるかわからなさ」を含んでいるからこそ、わからないものに向き合うという共通点をもった対等な関係ができる。凧づくりにおいて彼らはプロですが、こと「隼の凧をつくる」という点では、彼らの想像を超える部分もある。だからこそ一緒に機体のつくりを調べたり、新しい凧の工法を開発したり、失敗から学んだりといった過程が生まれ、そのなかで「わたしたち」が形成されていく。曖昧さ(両義性)をもつアートプロジェクトのプロセスだからこそ生まれるこうした関係性に、植民地主義にもつながる「世界の不均衡」を正す新しい力を感じています。
「隼の凧」の機体部分には、記録を元に描いたドローイング、飛行を安定させる尻尾の部分には、記憶を語り継いできた方々との対話から、その言葉を転写しています。インドネシアでのテスト飛行段階では、コロナ禍で共同作業が困難だったこともあり、デジタルプリントで転写していました。ただ、凧としての骨組みだけでなく風を受ける布も、ここだからできる身近な素材と手法で「ともにつくる」ことが理想でした。
昨年、森美術館「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る 私たちは永遠」(2025年12月から2026年3月まで開催)に参加することとなり、新たなドローイングや言葉を集め、機体と尾の布を一新。全てをインドネシアのろうけつ染め「バティック」の手法で手染めしていきました。ジョグジャカルタにあるアトリエでの共同制作や参加型ワークショップ、近隣のバティック工房にも協力してもらいながら、遂に「隼の凧」は完成。インドネシアから輸送し、森美術館の展示室に「フラジャイル・ギフト・ファクトリー」として空間化しました。プロジェクトステートメントや、機体に染められたドローイングの原画、ドキュメンタリー映像などを「隼の凧」の周りに配置し、プロジェクトの進行形の記録を散策しながら体感できる場を目指しました。また、会期中にはゴザの上に並べたバティックの道具を用いて、「隼の凧」の制作過程をひらくワークショップも毎月実施しました。
展示風景:「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年 撮影:竹久直樹 画像提供:森美術館(東京)
こうして、かつて日本で製造されインドネシアへとやってきた「隼」は、80年の時間を越えて、今度はインドネシアでつくられ日本へと届けられました。数々の課題を乗り越え、美術館で発表したという意味では一区切りのように見えるかもしれませんが、フラジャイル・ギフトの最終目標は「日本での飛行」に挑戦することです。「隼の凧」は、展示される美術作品でありながら、当然「凧」です。日常の場で使うモノが正体です。わたしはいわば「大袈裟な日常品」を共につくり、共につかうことを通して別の現実を描きだそうとしています。展示することで、使うだけでは伝わらない背景や物語を長く共有することができますが、実際に飛ばすことでしか共有できない瞬間もあります。どちらかではなく、その両方が大切。「隼の凧」は、美術館で展示されるアートワーク、社会で実践されるアートプロジェクト、という既存の隔たりを持ち前の両義性によって乗り越えていきます。
2023年にジョグジャカルタの海岸で行ったテスト飛行
今回のクラウドファンディングで取り組むのは、「フラジャイル・ギフト」の最終目標にして最大の難関でもある、全長約50mにおよぶ「隼の凧」を日本で飛ばす挑戦です。森美術館での展示終了後、都内で飛行に挑戦できる場所を探し、その許可交渉を行ってきました。半年以上の時間を要し、先月ようやく飛ばす場所の許可を取得することができました。場所はお台場にある都立潮風公園(ゆりかもめ線「台場」駅から徒歩5分)です。「Fragile Gift 飛行イベント」の実施日時は、2026年10月17日(土)14時から17時。「隼の凧」を飛ばす条件はかなり強い風が吹いていること。この時間のなかで風を待ちながら、吹いたその時に一気に飛ばします。無風であったり雨天の場合は予備日(18日)の同時刻に再チャレンジを行います。
Fragile Gift 飛行イベント
強い季節風が吹きつけるジャワ島の海岸とは違い、東京のお台場は湾岸が入り組んでいて、安定した強い風が吹きづらい場所です。その環境に合わせて「隼の凧」の軽量化や、より風を受けやすくするための整備が必要ということもわかりました。当然それにはこれまで一緒に制作してきた凧職人さんたちが不可欠で、飛行イベントの前から来日してもらうことになります。せっかくなので、飛行イベント前の期間を「Fragile Gift Week」として、公開整備と関連グッズの販売をおこないたいと思います。会場は東京港区芝浦にあるSHIBAURA HOUSEの一階です。
Fragile Gift Week in SHIBAURA HOUSE
モデレーターにSHIBAURA HOUSEの伊東勝氏、ゲストに北澤とレオナルド・バルトロメウス氏を招いた特別トークの夜。「フラジャイル・ギフト」を出発点としながら、アートとコミュニティ、日本とインドネシアをめぐる対話の場をひらきます。
After Projectsについて
「After Projects」は、アートプロジェクトが残す材料や記憶、アイデアを日常で使うアイテムへと転用していくブランドです。「隼の凧」のインドネシアでのテスト飛行に使用した布は、Tシャツやジャケット、バッグなどのファッションアイテムとなり、手にした人の日常で「プロジェクトの後」を過ごしています。「Fragile Gift Week」では、新作プロダクトの販売を行います。
ふたつのイベントを終えた後、Fragile Gift のドキュメンタリー映像完成にむけて作業を進めていきます。「隼の凧」は飛ばすと同時に壊れる運命です。そのスケールから、壊れることなく着地することはほぼ不可能です。飛べば飛ぶほど、同時に激しく壊れゆく存在なのです。「戦闘機の形が壊れること」は当然このプロジェクトの大事な要素ですが、同時に作品がなくなっても残る記録の重要性が高まります。そのためプロジェクト開始当初から映像を撮り溜め、その進捗と並行しながら、ドキュメンタリー映像の制作をおこなってきました。日本に届くまでの約5年間の過程をまとめた最新の映像は、森美術館での展示でお披露目をしました(ティザー版を本ページのキービジュアルから再生いただけます)。
今回、プロジェクトの最終幕である「日本での飛行挑戦」の記録を撮影し、このドキュメンタリー映像を完成させたいと思います。飛行イベント終了後も2週間ほど本ページの掲載をつづけさせていただくのは、飛行当日の記録を共有し、それを用いたドキュメンタリー制作にも関心とご支援を寄せていただきたいと考えるからです。
現在、来年2月に東京大学で開催予定の展覧会にて、この映像をご覧いただける機会をつくれるよう準備を進めています。以降も、展覧会や上映会といった機会で、完成した映像を発表する場を積極的に設けていきたいと思います。
今回の飛行イベントは、アートプロジェクトを企画運営する会社として経営している合同会社北澤潤八雲事務所(2010年設立,18年法人化)による自主企画で実施するものです。港区のご後援とSHIBAURA HOUSEのご協力、またアーツカウンシル東京の東京芸術文化創造発信助成に採択いただき、実現の目処を立てることができました。しかしながら巨大な作品の運搬や凧職人さんたちの招致等にかかる資金面の課題はそれでも大きく、実施にかかる半分以上の経費を現状自己資金で補う計画です。
一方で、飛行イベントはその性質上だれもが見れるものであるべきで、入場料制にするなどといった考えは最初からありません。このイベントを実施する時には、プロジェクトの非営利性を保ちながら、資金的なサポートを集めることができるクラウド・ファンディングに挑戦しよう!と考えていました。
飛ばす挑戦は(許可を得れた)1日と短く、飛ぶ瞬間はさらに短いです。でもその一瞬を実現する意味があると、ここまでの文章を読んで感じていただける方がいることを願います。ぜひこのプロジェクトにご支援をお願いいたします!
ここで集まった支援は、以下の経費に使用させていただきます。
※今回プロダクションファンディング(All in)での挑戦のため、もし目標金額未達成となった場合も、不足分は自己資金によって補填し、飛行イベント、Fragile Gift Week、ドキュメンタリー映像の制作を実現します。リターンも必ずお届けしますのでご安心ください。
今回のイベントで飛行に挑戦した「隼の凧」の尾の一部を用いてつくる一点物のグッズを中心に特典をご用意しています。
・特製ポストカードセット3枚セット(はがきサイズ)
・「隼の凧」の布付きポストカード(大きめサイズ・一点物)
製作中のサンプルです。実際は飛行イベント当日の写真を使用します。
・「隼の凧」の布付きトートバッグ(カンバス素材・一点物)
・「隼の凧」の機体に転写したドローイング原画(額装なし/あり)
額装は現在制作中です。ドローイング作品は森美術館で展示された25種の中から先着順でお選びいただけます。
展示風景:「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年
撮影:竹久直樹 画像提供:森美術館(東京)
風は誰にも読めない
リスクとしては、やはり凧は自然との関係によって飛ぶものであるため、風がないなかで飛ばすことは叶わないということです。とはいえ、インドネシアのように毎週海岸で大きく無数の凧があがるほど、東京の空は自由ではありません。許可を得て「隼の凧」を飛ばせる本番日に、風が吹くかどうかは誰にもわかりません。また、本番当日の飛行を待つ間も、できるかぎりベストな風をじっくり待ちます。いまたくさん人が集まってるから無理やり揚げよう!と焦ってしまうと、落ちれば壊れる「隼の凧」の数少ないチャンスが無駄になってしまいます。ここはインドネシアっぽいマインドで、ゆっくり焦らず自然に身を任せ、ゴザでも敷いてお茶でも飲んで、風と奇跡を共にお待ちいただければ幸いです。
いかにアートプロジェクトの実現を支えるか?
チャレンジとしては、今回のようなアーティスト自らがつくるプロジェクト「それ単体」を、どんな資金で実現することができるか?という長年の課題があります。政府や行政などの助成金や補助金、企業との協働。作品を販売することによる資金調達。規模はちがくとも、そのどれもをこれまでのプロジェクトでトライしてきました。扱うテーマの限界、スポンサー側の考えとのズレ、売るための作品をつくる矛盾...。ベストアンサーはありませんし、相変わらずどれもを試し続けないといけないとも思います。当然ですが、美術館やアートセンター、アートNPOとの協働という択もちゃんとあります。潔白で意思のある民間助成金の存在はアーティストを励まし続けています。
それでも、アーティスト自らがもうすこし自律的に、規模感のあるプロジェクトをつくれる環境はできないものか、と考え続けています。After Projectsをはじめたのは、「日用品」をプロジェクトが再生産していく、その売上がまたプロジェクトを生産するという循環が、ひとつの理想に思えたからです。でもそれがすぐ実現することもない。あの手この手を試しながら、純粋なアートプロジェクトの作り方についてもうすこし理想を追ってみたいと思っています。今回クラウド・ファンディングに初めて挑戦したのも、そのチャレンジの一つの形だからです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!もうそれだけで十分な応援をもらっている気がしています。なのですが、ファンディングへのサポートまで是非ともご検討ください。よろしくおねがいします。
飛ばす挑戦に向けて、準備が佳境を迎えていきます。その景色を実現できるよう頑張ってまいりますので、ぜひご予定のゆるす方は公開整備、そして飛行イベント当日に会場へ足をお運びください。風が吹けばやってくる、その一瞬を共にしましょう!(もしあれば)凧とピクニックシートをご持参の上!
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