現地からの便り《音楽監督編3》:高橋琢哉
vol. 13 2017-08-22 0
音楽監督の高橋です。8/22フォール・ドーファン。晴れ。以下は昨日私のInstagram ( https://www.instagram.com/takuyacycle/ ) に投稿した文章がベースですが、こちらにも報告をかねましてアップいたします。
音楽を通してベトナム、ミラノ、ハワイ、ニューヨーク、インドネシア、など移動の多い仕事をしてますが、世界中どこへ行っても、音楽、踊り、生活様式、食生活などと同じで固有の織物や布が気になる。インドネシア島々の絣織のバリエーションは別格ですが。
鉱物や草木による染料や木綿、絹、樹皮などで人間が布を作ってきた歴史は深い。それらが多くの場所で遺体を包むのに大量に使われてきたことも。布で自身の体や何かを巻くということは、人類が数万年以上かけて形作った脳の持つ傾向や癖、遺伝子レベルでの外界/環境もしくは異界と自己意識との境界線に関する普遍的な認識の傾き、それと無関係ではないでしょう。
今回撮影している映画のタイトル、VATAとはマダガスカルの言葉で箱や容れ物を意味します。それと同時に今回の撮影地マダガスカル南部では人のからだ、肉体そのものも同じ言葉で呼ばれる。そして、映画の中心的なテーマとなる、男たちが運ぶ遺骨をおさめる箱もまたVATA、です。
人類史における、言語の発生と意識の形成ーその、脳を媒介とした絶えざる往復のあいだに人体を箱、もしくは容れ物と呼ぶに至ったマダガスカル人たちの自然観は、隔絶した環境によるものというよりも、人類の想像力と生活様式の成立とのあいだに横たわる、ただならない入れ子式の連続性をもった普遍的な性質の現れなのだ、と今回のマダガスカルの旅を通じて改めて思えてくるのです。
この映画、おもしろくなりますよ。リターンとして録音したり編集している、現地録音や、ミュージシャンたちとのリハ音源もなかなかのボリュームです。次はそんなフィールド録音の話などを報告します。
写真はフォール・ドーファンの迷路のような市場の中でやっと見つけた手織の布。顔を埋めて鼻から息を吸い込むと、インドネシアの絣織イカットと同じ匂い。色止めの油分(胡桃のオイルなど)によるものです。