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ドキュメンタリー映画『無音の叫び声』をクラウドファンディングで実現!

東北の小さな村から、戦争と平和、そして戦後の歩みを見つめ直し、日本の未来を考える長編ドキュメンタリー映画『無音の叫び声』

戦後70年。東北の小さな村から、戦争と平和を、そして戦後の歩みを見つめ直し、日本の未来を考える長編ドキュメンタリー映画『無音の叫び声』の製作完成に向けて、是非、ご支援をお願いいたします。

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このプロジェクトは、2015年4月13日23:59に終了しました。

コレクター
24
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残り日数
0

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このプロジェクトは、2015年4月13日23:59に終了しました。

Presenter
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PRESENTER
髙橋 卓也

山形市在住。フォーラム運営委員会、山形県映画センターで映画の配給・上映の活動を約20年。1989年に市民として立上げに係った山形国際ドキュメンタリー映画祭に2005年から専従として参加、2007年より事務局長、2018年より理事/プロジェクトマネージャー。映画「蕨野行」の製作と上映を支援する会事務局長、ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」、「無音の叫び声 農民詩人木村迪夫の牧野村物語」「世界一と言われた映画館」にプロデューサーとして関わる。現在「紅花の守人」を製作中。

監督随想② 創作と真実(「出征の日」をめぐって)

vol. 3 2015-01-31 0

監督随想②    創作と真実(「出征の日」をめぐって)

 昭和10年(1935年)、木村は山形県東村牧野(現在:上山市牧野)で、小作人の家に生まれた。姉と妹、ふたりの弟の5人兄弟の長男であった。昭和10年といえば二二六事件、そして日独防共協定が結ばれた年で、日本が急速にファシズムへと傾斜していく時代であった。
 すでに4年前の昭和6年(1931年)関東軍の謀略による柳篠溝事件が起こり満州事変が勃発していた。そして木村が2歳の昭和12年(1937年)には日中戦争へ、中国との戦争は泥沼化していった。さらに木村が6歳の昭和16年(1941年)、日本海軍の真珠湾攻撃の奇襲で太平洋戦争へと突き進む。
 なぜ、このようなことを書くかと言えば、木村の生涯を通じて、満州事変から太平洋戦争敗戦までの15年間はとてつもない影を落とし続けて来たからである。
 木村の父、文左エ門(明治45年〈1912〉4月2日生)は結婚直後、20歳の時、徴兵検査甲種合格、満州事変の最中、中国戦線へ農民兵士として送られる。3年間の兵役義務を終え、ようやく新婚の妻が待つ自宅へと帰還する。しかし日中戦争勃発により、25歳で再び徴兵され、日中戦争最中の中国戦線へ送られる。3年後、再び帰還するも、32歳になった時、三度目の徴兵でまたもや中国戦線へ送り込まれる。
 これをもう一度木村に即して言い換えると、2歳から5歳まで、そして9歳以降、父不在の生活であった。ゼロ歳から2歳までは父親の記憶がない幼児期なので、木村にとって父と暮らした記憶は4年間、わずか5歳から8歳までの間であった。
 そんな幼い時期ではあったが、最後に父が出征したときにつぶやいた言葉を鮮明に覚えている。出征の前日、父は「今度ばかりは行きたくないな」とだけ、最後の家族団らんの時に、言葉少なげにつぶやいたことを木村は忘れることができないと言う。そして、最後の別れとなった9歳の日のことを、木村は21歳の時、「出征の日」という詩に綴った。

  「出征の日」

  わたしは知っている
  あめ色に光ったおこさまが
  上になり下になり
  濁った糸を一面になすり合っていた
  雨の日

  冷たい
  おせぢ言葉をなげかけにやってくる村人達
  一人一人に
  祖母はしわだらけの笑みをつくろい
  母は
  暗いじめじめした庭すみに立ち
  赤飯の煙に
  そっと泣いていたのを
  わたしの
  幼い眼は 忘れない

  翌日
  真黒な巨体がゴトゴト近づきはじめると
  バンザイという哀しみの合図を
  いっせいにたたきつけられ
  父は
  静かに 広場をはなれていく

  ふるさとの乾いた土も
  ゴロゴロした石ころも
  コケの生えたかやぶき屋根も
  みんな
  薄っぺらな小旗の波にかくれてみえない

  バンザイという言葉をやめて下さい
  日の丸のふるうのをやめてください
  そしてもう一度
  わたしにふるさとのにおいを
  かがせてください

  なさけのしらない群衆をあとに
  ゴトゴト
  重苦しいひびきを残して
  去っていく

  その晩
  あかしの灯された たなの下で
  おこさまは
  濁った糸を吐きつくして
  死んでいた
(私家版詩集『生きている家』掲載)
注:「おこさま」とは蚕のこと。漢字で書けば、「お子様」で、子どものように蚕は大切なもの、という意が込められた方言

 この詩について木村に聞いた。
 「木村さん、お母さんが泣いていたのを見たんですね」
 「見ていない。当時は母や妻や子どもも喜んで出征を送り出さなければならなかった。実際はお袋も小旗を振って見送っていた。だから俺の想像で書いた。その日は真夏のおこさま(蚕)のさかりの時期だった。蚕は食欲旺盛で、毎日、大量の桑の葉を与えなければならないが、出征の日は餌を与える暇はない。蚕が飢えて死んでいく、これはフィクションだが、蚕の死と親父の出征していくことを重ねて書いたつもりなのよ」
 家族にも、子どもにも涙を見せることを憚らなければならなかった時代だったのだろう。9歳の木村さんは笑顔で夫を送り出す母の姿を記憶に留めつつもそれから12年もすぎた21歳の時、母の本当の気持ちを想像して「出征の日」を綴った。幼い頃に刻みつけられた衝撃を青春時代真っ盛りの年齢になって、事実とは違うが、真実として表現したのだ。
 しかし、実は真実、かつ、事実であったことがそれから30年以上経って明らかになる。母は本当に泣いていたのだ。文字を書けなかった母は老人になって公民館で字を習い始め、一生に一度だけ作文を書く。その唯一の作文は母の人生を幼い頃から綴ったものであったが、その中でこう書かれていた。
「・・・夫が出ていったあとは、あっちへいってなき、こっちへいってなき、ただ心さびしくなるばかりです・・・」
 詩である以上、現実そのままが綴られているのではない。むしろ、現実を超えた深い表現が高い芸術性となって人びとの心を打つ。だから全く荒唐無稽な現実にはあり得ない表現が許されると思う。そして、木村さんも実際に見ていない母の泣く姿を想像で書いた。しかし、それは単なる想像では無かった。最後の出征から2年、夫は中国で戦病死した。それから木村家にとっての本当の戦争が始まった。木村にとって父が戦争で奪われた後、家族がどのような状況下で暮らして来たのか、その過酷な体験もあって、母の涙を想像できたのだと思う。しかも想像は事実であった。
 これから農民詩人、木村迪夫の世界を描くにあたって、最初にこのことを書いたのは、木村の詩はもちろん現実を超えた文学的表現がそこかしこにあるにも関わらず、それが単なる芸術的な技巧、修飾ではなく、実際の生活体験に深く根ざしたリアルな世界であることを伝えたいとの意図である。木村文学の魅力は常に実際の戦後日本社会の実相を農民の目線から照らし出す、ある意味、戦後史の記録でもあるのだ。(監督:原村政樹)

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