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ドキュメンタリー映画『無音の叫び声』をクラウドファンディングで実現!

東北の小さな村から、戦争と平和、そして戦後の歩みを見つめ直し、日本の未来を考える長編ドキュメンタリー映画『無音の叫び声』

戦後70年。東北の小さな村から、戦争と平和を、そして戦後の歩みを見つめ直し、日本の未来を考える長編ドキュメンタリー映画『無音の叫び声』の製作完成に向けて、是非、ご支援をお願いいたします。

FUNDED

このプロジェクトは、2015年4月13日23:59に終了しました。

コレクター
24
現在までに集まった金額
151,000
残り日数
0

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このプロジェクトは、2015年4月13日23:59に終了しました。

Presenter
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PRESENTER
髙橋 卓也

山形市在住。フォーラム運営委員会、山形県映画センターで映画の配給・上映の活動を約20年。1989年に市民として立上げに係った山形国際ドキュメンタリー映画祭に2005年から専従として参加、2007年より事務局長、2018年より理事/プロジェクトマネージャー。映画「蕨野行」の製作と上映を支援する会事務局長、ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」、「無音の叫び声 農民詩人木村迪夫の牧野村物語」「世界一と言われた映画館」にプロデューサーとして関わる。現在「紅花の守人」を製作中。

このプロジェクトについて

戦後70年。東北の小さな村から、戦争と平和を、そして戦後の歩みを見つめ直し、日本の未来を考える長編ドキュメンタリー映画『無音の叫び声』の製作完成に向けて、是非、ご支援をお願いいたします。

●ある詩人との出会いから

・・・なぜ山形には農民でありながら詩や評論や絵画など様々な表現活動をする人たちが多いのか・・・生きること、農の営み、そして文化を産み出す意思。その情熱の系譜を辿るなかで、ドキュメンタリー作家・原村政樹さんは、山形県上山市牧野の詩人・木村迪夫さんと出会いました。

 戦争で父を失い、土地や農業に縛られながら十代から書き続けた圧倒的な木村さんの詩の世界は、戦争の傷跡を引きずりながら辿った戦後の農業の運命を詳らかに伝えてきます。木村迪夫というひとりの血の通った人間からほとばしり出ている言葉は、多くの農民たちの魂の底に潜む叫びにほかならない。

 映画を作ろう、此処で映画を作りたい!この人の詩と生きざまを通して、日本の戦後の農業を見つめ直してみたい、そして、原発事故やTPPと戦うことを背負わされた日本の農業と私たち自身の生き方を問い直してみよう・・・。

 先に山形県高畠町の20年にわたる有機農業の取組みを描いたドキュメンタリー作品『いのち耕す人々』を生み出した原村監督は、次に、原発事故の影響と闘い稲作に取組む福島県天栄村の人々を記録した『天に栄える村』を完成させ、現在、この作品は全国各地で上映され、驚きと共感を持って迎えられています。

 そしていま、原村監督が渾身の力を注いで取組んでいる作品がこの『無言の叫び声』。東北の農民の生きる姿を通して戦後の日本を描く3部作の完成を目ざす取組みが、いまクライマックスを迎えています。

●監督、製作委員会を立ち上げましょう!

 原村さんが、表現する人間としての農民を映画にしたいと、山形の農民文学の基地ともなった同人誌「地下水」に係わった人々を取材し始めたのは4年以上も前です。幾度も自費で山形に通い、徹底的に人から人に巡り会う中、映画製作の構想と確信を深めてゆく監督。

 そして東日本大震災や原発事故という未曾有の体験を経て、なおTPPや集団的自衛権など様々な状況の変化も重なるいま、東北の村からこの映画を作り出す意味はより深いものになるという思い。

 映画製作にかける原村さんの持続する情熱に触れつつ、この作品が山形や東北を超えて全国の多くの人々に共有されるべきものになることを確信して、私たちは既成の製作プロダクションに頼らない独自の映画作りを全うしようと、2014年3月、市民有志を中心に製作委員会(任意団体)を山形で立上げました。なんとかなる、いや何とかしようと。

●原村監督の覚悟と若い力

 原村監督自身、映画製作を貫徹させるために所属する映画製作会社を休職し、他の様々な仕事をすべて断り、自分を追い込みつつこの作品に専心されています。「いや~俺こんなの初体験だよ」と何かある毎に口癖のように云いながらも、いまこの映画を世に出さないでいつ出すんだという監督の強い意思と覚悟が伝わって来ます。

 その意気に応えるように、この映画作りには山形県鶴岡市在住の渡辺智史監督(ドキュメンタリー映画『湯の里 ひじおり』、『よみがえりのレシピ』)や天童市在住の佐藤広一監督(『銭湯夜曲』、『隠し砦の鉄平君』等)が駆けつけてくれました。

 製作委員有志だけでなく、山形在住の若い作家たちが進んでこの現場を支えようとしている。この映画作りの大きな特徴と言えるでしょう。

●さあ、これから

現在私たちは、製作資金集め、全国に向けた広報、企業・団体回り、木村さんの詩の世界を伝える連続朗読会など、映画製作の趣旨を伝える様々な活動を続けています。

 これまで、250名を越える市民プロデューサー方々からのご支援のお陰で撮影の80%を終えることが出来ました。完成まであとわずかです。 しかし、残りの撮影と最終仕上げとなる編集・録音(ナレーション・音楽など)にかかる費用の捻出がまだ道半ばです。

是非、映画「無音の叫び声」の完成までの「胸突き八丁」を資金面でご支援いただきたく、よろしくお願い申し上げます。

●なぜ私は、この映画を創るのか・・・監督:原村政樹からみなさんへ

TPP参加、集団的自衛権への動きが加速する現在、日本の未来はどうなってしまうのでしょうか?
TPPによって日本の水田の7割が荒地になってしまうという試算もあります。
世界に誇る平和憲法を放棄して、戦争に参加できる国になっていいのでしょうか?
そんな怒りが今の私を突き動かします。
それゆえ、この映画を絶対に完成させようと必死に動いています。

山形県に暮らす農家の木村迪夫さん(79)は15歳の時から60年以上、詩を綴り続けてきました。
農民詩人とも、反戦詩人とも呼ばれています。
木村さんの詩は日露戦争から現在に至るまで、日本の歴史が、農民の視点から鋭く描かれています。
祖父、父、そして叔父を戦争で失い、木村さん一家は戦争被害家族としてつらい戦後を生き抜いてきました。木村さんは幼い頃から、戦争未亡人となった祖母と母の過酷な日常を見続け、農村女性の視点から戦争のおぞましさを詩で表現し続けました。
戦争で一家の大黒柱を失った木村家は、戦後、真の意味で、祖母・母の戦争が始まったのです。
夫の死を悼む間もなく、過酷な生活苦が待っていました。
木村家にとって戦後が本当の意味での「戦争」の始まりでした。
それは、日本中で夫や父を戦争で失った家族が共通して闘わなければならなかった戦後でした。
その非道さを木村さんは今も詩で訴え続けているのです。
そして、貧しい小作人の長男として生まれた木村さん。
戦後の農地解放で得た土地も僅か5反、生きるために、7人家族を養うために、5反はあまりにも小さな土地でした。農業だけでは家族を支えることも出来ません。
そこで木村さんは東京の建設現場への出稼ぎを10年、その後、地元でゴミ屋をしながら、兼業農家として生きました。

「自分が生きた証を残したい」。

木村さんはそんな気持ちから詩を続け続けてきたと私にいつも話してくれます。
今までに16冊の詩集を出版した木村さん。

丸山薫賞、現代詩人賞、日本農民文学賞、晩翠賞、斉藤茂吉文化賞、山形県芸術文化会議賞、山形県詩賞、真壁仁・野の文化賞など、文学界から高い評価を受け続けました。

「朝から晩までひたすら土に向かい、土と抗う疲労の中から、ひと言でも自分に見合った言葉を捜しては、枕もとの紙片に記した。疲れて、長いものは書けようはずもなかった。一行でも二行でもよい。それが今日を生きた自分の記録となれば ― そう信じこみながら書きつづけてきた。それは、まさにみみずのたわごとのような言の葉であるにせよ、そこに百姓の日常生活が、刻まれておればよいと思った。・・・外聞としては聴こえようもない無音の声が、怒涛となって村を被いつくしているのがわが耳にははっきりと聞き取れる・・・」(詩集「光る朝」後書きより)

私は木村さんの詩を通じて、日本の戦後農業の歩みと、平和の大切さを伝えたい。

私はこれまで2作の東北農業に関わる長編映画を創りました。

― 山形県高畠町の有機農業30年の歩みを描いた『いのち耕す人々』(2006年)
― 福島県天栄村の米の放射能汚染ゼロへの挑戦を描いた『天に栄える村』(2013年)
― そして、今回の『無音の叫び声』

この3作品を私は、<東北農業三部作>と位置付けています。
東北の村から、日本、そして世界へ向けて発信する三部作です。

詩という言語芸術を映像化することは極めて困難で、私の映画人生30年の新たな挑戦でもあります。それゆえ、私はこの映画化の構想と準備に4年間、かけました。

現在、地元山形の方々の協力を得て、撮影の80%を終えることが出来、編集作業も進んでいます。「詩を映像化することの困難さ」からのスタートでしたが、試行錯誤を続け、その困難さを克服、今までに無いドキュメンタリー映画が誕生しようとしています。

今回、木村さんは父親が戦死した中国の湖北省黄崗県余家湾を訪れ、戦死した父親との魂の交流を交わす旅に出かけたいと希望しています。もし、諸条件が整えば、その様子を同行して撮影できるかもしれません。

戦争の被害家族である木村さんは同時に日本の戦争加害性にも眼を向けています。戦争が起これば、自国の民だけでなく、相手の民も被害を受ける。その不条理を人生最後に伝えたいと木村さんは意欲を燃やしています。

今後、いよいよ、世に出す作品として仕上げてゆきたいと考えています。

未来の子どもたちのために、戦後、失ってきた大切な価値を取り戻したい、もっと人を大切にする社会を築きたいとお考えの方々どうかご支援、ご協力、お願い申し上げます。

【監督 原村政樹 プロフィール】
1957年(昭和32年)3月18日生まれ。上智大学卒業後フリーの助監督としてグループ現代、ドキュメンタリージャパンなどで映像の仕事を始める。1985年桜映画社入社。1988年、熱帯林破壊と持続的開発をテーマにした短編映画「開発と環境」で監督デビュー、以後、短編映画、TV番組を製作。2004年、長編記録映画「海女のリャンさん」で映画館上映や自主上映の長編記録映画の製作を開始、現在に至る。

■主な製作作品、受賞歴(2000年以降)
2004年 「海女のリャンさん」 キネマ旬報ベストテン第一位/文化庁文化記録映画大賞、他
2006年 「いのち耕す人々」 キネマ旬報ベストテン第四位/文化庁文化記録映画優秀賞、他
2008年 「里山っ子たち」 キネマ旬報ベストテン第三位/アースビジョン厚生労働省社会保障審議会特別推薦賞/児童福祉賞
2009年 「里山の学校」(プロデューサー) PTA全国協議会特別推薦他
2011年 「原発事故に立ち向かう農家」  農業ジャーナリスト賞
2013年「天に栄える村」 キネマ旬報ベストテン第五位                                                                   ■原村政樹監督が東北の農業をテーマに製作したドキュメンタリー作品「いのち耕す人々」「天に栄える村」の映像をご覧いただけます。

【木村迪夫・詩人】

1935年(昭和10年)10月9日、小作農の長男として、山形県東村大字牧野(現・上山市牧野)に生まれる。農地解放で自作農となるも農地は猫の額。中学を卒業する15歳の時、働き手がないから高校には通わせられないという母・祖母の反対を押し切って、上山農高定時制過程に入学、そこで"やまびこ学校"出身の佐藤藤三郎と出会い、文学に目覚める。

20代は青年団活動の中心メンバーとして活動、以後、原水爆禁止運動、安保反対闘争、農業基本法制定反対闘争、三里塚農民の空港反対運動支援、減反反対運動、文革期の中国訪問など、長年にわたる社会運動に参加する。

27歳からの11年に及ぶ出稼ぎを経て、38歳の時、出稼ぎをせずに生きようと、村で廃品回収業を始め、兼業農家となる。39歳の時、沈滞した村にすがすがしい風を呼ぼうと三里塚の空港反対闘争を記録し続けていた小川プロを村に招く。10年をかけて村に溶け込んでの撮影は村人たちの共感を呼び、ついには村人全員が映画製作に協力、その過程で木村自身も変化し、地域のリーダーに成長していく。創作活動も旺盛でこれまで16の詩集を出版。現代詩人賞、丸山薫賞、日本農民文学賞、土井晩翠賞斉藤茂吉文化賞、山形県詩賞、山形県芸術文化会議賞、真壁仁・野の文化賞、など多数受賞。前・山形詩人会会長。現在も牧野で農業を営みながら、詩作を続けている。

●どんな映画になるのだろう?・・・詩と映像が織りなす戦後 村のクロニクル

[1]戦争被害家族として生きる

<にほんのひのまる なだてあかい かえらぬ おらがむすこの ちであかい(祖母の歌)>

 ・戦争で一家の大黒柱を失った家族にとって、真の意味で妻や子どもたちの戦争が始まった。母子家庭になった戦争被害家族への村人たちの偏見。残された若い妻たちの苦難の日々。木村さんの一家も家族7人を母親と年老いた祖母の力で養っていかなければならない経済的苦難。そうした家族は木村さんの村の3分の1にものぼった。戦地で亡くなったのは兵士ばかりではなかった。小学生たちも満蒙開拓青少年義勇軍になれと教師に進められ、満州に渡るが、関東軍の後釜として利用され、極寒の地で死んだ子どもたちも数知れない。夫を、父を、子どもを戦争で失った残された家族の癒しきれない心の傷は戦後、70年を過ぎた今も回復できない。

[2] 村の若者たちのエネルギー溢れる時代

<お前は百姓だ、何も知らない百姓だ だがなあ 俺もやっぱり人間だったよ これからは 何でも知っている百姓! 何でもみえる百姓に、おれはなるよ(百姓)>

 木村さんが詩に目覚めたのは、農家の跡取りとなって、農作業をしながら、週4日だけ通う定時制農業高校時代。同じ境遇の仲間たちと詩集「雑木林」を創刊。無着成恭が始めた「山びこ学校」出身の同級生たちとの出会いで始まった詩集であった。高校卒業後も青年団活動を通じて、木村たち、農村青年は文学活動、演劇活動を続け、村の民主化を目指し、平和運動を展開した。毎晩のように集まっては読書会、芝居の稽古に熱中した。村の若者たちが最も輝く時代であった。また、木村さんが第二の父と尊敬する真壁仁(故人)の元に、農村の文学青年たちが結集し、本格的な創作活動が展開されていく。1958年、農民の文学運動誌「地下水」を創刊、単なる生活記録ではなく、文学・芸術として優れた作品の創作を目指すようになる。以来57年間、山形の農民詩人、農民作家たちが詩や小説、評論などを発表し続けている。山形は全国でも稀に見る農民文学が盛んな地域として育っていった。

[3] 高度経済成長で変貌する村

<彼女は僕の唇に吸いついた ずり落ちる乳房をかかえて 彼女は僕の唾が苦いと言った おら一生ここでくらすの やだ(行方)>

 農業近代化は村に革命的な変化をもたらした。農民の念願であった重労働からの解放。しかし、その矛盾に農家は翻弄されていく。若者たちの都会への流出、農業機械導入の負担、減反、出稼ぎ・・・。木村さんも10年間、冬の半年間、東京へ出稼ぎを始める。残された妻のシゲ子さんも地元の建設現場で働く。確かに農業近代化で重労働から解放されたが、失ったものも大きかった。かつては野良での人力での過酷な農作業だったが、それでも心のゆとりはあった。農業近代化以降はそうした精神的なゆとりはどこかに消え去り、機械に追われ、時間に追われ、人生を考えるゆとりもなく、お金を稼ぐためにのみ日々を費やさなければならなくなった。

出稼ぎで家族が1年の半分を離れ離れに暮らす生活を10年続けてきて、それよりも大切なもの、家族と共に暮らす価値に気づいた木村さんは、出稼ぎをせずに村で暮らしたいと、地元で「ゴミ屋」を開業する。時、将に高度経済成長まっさかりの1970年代。ゴミ収集を通じて木村さんが目の当たりにしたのは、物質文明に奢る一般市民の荒廃した精神だった。袋のまま無造作にゴミに出されるコメ、袖も通さずに捨てられる衣服の山、など・・・。「このまま進めば、日本は経済的に滅びるぞ」とは詩人の直感。今から40年も前に経済低迷に喘ぐ現在の日本の姿を予見していたのだ。

[4] 召集された農民兵士たちの末路

<骨が燃えているのではなく 人間が燃えているのだ 無音のことばが いま声となって 炎の奥から絶えまない叫喚となって 耳に木霊する(夢の島Ⅲ)>

 かつての激戦地、ウェーキー島への遺骨収集へ行った。768体もの遺骨を掘りだした。ほとんどすべてが完全遺体。戦死ではなく、悲惨な餓死であった。日本軍は赤紙で召集した兵士たちに食糧の供給もせず、見殺しにした。日本軍国主義のおぞましい現実がはっきり見えてきた。そして木村さんの父は中国で敗戦を迎え、所属する47師団、2万人以上の兵士たちと共に、蒋介石軍に抑留される。よく知られているシベリア抑留とは違い、殆んど知られていない中国本土での抑留。そこで日本の兵士と中国の農民たちはどのような関係にあったのか?被害者でもあり加害者でもある日本兵がどのような抑留生活を送ったのか、知られざる歴史に迫る。

[5] 村に赤い鳥が飛んできた・・・小川プロを招く

<村とは俺たちだけの 歴史を刻む砦なのだ 歴史の碑を消しにくる奴は 一匹の毒虫たりとも砦の前に立たせはしない(村を毀しに来る奴の前で)>

 木村さんの自宅の隣に小川プロが20年近く住みながら記録映画の撮影を行った。村の淀んだ空気に新風を巻き込もうとの願いからであった。木村家は10年間、公安や警察の監視を受け、村人からも冷ややかな目でみられた。そんな中、『ニッポン国古屋敷村』、『千年刻みの日時計 牧野村物語』等、ドキュメンタリー映画の傑作が誕生する。牧野村にとって小川プロの存在は何だったのか、村の人たちの想い、そしてスタッフであった飯塚俊男監督の証言を交え、解き明かしていく。木村さんが小川プロを呼んだことで、山形国際ドキュメンタリー映画祭が誕生し、山形が世界のドキュメンタリーのメッカになっていく。農民詩人・木村迪夫は映像文化への貢献者でもあった。

[6] 村に生きる、その精神文化の慈愛

<マギノ村の苦い眠りの あるいは眠ることのない目醒めへの刻の深さとともに・・舞い落ちるゆきのおと(交響)聴こえるか(むら・幻・方法)>

 村で生きる。それは人間の力だけではない。空気も水も食料もすべて自然の賜物だと、農民たちは意識せずとも、大地を耕し、作物を育てる営みの中から感知する。山があり、山が水や生活物資を育み、祖先が自然を慈しんできたからこそ、豊かな農地が今に引き継がれている。山そのものが神であり、人が死ぬと100日間、山に留まり、残された家族の平安を見届けてから、天に昇る。今、存在する村人も、未来の世代に何かを残すために生きている。決して眼先の利のために生きるのではない。そこに近代文明に浸った現代人が忘れ去った尊い生命感がある。

●混迷の時代の真っただ中、私たちは何を見つめたいのか

 社会の底辺から日本社会の矛盾を見つめ、農民として大地を耕し、額に汗しながら作物を育てる農民の豊かな精神世界を、詩という芸術表現で10代の頃から60年間、綴り続けてきた木村迪夫。その詩の世界は農民たちの心の奥底に秘められた、まさに「無音の叫び声」です。その叫び声に耳を傾ければ、これから私たちが築く未来への指針ともなるでしょう。

― 自然への畏敬を心に刻みながら生きる「農」の豊穣な精神世界・・・。
― 家族の視線から見える戦争の非道さと愚かさ・・・。
― 戦後の経済成長で失われがちな豊かな人間性・・・。

木村さんの詩には、今、私たちの生き方を問い直すヒントが沢山、ちりばめられています。その詩の数々を産み出した東北の小さな村の息づかいを、カメラはしっかりと捉えて、詩という言語芸術を映像化することに果敢に挑戦しました。

― 人間のいのちを根底から支える食料を育む「農」の心へ・・・。
― 人間の最小社会単位である家族の暖かさへ・・・。
― 人間を含めすべての生命を生かす山河と大地の懐へ・・・。

と、映画が誘い、慌しい現実社会に追われて生きる私たちに人間性回復とは何かを伝えます。

●リスク&チャレンジ

この作品を作り出し、多くの方々に観ていただきたいと思います。これまで日本全国から250名以上の市民プロデューサー(寄付者)の支援を得て、約400万円の製作資金で撮影やスタッフワークを進めてきました。多くの方々のご協力を胸に留め、常に製作費の節約を試みながら、ここまで順調に来ています。これから、いよいよこの作品とって重要な残りの撮影と、作品の質を最大限に高めるための様々な仕上げの作業を行う段階に差しかかっています。是非みなさんのご理解とご支援によって、この映画製作の最後の難関を乗り越えさせていただきますよう、お力添え、よろしくお願いいたします。多くの方々の無音の励ましをいただき、映画という形にし、世に送り届ける。それが私たちのチャレンジです。

●お支援いただいた資金の運用について

今後の撮影やポストプロダクション(最終編集、ナレーション、製音等)で約300万円、今回ご支援いただく資金につきましては、そうした経費の一部に充てさせていただきます。

●映画完成後の動き

山形県内での完成披露試写は、2015年の夏頃を予定しています。その後、国内外の映画祭へのエントリーを模索しつつ、日本国内の津々浦々で劇場公開や自主上映を進めてゆきます。

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    • 撮影地である山形県上山市牧野の田園や山の写真3枚セット
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    • 2015年05月 にお届け予定です。
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    30000円リターン

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    • 撮影地である山形県上山市牧野の田園や山の写真3枚セット
    • 木村迪夫さんの詩がプリントされたTシャツ1枚(色はブラックのみ、M/Lサイズ選択可能)
    • 映画のエンディングテロップにお名前をお載せいたします。
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    • 撮影地である山形県上山市牧野の田園や山の写真3枚セット
    • 木村迪夫さんの詩がプリントされたTシャツ1枚(色はブラックのみ、M/Lサイズ選択可能)
    • 映画のエンディングテロップにお名前をお載せいたします。
    • 上山の名産品(干し柿、ワイン等)贈呈
    • 原村監督作品「海女のりゃんさん」「いのち耕す人々」「米の放射能汚染ゼロへの挑戦」から1作品DVD贈呈
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    100000円リターン

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    • 撮影地である山形県上山市牧野の田園や山の写真3枚セット
    • 木村迪夫さんの詩がプリントされたTシャツ1枚(色はブラックのみ、M/Lサイズ選択可能)
    • 映画のエンディングテロップにお名前をお載せいたします。
    • 木村迪夫さんのサイン入り詩集3冊贈呈
    • 画家 草刈一夫さんのサイン入り絵はがきセット
    • 上山の名産品(干し柿、ワイン等)贈呈
    • 原村監督作品「海女のりゃんさん」「いのち耕す人々」「米の放射能汚染ゼロへの挑戦」から1作品DVD贈呈
    • 2015年07月 にお届け予定です。
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    300000

    300000円リターン

    • 製作委員会からのお礼のメール
    • 撮影地である山形県上山市牧野の田園や山の写真3枚セット
    • 木村迪夫さんの詩がプリントされたTシャツ1枚(色はブラックのみ、M/Lサイズ選択可能)
    • 映画のエンディングテロップにお名前をお載せいたします。
    • 画家 草刈一夫さんのサイン入り絵はがきセット
    • 木村迪夫さんのサイン入り詩集3冊贈呈
    • 山形農民文学作品セット(木村迪夫、星寛治、佐藤籐三郎、菅野芳秀、齊藤たきち 等1冊づつ)贈呈
    • 山形県上山温泉宿泊券2名様贈呈
    • 原村監督作品「海女のりゃんさん」「いのち耕す人々」「米の放射能汚染ゼロへの挑戦」作品DVD贈呈
    • 2015年07月 にお届け予定です。
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    500000円リターン

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    • 撮影地である山形県上山市牧野の田園や山の写真3枚セット
    • 木村迪夫さんの詩がプリントされたTシャツ1枚(色はブラックのみ、M/Lサイズ選択可能)
    • 映画のエンディングテロップにお名前をお載せいたします。
    • 画家 草刈一夫さんのサイン入り絵はがきセット
    • 画家 草刈一夫さんのサイン入り絵はがきセット
    • 上山の名産品(干し柿、ワイン等)贈呈
    • 山形農民文学作品セット(木村迪夫、星寛治、佐藤籐三郎、菅野芳秀、齊藤たきち 等1冊づつ)贈呈
    • 完成披露試写会と上山温泉宿泊ご招待 2名様(旅費も含む)
    • 原村監督作品「海女のりゃんさん」「いのち耕す人々」「米の放射能汚染ゼロへの挑戦」作品DVD贈呈
    • 完成した「無音の叫び声」を、1回のみ主催上映できます。(貸出料無料、時期と地域は要相談)
    • 2016年01月 にお届け予定です。
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