監督随想 掲載開始しました。
vol. 1 2015-01-23 0
監督随想① 何故、木村迪夫さんの映画を創るのか
芸術は芸術家だけが生み出すものであろうか?20代の頃から30年余り、農業をテーマにドキュメンタリーの取材を続けてきた中で、私は農家の人たち(以後、農民と記述。)の感性の豊かさに常に心を揺さぶられてきた。心の奥底に抱く農民の、自身、家族、地域、生命、大地、自然を見つめる眼差しの輝き。そうした精神世界を伝えたいとドキュメンタリー作品を創り続けてきた。
「もの言わぬ農民」、かつて東北の農民たちを言った言葉がある。確かにそうなのかも知れない。表面的には。社会の重圧にさらされ、自己主張をすることへの自己規制が生きる知恵だったとも思える。しかし、ひとりひとり時間をかけて近づいていくと、個々、表現力の差はあるにしても、皆、素晴らしい心の世界を育んできたことが実感できるのだ。
その背景に「農」の独自の存在があると思う。ひとつは人間存在を超える自然と対峙しながら作物という命を育てる営み。日々、変化する自然を見つめ続け、その恩恵に浴し、また脅威にさらされながら生きる中で、それぞれの農民が自己と自然との対話を繰り返す。自然というある意味、捉えがたい不可思議な存在とどう向き合うのかを、必然的に思考し続けなければならない。そこからそれぞれの農民の個性が進化していく。そう思う。
山形県上山市在住の農家の木村迪夫(みちお)さん、1935年生まれ。木村迪夫さんは中学卒業後、家の農業の跡を継ぐと同時に詩を綴り始めた。それから60年余り、80歳を間近にした今まで詩の創作を続けて田。16冊の詩集を世に送り出し、数々の詩人賞を受賞、現代日本を代表する農民詩人である。反戦の詩も数多く創作し、反戦詩人とも呼ばれている。
木村さん自身は「なぜ百姓が詩を書くと『農民詩人』と呼ばれるのか。銀行員だって詩人がいる。百姓だけが詩を書くと<農民>を頭につける。差別ではないか」と、そう呼ばれることを嫌うが、私はあえて「農民詩人」の言葉を使いたい。農民だからこそ見える世界があり、普通の詩人では表現できない至高の文学を産み出したと思うからである。
それは大地と格闘しながら自然と対話し、また、農業という経済行為を通じて見通せる人間社会を、単なる個人的な抒情や技巧の詩とは全くことなる、リアルな世界を詩という言語の芸術に昇華しているからだ。朝から晩まで野良で汗を流しながら、その労働の中からわき上がる言葉を、練りにねって詩の表現に移し替えていく。これはスタートが「身体から発する言葉」であり、単なる「詩人」という範疇に収まらないと考えるからだ。
今回、ドキュメンタリー映画「無音の叫び声」の制作で木村廸夫さんと5年間、おつきあいしてきた。木村さんは実に多彩な経験を積んだ希有の人物で、その時々の体験を詩に叩きつけて来た。木村さんの詩を年代順に読み進めると、日本の戦中から戦後、今日に至るまでの姿が、街に暮らす私たちが想像もできない新鮮な姿で浮かび上がってくる。木村さんの詩の世界を通じて、私たちが暮らす日本を見つめ直してみたい、という想いで映画の制作を続けてきた。その完成まで5年の歳月を要したが、それだけの時間と労力をかけたからこそ見えてきた世界があった。(監督 原村 正樹)
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