【新着応援コメント】小説家・中崎淳先生
vol. 15 2026-06-17 0
「小説家・中崎淳さん」から副館長竹内への応援メッセージ
小説家らしくめっちゃ長文の応援コメントなうえに、竹内副館長の紹介文もとっても長いww
短編小説を読む気持ちで楽しんで頂けたら幸いです! by館長オカユカ
+++
こんにちは、私設公民館みんなの縁側ゑびるちゃん副館長、竹内です。
私が勤務する書店に、中崎淳先生が出版社の人という仮の姿で現れ、
仕事の話より雑談を延々としてしまったあの日から、もう四年ほどが経つのだろうか。
背広姿の淳先生に名刺を差し出されたのだが、名刺に書かれた名前で呼んだことはない。
私にとっては、最初から小説家中崎淳でしかなかった。
今では珍しい無頼派の作家である。
無頼派とは,とことん自分に正直で純真であるということだ。
いつの頃からか、淳先生と志津の角打ち・滝口酒店で飲むようになり、
そこでも純真なまま皆と飲み笑いしゃべり酔い潰れていく淳先生の姿に、
無頼派作家の真骨頂を見るようで、まことに愉しい日々であった。
そんな愉快な日々を過ごす中、淳先生は、出版社の人という仮の姿では文筆が進まぬということで、
かつて文豪たちが多く滞在した藤沢市へ越していった。
現に住する所は藤沢になったとしても、志津で呑み,酔い,交流し,そして志津を愛した無頼派の作家である。
私設公民館を作るにあたって一文欲しいとお願いするや、藤沢から近所へ散歩するが如く、
二時間以上かけて志津まで遊びに来てくれ、まちMarchの公園イベントで呑み、社交し、二次会まで一緒に過ごし、そして少々足元が怪しくなるほどになりながら、散歩から帰るかの如く、また二時間以上かけて藤沢へ帰って行った。行けたのか?
兎にも角にも、志津を愛した作家・中崎淳先生の筆による、
私設公民館「みんなの縁側 ゑびるちゃん」クラウドファンディングへの応援メッセージを、
どうぞ読んでやってくださいませ。
【新着応援コメント】小説家・中崎淳先生
よく晴れた五月の日曜日に、志津を訪れた。
日はあたたかくしばらく歩けば汗ばむほどだが、風も日陰もそのぶん心地よい。
志津に来るのはずいぶん久しぶりのことだった。
稲毛海岸から歩いてしばらくのところに住んでいたことがもう遠い昔のように思い出される。
そもそも志津はおろか、京成線に乗るのも、乗り換えのために船橋に降りるのも、
二年前に千葉から神奈川県の藤沢に転居して以来、初めてのこと。
当時お世話になっていた宮脇書店の竹内店長からご連絡を賜り、このたび私設公民館を開館する運びとなったと知り、
旧来のご縁に感謝しつつ、藤沢くんだりから二年と数ヶ月ぶりに志津の地を踏んだわけである。
私設公民館。
一見すると、奇妙な言葉だ。言葉に騙されることなかれ。
道中、JR藤沢駅から小一時間、東京駅を過ぎたあたりで、そんな言葉が頭をよぎった。
しかし、それは言葉に囚われている者の抱く感覚だろうと、少ししてから思い直した。
言葉や概念が先にあって後から実態が形作られるものは、
誰かがなんらかの外発的な要因に従ってこしらえたものである。
しかし一方で、実態がまずあって、それを他者に伝えようとした時に言葉が、
その実態を再現するための言葉が、生じる場合もある。
これは、ごく自然発生的な、いわば「人間由来の」成り行きに見える。
そして、この私設公民館は圧倒的に後者だと、強く書き残しておきたい。
それまで自然発生的に形成されていったある実態を、ある段階(たとえばそれは、それまで用意されていた器に泉の水が溜まりきらなくなり、新たな器を用意する、というような段階、つまりより多くの他者に整序立って理解を求める、というような段階)で再確認、あるいは〈初めて再定義〉-もともと半ば暗黙の了解として共有されていた共同体内部における定義認識を、共通言語に当てはめて外部に知らせる-するときに言葉が必要となる。
その意味で、この私設公民館は、決して単なる記号的な言葉ではない。
むしろその対極と言ってもよい。
私設公民館の実存は、タイパやらコスパやらという現代語がともすれば見失わせてしまいがちな人間の呼吸、
血の通う息遣いを思い出させてくれる普遍的なぬくもりだろうと思う。
あれこれと考えているうちに、船橋に着いた。
駅構内の雑踏を抜けると休日の昼前、駅前にはちらほら飲み歩いている御仁の姿。
いかにも私の記憶の中の船橋のままで、嬉しくなる。
ペデストリアンデッキを渡って、京成線の改札を抜ける。
文学について人々が語るとき、しばしば「異化」という言葉が用いられる。
異化については私などより竹内店長の説明がよっぽどわかりやすく長けているので、割愛する。
ともかく、この私設公民館は、いわば自分たちを取り巻く世界を異化し、
あやうく世界から忘れ去られそうになっている人間の大切にしてきたものごとを今一度呼び覚まし、
私たちの日常に新鮮な風を吹き込もうとする闘いだと思われる。
変わりゆく世界に対して自分たちの手で、言葉で、行動で、失われた姿を取り戻せ、新しい姿を見せよ、と要請する、
古今東西の人類が歴史上挑み続けてきた闘争そのものであるとも言えるだろう。
ともかくこんなようなことを考えているうちに、志津駅に着いた。
よく晴れた五月の日曜日の志津は、相変わらず穏やかに、私を受け入れてくれた。
二時間電車に揺られた私の腰のこわばりなどまるで気にしないかのような、のんびりとした横顔のロータリーを抜けて、
しばらくまっすぐ歩いていると、風が賑わいを運んできた。
小道に入ると、そこが公園である。
日はあたたかくしばらく歩けば汗ばむほどだったが、風も日陰もそのぶん心地よい。
志津に来るのは本当に久しぶりのことだったが、まるでつい先週も来ていたかのような居心地のよさで、
ほんの数分前まで二時間も電車に揺られてきたことも忘れて背筋が伸びる、
そしてついうっかり昼からビールを飲みすぎることになった。
まさに時間を忘れるほどの、満ち足りた時間と空間があの公園にはあった。
今、藤沢で一人改めて、先日の志津の賑わい、人々の血の通ったあたたかさを思い出していると、
縁、という言葉が頭に、いや、胸の奥にじんわりと浮かんでくる。
この私設公民館は、従来の公民館が持つ「地域のハブ」という記号的な、
ともすれば単意的な役割を越え、竹内店長と私の縁を、現在進行形、あるいは未来進行形で繋いでくれていることになる(本当は一人一人お世話になった方の名前を書きたいのだが、書ききれないので割愛)。
文字通り、時間と空間、時空を超えた人と人との縁を繋いでくれている。
それだけでもう、千葉県民ではなく単なる藤沢市民に過ぎない私であっても、
この新しい公民館の魅力を体験させられてしまったわけである。
故にこうして、その魅力に当てられた熱情そのままに、拙文を書き連ねている。
これからも、今住んでいる場所から遠く離れた志津という街の公民館に、
私はまるで近所の図書館にでも立ち寄るかのような気やすさと安心感を胸に、
何の用もなく顔を出してしまうことになるのだろうと思うと、人生のふるさとが一つ増えたようで、無性に嬉しい。
志津の皆さんに分けていただいた熱に浮かされて、つい長々と書いてしまいました。
最後に、最も言いたかったことを書いて、結びといたします。
この度は、私設公民館の開館、誠におめでとうございます。
- 前の記事へ
- 次の記事へ
