ダルライザーの歴史と映画
vol. 13 2018-09-02 0
ダルライザーは2008年の11月2日に初めて姿を現しました。
企画は同年の2月にスタート、僕がデザイン画を描いた事がキッカケです。
更にデザインを描くキッカケがありますが、映画内に登場するナナコお姉さんが、“合併後の白河市のキャラクターを作ろう”という会議中に「ヒーローなんて良いんじゃない?」との一言を受け、家に戻って眠れず夜中飛び起きて絵を書いたわけです。
2008年の
2月〜4月までの間に、キャラクターの研究をしてデザインを完成させ
4月〜10月までの間にコスチューム制作をしました。
その間に、こんなのも描いています笑
家の中で試着…髪の毛を抑えるのにタオルをまくという
名前募集を呼びかけるポスター
制作時は経験がないもので、カッコいいマスクを画像検索し、大阪芸大のヒーローサークルのエイゾーレッドさんに作り方を教えてくださいとメール。
遠距離だったので写真で指南を受けながら手作りしました。
群馬のヒーローG-FIVEさんには運営についてのお話を聞いたり、ダルライザーの背中をデザインしてもらったり、コスチュームの縫製をしていただきました。
当時は敵がいなかったので、警察のイベントでひったくり(役)を捕まえました。
デビューしたての頃、当時蒔いたチラシ。
後々生まれた敵のダイスは、僕がキャラクターを作っている最中に
“本当に街に悪い奴らが存在していたら?”
どんな理由で、どんな悪さをするだろうか?
そんな空想から誕生しました。
当時、僕には子どもが産まれたばかり
街を見ればシャッターは閉まって、すっかり静まり返っている。
今までは何とも思わなかったのに、子どもの事を考えたら街を見る目が変わりました。
この時、僕は膵臓に病気を抱えていて、自分がこの世を去ることも考えていました。
「この子が大きくなった時に安心して暮らしていけるだろうか?」
そこで生まれたのが決めセリフ「努力と工夫で何度でも立ち上がれ」です。
努力と工夫というのは当時、朝日新聞さんに取材された時に「努力と工夫のヒーロー見参!」という見出しで書いてくれたのがきっかけです。
この一言を子どもに伝えられたら、将来どんな状況でも乗り越えてくれるかもしれない。
そう考えました。
今年でダルライザーは誕生10年になります。
活動をしているうちに病気は完治し、この思いを子どもたちに託すため、映画を制作。
前半1時間はほぼドキュメンタリーのような映画です。
これで僕がいなくなっても映画は残るので、想いを伝え続けられると思っております。
親になれば人生観が変わるのは誰もが同じだと思います。
是非ともこれを大人の方に観て欲しいと思っています。
僕らの活動で変わった部分といえば、子どもに想いを託すと言っても、子どもに直接だと言いたい事を優しくしないといけない。
だから、大人をターゲットにしています。
僕が教えるより、親が子どもに「努力と工夫で何度でも立ち上がりなさい」と伝えてあげたほうが、子どもは頑張れます。
人生、必ずつまずくし、立ち止まるし、転ぶ。
でも、立ち上がれば次が必ずくる。
地方はどこも、同じ課題を抱えていると思います。
名前募集のポスターに「白河を、福島を、日本を、救え!」とあるように
日本の皆様の地域まで元気にできるように頑張ります!
そのためにはその地元にいらっしゃる方が立ち上がろうとすることが大切です。
それを映画で伝えたい。
全国に拡げるために、是非とも達成まで応援していただければ幸いです!
次回はダイスについて書きたいと思います。
「ライズ -ダルライザー THE MOVIE-」プロデューサー 和知