【あと1週間】なぜこれほどまでに私がディーリアスの”あの本”にこだわるか
vol. 6 2017-09-19 0
いま、なぜディーリアスなのか?
いろいろな人から、それを聞かれる。
自分でも、やむにやまれぬ熱にうかされている。
どうしても“あの本”を、日本語で読みたい。
いろんな人に読んで欲しい。
その思いだけが、ずっと前から、心の奥底にひっかかっていた。
久しぶりに、“あの本”を原作とした映画「ソング・オブ・サマー」(ケン・ラッセル監督)の日本語字幕版のVHSをダビングしたものを分けていただき、何十年ぶりかで観た。
自然の風景と音楽のあまりの美しさ、格調高さ、誠実さ、哲学や絵画や文学との関係、そしてこの作品が秘めているテーマの深さに打ちのめされた。
そして、なぜ自分がディーリアスの”あの本”にこだわっていたかの答えが氷解した。
根本的に考え方の違う人間どうしが、音楽を媒介として、どれだけわかりあえるか?
エリック・フェンビー青年が、半身不随となった老ディーリアスの献身的な介護と作曲の手伝いを申し出て、そこで直面したのは、残酷なまでの「考え方の違い」だった。
無神論者で教会を軽蔑するディーリアスと、敬虔なクリスチャンのフェンビーは、音楽を通してつながることはできても、どうしてもお互い相容れることのできない、許せない領域もまた、同時にあった。
梅毒によって重度の障害を負い、目も見えず、身体を動かすこともできず、常に介護を必要としている老人と、健康そのものの将来ある若い青年と――その隔たりも、あまりにも大きい。
音楽を通して、私たちは、考え方や境遇の違い、病気や健康かの違いを、果たして乗り越えていけるのだろうか?
そういう問いかけを共有していただくためにも、ぜひ“あの本”(Delius as I knew him=邦題「ソング・オブ・サマー 真実のディーリアス」(エリック・フェンビー著)の翻訳出版に、皆様のご支援をいただけませんでしょうか?
「ディーリアス・プロジェクト」のクラウドファンディングは、あとわずか1週間(9月25日まで)です。どうぞよろしくお願いいたします!(林田直樹)