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耳が聞こえないクライマーのエベレスト登頂をクラウドファンディングで実現!
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1965年 東京都生まれのろう者(聴覚障害者)、山好きの父と叔父からの影響で、13歳から登山を始め、北アルプスの山々を登り、クライミングの経験を重ね、現在登山歴37年。国内山行1000回以上。夏山、冬山を問わず、山をフィールドに活動する山岳アスリート。登山以外では世界一過酷なレースと言われるパリ・ダカールラリー二輪出場、国内ラリーレース入賞数回。特技は山スキー、トレイルラン、アイスクライミング
「夢を夢のまま終わらせたくない」「困難に挑む勇気」「健常者中心の社会を変えたい」
耳が聞こえないクライマー世界初のエベレスト登頂を一緒に応援お願いします!
田村 聡(たむら さとし)
1965年 東京都生まれのろう者(聴覚障害者)
私は生まれつき耳が聞こえません。
一般的に聴覚障害者と言われていますが、私は耳が聞こえない自分に誇りを持ち、「ろう者」というアイデンティティを持っています。
(※以下、聴覚障害者という表現ではなく、「ろう者」「デフ(英語 deaf)」という表現を使用しています。)
私には夢があります。
ずっと追い続けている夢です。
山好きの父と叔父の影響で、13歳から登山を始め、北アルプスの山々を登り、クライミングの経験を積みました。
1980年、高校生の時、新聞の見出しを目にし、衝撃が走りました。
「北壁から世界初の登頂 チョモランマまた日本隊快挙」
その時「いつか、僕も世界最高峰のエベレストに登頂するんだ!!」という夢を抱きました。
しかし、その夢を話すと「あなたは耳が聞こえないから危険だ。やめた方がいい。」と言われました。
でも、私の夢は変わっていません。
20代30代と登山と山スキーの技術を磨いてきました。
・1991年4月(26歳) ヨーロッパ オートルート(シャモニ~ツェルトマット 山スキー4泊5日走破)
・2000年8月(35歳) 日本100名山登山全山登頂 ろう者初
・2002年8月(37歳) モンブラン(4,810m) 登頂
・2007年5月(42歳) ヒマラヤ アイランド・ピーク(6,160m) 登頂
そして、2007年10月(42歳)、ヒマラヤ チョ・オユー(8,201m) 登頂に成功し、世界のろう者8,000m級登山の歴史に幕を開けました。
当初は無酸素登頂を目指していましたが、アドベンチャーガイズの大蔵隊長から酸素使用の条件が提示されました。理由は8,000m峰登頂の経験がない為です。
実際、酸素を使用しての登山は思った以上に楽で、あっという間に登頂できました。
8,201mの頂上から見渡した、初めてのヒマラヤ山脈。
そして雲海から一際高くそびえる世界最高峰の真っ白なエベレスト!
あまりにも大きなスケール、言葉では言い表せない美しさ。
一緒に登ったシェルパから「あなたは強い。あのエベレストに挑戦するといい。」とのお墨付きをもらいました。
こうして、エベレストへの切符を手にすることができました。
2014年5月、念願のエベレストに挑戦
その年は、例年にない世界規模の気候変動で、絶えず強風に襲われていました。
標高約7,500mまでの高度順応を終え、出発のタイミングを合わせるためにBC(ベースキャンプ)で待機する日が続きました。その間、実に20日間。
山岳気象予報の専門家と連絡を取り合った結果、「登頂は5月18日が適している。」と結論が出ました。
その日に登頂するには、BCを4~5日前に出発しなければなりませんでした。しかし、中国のルート工作隊に説明しても、取り合ってもらえず、準備に遅れが生じました。中国の山岳天気予報を優先したためと思われますが、正式な回答はもらえませんでした。
そして5月18日、当初の予報通り風がなく快晴でした。
ルート工作隊は慌てて出発し、その2日後の5月20日、登山隊全員でABC(アドバンストベースキャンプ)を目指して出発しました。
BCではインターネットが使えたため、情報収集は問題ありませんでしたが、ABCは携帯電話エリア圏外のため、登山隊とのコミュニケーション等に大変困りました。
英語での筆談では、細かい伝達のやりとりができないうえに、追い打ちをかけるように体調も崩してしまい、非常に心細い状況に陥りました。
5月23日20時、C2から一気に頂上を目指すつもりでいましたが、予想以上の強風のため、1時間過ぎても2時間過ぎてもテントを出られない状況が続きました。
23時に意を決してテントを出発しました。
体感として風速18m~20mくらいはあったでしょうか、ダウンミトンの上から吹き付ける強風で、指先も冷たくなり、凍傷の不安が頭をよぎりました。
ゴーグルが曇り、曇りを取るため外すと、目を開けていることは不可能に近い状態でした。
必死に高度を上げるも、これ以上は無理だと判断し、撤退を決めました。
標高7,950mでの、苦渋の決断でした。
2015年4月、もう一度エベレストに挑みました。
4月25日、チベット側のエベレスト北面・標高6,300mにいた私は、小さな揺れを感じました。
どこかで崩落か雪崩が起きたのかと思った途端、続いて非常に大きな揺れがありました。
「地震だ。」
地震の後、北面のルートでは特に目立った損壊はありませんでした。
この地震がネパール大地震だと分かったのは標高5,200mのBCに戻ってからのことでした。
ネパール側のエベレスト南面では大規模な雪崩が起こり、多くの死傷者が出ている事、そして、カトマンズを始めネパール全土で、大きな被害とともに、多くの犠牲者が出ている事など、時間を追うごとに情報が明らかになってきました。
その後、中国政府から登山中止の通達があり、やむをえず帰国することになりました。
エベレストへの2回目の挑戦は、本領を発揮することなく終わりました。
1980年代当時は、エベレストをはじめとするヒマラヤ登山や海外遠征登山というものは、日本を代表するような実力のある登山家しか行けませんでした。
しかし現在は、エベレストや世界の高峰は公募隊や個人でも登れる時代になっています。
ろう者の私にとって絶好のチャンスです。
去年、ジョン・クラカワーの「空へ」を映画化した「エベレスト3D」を観ました。
エベレストの一般ルートは技術的には難しくないですが、標高8,000mを超えた世界は、一瞬のミスで命を落としてしまう死のゾーンです。
耳が聞こえなくても健聴者でも、その危険度は同じです。しかし、聞こえない私は音の判断ができません。
例えば、遠くで崩れる大規模な雪崩も私には聞こえません。
耳をつん裂く様な雷鳴が轟いても私には聞こえません。
さらに、秒速で襲ってくるかまいたちも瞬時に変わる風向きを聞いて判断する事ができません。
目でよく観察し、第六感にも頼らなくてはなりません。
注意深く行動しなければならないのです。
・1998年 史上初の義足者による登頂 トム・ホイッテーカー(イギリス)
・2001年 史上初の全盲者による登頂 エリック・ヴァイエンマイヤー(アメリカ)
・2006年 史上初の両足義足者による登頂 マーク・イングリス(ニュージーランド)
・2013年 義足者による登頂、女性初 アルニマ・シンハ(インド)
ろう者(聴覚障害者)によるエベレスト登頂はまだ一人もいません。
私が登頂すれば、史上初となります。
ネパール政府は、去年から障害者と高齢者のエベレスト登山禁止を検討し始めました。
今年はまだ正式な通達がありませんが、今後どうなるか分かりません。
これは私にとって深刻な事態です。
これが決定すれば、私にとって聞こえない事以上の大きな障害になります。
・耳が聞こえない私が登頂することで、困難に挑む勇気と夢を持つことの大切さを世の中へ伝えることができます。
・ネパール政府の障害者に対するエベレスト登頂をこれからも可能な方向に進めます。
・未だ障害者に対する偏見や差別が色濃く残る世の中が変わる事を信じて、健常者も障害者もみな平等だと世界に強く訴えます。
今までなんとか資金繰りをしてきましたが、二度に及ぶエベレスト登頂断念により、もう貯えも底をつきました。
エベレストへの挑戦は私にとって、金銭的にハードルが高く、程度の差こそあれ、スポンサーや協力者の力添えが必要です。
事実、日本の山岳ガイド付き公募隊に応募すると800万円位かかってしまいます。
このほかにエベレスト登頂に必要な装備品などはもちろん、現地シェルパの人件費、食費、入山許可料、衛星電話等の通信費、そしてリスクマネジメント付海外登山保険等、多岐に渡ります。
誰もが登れる時代にはなったとは言え、なかなか簡単に挑戦できるものではありません。登山技術があっても断念したり、仕事や家庭、様々な事情で見送っている多くの方々がいらっしゃるでしょう。私を通して、様々な思いをエベレストに掲げてみませんか?
今回は、現地の山岳ガイド付き国際公募隊に参加するために必要な資金は500万円。そのうちの250万円をMotionGalleryをご覧の皆さまに支援していただきたいのです。
4月初日 日本発・ネパール着
4月上旬 高所順応 5000m~6000m
4月中旬 国際公募隊カトマンズ集合・チベットへ移動
4月下旬 チョモランマベースキャンプ到着
5月上旬 高所順応 7500m前後
5月中旬~下旬 エベレスト登頂
6月上旬 帰国
・Base Campからの写真メール
2016年4月から始まるエベレスト遠征中に、チョモランマがよく見えるBase Campの田村からの写真メッセージメールをお送りします。
・ネパール製限定オリジナルTシャツ
スタッフが仕事柄デザインしました「耳が聞こえないクライマーのエベレスト」限定Tシャツ1枚を、ご希望のサイズでお送りします。このコットン100%素材のTシャツは、ネパールで製造します。
(デザインは若干変更する場合があります)
・Base Campからのビデオメッセージ
田村がBase Campからのヒマラヤの美しさ、チベットの楽しさを動画で伝えていきたいと思います。
・特製ポストカード
田村が遠征で撮影したヒマラヤの絶景写真のオリジナル・ポストカード3種類を送ります。
・特製エベレストフォトブック
2014年4月から3年間のエベレスト遠征中に撮影した写真を、オリジナルのフォトブック
(A4サイズ 148x210mm 48ページ)にしてお送りします。
またご希望の方には、フォトブック表紙の写真に田村直筆のサインやメッセージを書き入れます。
A4サイズ 148x210mm 48ページ
・特製エベレスト写真パネル
2014年4月から3年間のエベレスト遠征中に撮影した写真を、オリジナルの木製写真パネル(A3)にしてお送りします!
田村が2016年6月、遠征から帰国した後、エベレストで撮影してきた写真のうち数種類から、ご希望の写真を選んでいただき木製パネルにしてお届けします。またご希望の方には、パネルの写真に田村直筆のサインやメッセージを書き入れます。
・ろう者世界初登頂記念講演会(20人、50人、100人規模)+特製ポストカード20部、50部、100部
田村がエベレスト遠征から帰国後、講演会(20人、50人、100人規模)を1回実施いたします!手話→日本語通訳付きが条件です。
また、2016年4月からのエベレスト遠征での体験も含めて、お話いたします。
テーマはご要望に応じて対応しますので、ご相談ください。
講演テーマ例:「エベレストへの挑戦」
・講演時間は90分程度とさせていただきます。
・遠方の場合は、交通費・宿泊費の負担をお願いいたします。
・実施日程は、2016年7月以降で個別に調整させてください。
・特製ポストカード100部・田村が遠征で撮影したヒマラヤの絶景写真のオリジナル・ポストカード3種類を送ります。
・スポンサーとしてダウンスーツ(登山ウェア可)にワッペンをつけます。
個人や会社のロゴマーク(ワッペン)を田村のダウンスーツ(登山ウェア可)に貼り付けます。
80x100ミリメートル程度の大きさを想定。
指定フォントによる企業名や個人名、または指定ロゴによる掲示も可能です
田村の公開フェイスブックページに「スポンサー」としてロゴ掲載いたします。
応援メッセージ入りフラッグ、或いは企業ロゴ入りフラッグをこちらで作成し、Base Campで写真撮影します。
フラッグサイズ:A4(297mm x 210mm)
エベレスト登頂でサイン用紙に田村本人直筆サインを書き入れます。
万全の準備と安全確保を心掛けて行きますが、人は自然には敵いません。
人が100%完璧にして望んでも、その半分は自然にゆだねられています。
2012年、ナショナルジオグラフィック発表によると、エベレスト登頂成功率は56%、死亡率は1%だと言われていました。
年間200人が登頂を目指している事を考えれば、2人は帰らぬ人となっています。
去年、ネパール大地震が起きましたが、現地の山岳ガイド付き国際公募隊に問い合わせしましたが、中国政府は2015年度の外国人(ネパール人を除く)入域料(登山料)の2年間延長を認めない方針とのことです。かなり残念です。
国際公募隊参加費用は、登山が中止された場合いかなる事由であれ参加費用の変更、返金はありません。
天候不順や事故などの理由で、遠征を予定通り実施できない可能性があります。
万が一、事故や政治的な問題などの理由でベースキャンプに入る事もできなかったり、急に退去しなければならなくなった場合には、ベースキャンプでのギフトに代わってカトマンズや日本で、出来る限りギフト内容に見合う形で対応いたします。
ネパールで製造するギフトもあるため、現地の状況により商品のお届けが遅れる場合がございます。
ネパール大地震で多くの方々が被災し、そして亡くなられました。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、耳が聞こえない私自身にできる事もあるはずです。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。
何卒、本プロジェクト支援の趣旨をご理解いただき、どうか皆さまの暖かいご支援とご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
田村 聡
1965年 東京都生まれのろう者(聴覚障害者)、山好きの父と叔父からの影響で、13歳から登山を始め、北アルプスの山々を登り、クライミングの経験を重ね、現在登山歴37年。国内山行1000回以上。夏山、冬山を問わず、山をフィールドに活動する山岳アスリート。登山以外では世界一過酷なレースと言われるパリ・ダカールラリー二輪出場、国内ラリーレース入賞数回、オリエンテーリングアジア大会M45クラス優勝など。
特技は山スキー、トレイルラン、アイスクライミング
・1991年4月(26歳) ヨーロッパ オートルート(シャモニ~ツェルトマット 山スキー4泊5日走破)
・1999年3月(34歳) 第14回冬季デフリンピック(スイス)日本代表・アルペンスキー競技に参戦
・2000年8月(35歳) 日本100名山登山全山登頂・ろう者初
・2002年1月(36歳) パリ・ダカールラリー二輪出場
・2002年8月(37歳) モンブラン(4,810m) 登頂
・2003年3月(38歳) 第15回冬季デフリンピック(スウェーデン)日本代表・アルペンスキー競技に参戦
・2007年5月(42歳) ヒマラヤ アイランド・ピーク(6,160m) 登頂
・2007年10月(42歳) ヒマラヤ チョ・オユー(8,201m) 登頂・ろう者としては世界初
・2007年11月(42歳) 日本200名山登山全山登頂
日本200名山登頂写真
・2008年4月(43歳) 槍・奥穂高岳山単独スキーワンディ成功
http://www.tamutamu-net.com/tamutamu/0804.htm
・2009年5月(44歳) 剱岳・南面ダイレクトルンゼ(最大斜度50度)スキー滑降成功
http://www.tamutamu-net.com/tamutamu/090501.htm
・2010年5月(45歳) 北岳バットレス・ヒドンガリー(最大斜度55度・標高差870m)単独スキー滑降成功
・(2004年三浦大介氏(聴者)初滑降以来)
http://www.tamutamu-net.com/yamaski/20100521.html
・2012年8月(47歳) トランスジャパンアルプスレース(距離415km)出場
・2013年1月(47歳) 南アルプス甲斐駒ヶ岳 黒岩尾根 厳冬期日帰り達成
・2013年2月(48歳) 北海道で難関の羅臼岳山スキー、アイスクライミング厳冬期日帰り達成
・2014年5月(49歳) エベレストに挑戦、7,950m地点まで到達。悪天候に阻まれ余力を残して下山
・2014年8月(49歳) 富士山登山道4ルート連続一筆登山制覇
・2014年9月(49歳) Tor des Geants(イタリア) 330km・累積標高24,000m(エベレストの約3倍)・時間制限147時間完走
Col Brison 2,492m
・2015年2月(50歳) 北海道山スキー、十勝岳・富良野岳(北尾根)・利尻山・斜里岳・知円別岳・雌阿寒岳・トムラウシ山、厳冬期全頂登頂
念願の厳冬期利尻山登頂と山スキー滑降
厳冬期トムラウシ山登頂日帰り達成
・2015年5月(50歳) エベレストへの二度目の挑戦、6,300m地点まで到達。ネパール大地震により登山中止
・2015年10月(50歳) ベシサーハル〜アンナプルナ1周トレッキング(9日間)+アンナプルナBC往復日帰り。過去最速の可能性
・参考:
http://deafathletejapan.blog76.fc2.com/blog-entry-18.html
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ドミニカ共和国に派遣された青年海外協力隊員の広瀬芽里さん:
日本選手権優勝及び2つのギネス世界記録を持つスカイダイバー増田光広さん:
残り1692枚
3000 円
残り978枚
5000 円
残り630枚
8000 円
残り488枚
10000 円
残り165枚
20000 円
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残り10枚
500000 円
残り5枚
1000000 円