応援のおまけって、こんな感じです。
vol. 11 2023-07-22 0
こんにちは、西野波音です。
新作の撮影が近づいてきて、屋外にいることが多いせいか
焦げまくっている日々でございます。
今日は応援していただいた方への限定の文章コンテンツを
1本だけ公開したいと思います。
あくまでも「おまけ」なので、ホント時間潰しになるかどうかです。
もし、応援を検討していて、「おまけってどんなん?」と
思っていた方、こんな感じです。
現在、5本が公開されています。
【title】
『これっきりサマー』。観る。水上恒司。モノ語る手。
【text】
これは、あるエンターテイメント作品を通して
ひとりの役者を観察する文章です。
だから、どこまでも僕の主観で書き下ろしています。
つまり、ほかの方が読むと
『役者・○○のような人』というわけです。
(なので、軽い気持ちでお読みください)
蔓延したウイルスが何者なのかがわからなかった頃、
ぼくは、どこかふわっとしていました。
呑みに出かけても、滞在時間ばかり気にしたり、
誰かをインタビューしながら、声の大きさや距離を意識したり、
その音声ファイルを聞きながら、「もう少し踏み込めたな」と振り返れば、
「やっぱり声の大きさや距離を意識していたのか」と思い出したり……。
何をやるにしても、外側と内側でズレがありました。
くっつけたくて「ぬぬぬっ」と力を入れても、
磁石の同じ極を近づけるようにするりとかわされる。
その何だかやり切れない気持ちの行方を
10分という短いドラマで
表現していたショートドラマ『これっきりサマー』(2020)。
さらりと観てしまえば、
水上恒司(もうこの名前でいいですね)さんと南沙良さん、
2人が演じる高校生の瑞々しい姿が心地いい10分間でした。
ただ、ぼく自身の抱えていたふわっとした感覚と
シンクロした水上さんの手が、ずーーっと気になっていました。
最初は、所在なさげにぷらぷら。
土手で南さんに「うざっ」と言われてからは
「俺、可哀想じゃない」と
言葉とは裏腹な手の動きに虚しさが見え隠れします。
地球の話をするときも、彼が感じている虚しさを手に感じていました。
夏フェスの話を始めると、そんな手と心の中が徐々につながっていく。
南さんのお返しを目にしたとき、
自分の本当の気持ちと帽子のツバを握る手がついに重なって、
ポロリとこぼれる本音。
それは、水上さんが藤井薫という役柄と
真っ直ぐ向き合って生きていたからこそ、
こちらにも伝わってきたと思います。
上手く演じる、カッコ良く見せる、自分らしく演じる。
そんなことはどうでもよくて、
この役者は物語の世界に住む役柄と一緒に生きられる人なんだなと。
そうでなければ、指を除菌されたとき、
「はんっ!?」なんて奇妙な声は漏れないと思います。